26 公都にて
北都に帰還した遠征演習隊は、すぐに騎士団の団長執務室を訪れた。
現状、北公領騎士見習いは訓練の総括として野営や実戦をこなしさえすれば、春の剣術大会以降、正式に騎士を名乗ることができる。
よって、報告の体を借りた修了式に近い。
なお、口上や進行は隊長が行うため、見習いたちは何もする必要はない。が、一様にぴりりと緊張に包まれていた。ハワードが放つ自然な圧にすっかり呑まれているのだ。
これも騎士として、任務完了報告までの段取りを実地で学ぶためでもあるが……。
「では騎士候補イゾルデ・ジェイド。前へ」
「はっ」
イゾルデは応え、気負うことなく前へ進み出た。
そもそもが二度目の修了。ハワードの後背にある縦長の窓からは初冬間近の曇天が見え、暖炉からは薪のはぜる音。ある意味、幼い頃から慣れ親しんだ空間なので。
イゾルデは、これから去年と同じように労われ、代表としての証書を手渡されるのだとばかり思っていた。
厳しい顔つきのハワードは、こほん、と咳払いをしてから証書を養女に向ける。
「長きに渡る修練ご苦労。此度の演習をもって、十二名の見習いを新たに来春以降、正規の騎士に任ずると約する。其方は」
「? はい」
「――証書に記してあるとおり、三の月の末日まで参謀部預かりとする。担当は第一隊副参謀ロドウェル・グランツ。とくに、対魔獣戦術や騎士団の運営法などをよく学ぶように」
「………………え」
「以上。イゾルデのみ残して他は解散。ログム、ご苦労であった」
「はッ」
壮年の引率騎士にならい、居合わせた見習いたちがきびきびと礼をとる。
イゾルデは、まだ信じられない面持ちで退出する彼らを見守った。
やがて入れ違いに入室した男性の姿に、さらにぎょっとする。
「グランツ卿」
「失礼します。やあ、イゾルデ嬢。聞いたよ、大変な目に遭われたそうだね。無事で良かった」
「い、いえ。それはオーウェン先生と……ユーハルトのおかげなので。でも、なぜ貴方が」
「なぜ、とは?」
ふわりと大人の風格たっぷりに微笑むロドウェルは、オレンジ色の髪と恵まれた体躯の印象が相まって非常に華々しい。イゾルデは、ぐっと堪えてから再び口をひらいた。
「遠征を終えた見習いは冬の間、個人で剣術を磨くのが常でしょう。年始の宴まであと一ヶ月。爵位と事業をお持ちの貴方に、にわか参謀を指導する時間はないはずです。おまけに年が明ければ漏れなく大吹雪。雪に降り籠められて身動きかなわなくなるのに、どうやって」
「それは」
「――イゾルデ。彼を冬季限定の『客人』として公爵家に招いたと言えばわかるか? グランツ副参謀は剣の腕も確かだ。手合わせなども頼めば良かろう」
「閣下」
イゾルデは、ハワードとロドウェルを交互に眺めて立ち尽くした。
それでは、まるで。
「か…………閣下、宜しいのですか? グランツ卿は閣下が定めた婚約者候補のお一人です。ですが、これでは『候補』の域を軽く越えているかと。ランドール伯とオーウェン侯にはどう仰るおつもりか」
食い下がるイゾルデに、ハワードは「問題ない」と一言で切り払った。
「両家からは内々に辞退の旨が伝えられた。其方がコナー伯爵子息に肩入れしているのは知っておる。じゃが、それはそれ。次期北公として、まことに必要なものは何か。それこそ冬の間、頭を冷やして考えるが良かろう」
「……」
「下がりなさい。彼には今日から公邸に滞在してもらう。儂はまだ帰れそうにない。副参謀、よろしく頼む」
* * *
結局、イゾルデはロドウェルを公邸に案内する名目のもと、公邸敷地内をふたりで移動することになった。ふたりとも馬に騎乗している。――公邸の敷地面積は、ちょっとした町ひとつ分ほどの広さがある。騎士団舎はその端。市街区側にあった。
自然光を透かして青く光るアクア輝石の城壁に囲まれた都市の最奥に、大公国時代から使われる城が建つ。優美な尖塔群が目印だ。そこをめざす。
森もあれば畑も川も、湖もある。使用人たちが暮らす区域も。そんななかをポクポクと蹄を鳴らしながら進む先導の姫を、ロドウェルは苦笑交じりに見つめた。
「あまり気落ちしないでくださいね、イゾルデ嬢。閣下はああ仰ったが、貴女が次期公爵になる上で必要な知識は授けられる自信がありますよ。おれには」
「……自信家でいらっしゃるのね」
「もちろん、貴女だけを生涯慈しむ真心もあります」
「そう」
ロドウェルが馬足を速め、隣に並んでの会話だったが、イゾルデは、ふいっと視線を流した。
――覇気。あるいは元気がない。
直感したロドウェルは正直に尋ねる。
「どうしました。砦にはコナーも来たのでしょう? 貴女を追って。喧嘩でもしましたか」
「喧嘩なんて」
ぽつり、と呟いたイゾルデは、いよいよ心配なほど俯いた。柄にもなくどぎまぎとしたロドウェルが言葉を待つ。
そうして、いくらか経って。
「っ……言えません。貴方に言うべきではないので」
「……そうですか」
背は、変わらず凛と伸びている。
それでもどこか痛ましい。
己を無理にでも奮い立たせている風情の少女に、ロドウェルはしずかに相槌を打った。
冬の到来を知らせるように、柔らかな雪片が視界を過ぎた。




