25 告白
堂々と扉を閉められてしまった、とか。考えるよりも前に答えてしまった、とか。
あらゆる意味で千歩も万歩も先をゆく大人のオーウェンに、それらが決して「模範的」なわけではないとも気づく。
(先生って……え?)
ユーハルトの頭の中はぐるぐると混乱した。
「えっと」
傍らで呟き声。
戸惑うイゾルデの表情からは、気のせいか自分と同じような疑問符と取り残された感が漂う。
現実問題、湯気の立つ食事を彼女に摂らせないという選択肢はなく。
ふはっ、と、気の抜けた笑いが込み上げたユーハルトは、そのまま二人掛けのテーブルを手で指し示した。
「どうぞ。食べて、イゾルデ。僕はもう食べ終わったから。お茶だけご相伴に預かるね」
* * *
備え付けのカップをひとつ拝借し、テーブルに既にセットされていたポットから温かなお茶を注ぐ。
行儀よくトレイのスープやパン、茹でたウィンナーにマッシュドポテトを平らげるイゾルデと話していると、あっさりと誤解が解けた。
「ええぇ!? そんな。ずれてた眼鏡を直してあげた……って?」
「そうよ。先生は両手が塞がってたもの」
「ああ」
たしかに。
対象に意識を定め、干渉し続けるたぐいの魔法は、発動中は動けない――術を解くまでは。
なるほど、たまたまその瞬間をオーウェンの背中越しに“精霊の目”で見たから……、そういう。
「てっきり」
「てっきり?」
うっかりこぼれた言葉の切れ端を、食べ終えてフォークを置いたイゾルデに聞き咎められる。
ユーハルトは、頬が熱くなるのを感じた。
「何でもっ」
「なくはないでしょう? ユーハルト、顔が赤いわ。ずっと心配だったんだから……! 移動も大変だったでしょうに、あんな大きな魔法を使って。おまけにうちの見習いたちと厨房で一働きしたんでしょう。失礼、熱が?」
「!!」
ずい、と身を乗り出し、真剣な顔のイゾルデがユーハルトの額に触れる。「熱いわ」
「熱じゃない」
「うそ」
「嘘じゃないって」
「じゃあ、どうしてこっちを見てくれないの」
「……ッ」
カチャ、とトレイが鳴り、至近距離でこちらを窺うイゾルデに、ぷちん、とユーハルトの堪忍袋の緒が切れた。
怒り、というには語弊があるが――
知らず、自分の口を手の甲で隠していた。
ぎゅっと目を瞑って叫ぶ。
「あのね!? 普通に考えて! 好きな子が湯上がりで! まだ髪も乾ききってないよね!? あと、く、首元……っ、襟がひらいてるから! 頼むから、そんな格好でウロウロしないで!?!?」
「え」
一声漏らすなり固まったイゾルデが、今度はユーハルトの倍の勢いで赤くなる。寛げた襟元から覗く白い肌は瞬く間にほんのり染まり、桜色の耳朶まで。
「ごめ」
「あの……いや、こっちこそごめん。大きな声出して」
「ううん。そっ、そうじゃなくて。さっき……その、本当に……?」
「うん。もの凄く無防備だから。危ないから。百歩譲って先輩騎士様がたはともかく、同年代の見習いたちには、あまりきみのそんな姿は見せたくないかなって」
「………………」
ユーハルトは口をつぐんだ。胸元の布地を寄せ合わせながら黙り込むイゾルデに、心底申し訳なる。
しかも、(オーウェン先生も)というくだりは無意識で端折ってしまった。気まずさに立ち上がり、トレイを持ち上げる。
「持って行くね。イゾルデは部屋に戻ってて。ゆっくり休んで――」
「待って」
「わ!?」
機敏に立ち上り、肘上を握られたユーハルトは慌てふためいた。まだ目元が染まったままのイゾルデが、緊張で喉を震わせているのが伝わる。
「ユーハルト。お願いがあるの」
「……なに?」
ばく、ばく、と、こちらまで心拍数が上がる。悟られないように懸命だった。
伏し目がちだったイゾルデは、意を決したように夜色の瞳をきらめかせたあと、真っ直ぐにこちらを見た。
「私、結婚するならユーハルトがいい。私の、婚約者になってください」
――――――――
ちょうどその頃。
北公領騎士団団長にして北公・ジェイド公爵ハワードは、一通の封書を手にぼやいていた。
公邸ではなく、騎士団詰め所の一室。騎士団長執務室である。
つまり久しく仕事の虫だったハワードにとって、真の私室と言って等しい。公邸はあくまで嫡流たる兄夫婦、並びに甥夫婦のものだという認識がいつまでも取れない……。(※そこを、たびたびイゾルデには辛口で批判される)
相手は四名いた候補のうち、唯一の爵位持ち。手堅い領地経営をこなすゲルン伯爵の次男、ロドウェル・グランツ子爵だ。
イゾルデが二度目の遠征実習に赴いて三日目。幹部会議のあと、議事録を納めに来たロドウェルを捕まえての世間話。ランドール家の手紙は、そのタイミングで届けられた。
中身はなんと、内々に婚約者候補を辞退する旨だった。ランドール伯の子息ソード曰く、姫には忠心をもって仕えたいと。
それはそれで見上げた心意気だった。喜ばしくもあるのだが、いかんせん溜め息の止めようがない。
「やれやれ、イゾルデの跳ねっ返りにも困ったものだ。やはり、あれには度量の深い年上のほうがいいのか……。卿やオーウェンのような」
「いたみいります」
にこりと笑ったロドウェルは、軽い調子で付け加えた。
「競り勝ちたいものですね。オーウェンにも、コナー家の子息にも」
「むう」
苦虫を噛み潰したようなハワードが唸る。
「ちなみに聞きたいが。卿であれば、イゾルデの伴侶として何が出来る?」
「伴侶として、ですか」
やや垂れた水色の瞳をみひらき、橙の髪の青年が驚く。
「もちろん生涯大切にします。彼女自身、優れた騎士の素質も剣の腕もありますが。……いとおしいので、妻として穏やかにも過ごしていただきたいですね。
僭越ながら、彼女が指揮をとれる状態にないとき、もっとも確実に『将軍代行』をこなせるのは私だけでしょう」
「……ふむ。有難う、グランツ副参謀」
「は」
ねぎらい、退室を促したハワードはひとりになったあと、改めて椅子の背に体重を預けて顎髭をしごいた。
「ひとつ、機会を与えるか」
――――老骨に鞭打って策をひねるハワードのもとに、ソード・ランドールに引き続き、マジェス・オーウェンからの謝意を込めた辞退状が届くまで、あと数日を要する。
第二章はここまで。
次の第三章を終章とします。




