23 救出と心の棘
「どうなってる……!?」
ユーハルトは呻いた。
気持ちの上では今すぐ水面に飛び込み、川底を歩いて渡りたい。泳げない事実と自身の虚弱さ、決行した場合の二次災害の危険(※理性)に阻まれ、苦悶の表情で立ち尽くす。
――雨なんて、降っていないのに。
轟々とうずを巻く滝壺。池は水嵩を増し、明らかに岸を侵食している。ふだんはもっと箱庭じみた穏やかさらしいのに、今や豪雨の後のよう。
集結した騎士と騎士見習いたちは水辺からじりりと後ずさった。
対岸の白い大樹の脇に、苔混じりの真新しい土砂と岩の山が見える。あそこにイゾルデとオーウェンが閉じ込められたのだと聞いたとき。
ユーハルトは、非番のソードに無理にでも連れて来てもらえて良かった、と心底感じた。
今回の遠征演習では、魔法士はオーウェンしか同行していない。何かあったときが不安だった。必ず助けになりたい――その一念だったので。
あれから演習隊を追って街道を北上し、途中で進路を変えたことを表す狼煙を発見。ホロン村に到着し、乱れていた息を整えていた矢先のことだった。
が、状況は良くない。非常に危うかった。
真新しい、正規の魔法士のローブをまとって現れたユーハルトにログムが質問する。
「あんたの言う通り、オーウェンには魔法を解くなと伝えたが。どう見る? お偉方からは、あんたには常人に見えないモノが見えると」
「……村の子どもたちが『大樹の枝を取りに行った』と話していましたね。あの樹には大勢の精霊が宿っています。ねぐらを傷つけられて怒ってるんですよ。伐られるのでは、と警戒して。だから人間が来る『祠』を潰した」
「!? 何だとっ」
「属性は? “土”か?」
隣から、コナー家を訪問した際の私服姿のままでソードが問う。
ユーハルトは頭を振った。
「ううん。元は木々に連なる土属性だったんだろうけど、村の人たちの信仰で変容したみたい。あの滝の上が水源の泉だよね? 泉の精霊もいる。かなり強い」
「…………話、できんの?」
「わからない。意思が伝わる以上、こちらの意もある程度は汲んでくれるはずなんだけど」
やってみるね、と告げたユーハルトは、携帯していた杖を両手で握った。
杖もまた、ローブと同じく北公領騎士団からの支給品。嵌められた魔法石は透明感のある薄い水色。オーウェンの見立てかもしれない。冷属性の小精霊をあまた宿すユーハルトにすんなりと馴染む。重さも丈もちょうど良く――
目を閉じて念じると、ユーハルトは自身のからだから数体の精霊が浮かび、対岸の樹に向かってふわふわと飛び交うイメージが視えた。
(相変わらずの警戒……驚愕、安堵、疑念。けっこう根に持つタイプだな。慎重に進めないと)
こうなった以上は極力“対話”で済ませたい。
出来る出来ないではなく、意図せずとはいえ、ホロンの地を魔獣の脅威から守ってきた精霊たちだ。
もし、彼らを根こそぎ排除してしまえば土地の豊かさは残っても再生力に欠けるし、辺境から魔獣が移り住む可能性が高い。
滋味豊かで餌が豊富。
良くも悪くもいい狩り場にされかねない。であるならば。
(頼む。力を振るわせないでくれ……!)
一心に願う。
だから、ユーハルトは気づいていなかった。
精霊たちの放つ氷の魔力が輝きとなって立ちのぼり、黒髪をそよがせ、足元の落ち葉を霜柱で包み始めたことを。
それを認めたログムを筆頭とする騎士たちは、ほう、と感心したように目を丸くしたし、同年代の騎士見習いたちはギョッとした。
まさか、いくら“特別魔法士”でも、ここまでの使い手だとは思わなかったのだ。
ユーハルトにとっては呼吸に等しい、精霊たちとのやり取り。しかも杖を得て、こぼれ出る魔力は最小限に止められている。
効果は如実に顕れた。
「見ろ、水が……!」
誰かが声をあげたことにより、ユーハルトはそうっと瞳を開けた。
いったんあふれた水が戻ることはなかったが、滝の水量はみるみるうちに減ってゆく。幸い、祠の入口は浸水を免れていた。
見慣れた薄青い翅をきらめかせ、氷の精霊たちは満足げに帰ってくる。
(おかえり)
声なく労えば、心のなかに同じ色の光が忙しなく乱反射した。――うれしいのだ。
ユーハルトは、ほんのり苦笑して杖の構えを解いた。
「ログム隊長、もう大丈夫です。オーウェン先生に出て来てもらってください。落盤はさせません」
「よし……! でかした! ありがとうな、コナー!!」
熊のような存在感の隊長が両手を筒状にして、その旨を知らせる。
ほどなく土砂の壁がひとりでに崩れ、まるで最初からそこに在ったかのような入口を覗かせた。
湧き上がる歓声。
いつの間にか村人たちも心配して遠巻きに見つめていたなか、祠からオーウェンとイゾルデが現れる。
けれど、ユーハルトは喜びで微笑む前に、ちくりと胸が痛んだ。
(あ)
――それはそう。
そうだろう。いつ落ちるかもわからない岩天井から『彼女』を身を挺して守るのは当然だ。騎士であればなおさら。抱き込んでいたのは想定内。
おまけに暗がりで、ぱっと離れたから、多くのひとには見えなかったかもしれない。でも。
精霊の眼を借り受けられる自分には、視えてしまった。
無意識で胸元の布を掴み、見間違いだと強く言い聞かせる。
オーウェンに固く抱きすくめられたイゾルデは、まるで……。
この上なく大切なものを扱うように、恭しく接吻されているように見えた。




