21 危機
ダリオは後悔していた。
いや、これっぽっちも口にしない意地だけは持ち続けていたが。
(なんで聞き流せなかったんだろう。あれくらいのこと)
ぴちょん、ぴちょん、と、天井から水のしたたる音がする。耳を澄ませばサラサラと沢の流れる音。ここは静かだ。静かで寒い……。
「暗いね、ダリオ」
「そうだな。夜は明けたはずだけど」
「……そうじゃなくて。ダリオが」
「ふつう、暗くもなるよな? 悪かったよ。お前まで巻き込んで。元はと言えば、おれとガロのつまんない張り合いのせいで」
「う、ううん。その……ごめん」
声がくぐもる。ぼんやりとしたシルエットが縮こまる。相手の狼狽がひしひしと伝わった。
本当に、ここは薄暗い。
ダリオは辟易とため息を落とした。
「謝るなよ。頼むから」
* * *
『ガロ』はダリオと同じく村長の孫で分家の子。同い年で体格も似たり寄ったり。何が気に食わないのか、ことあるごとにダリオに絡んで来る。
昨日もそうだった。
村を潤し、ホロン山の裾野に向かう清流の源泉がここにある。『滝壺の祠』には、本当なら雪融けを祝う祭りのときしか来てはいけないはずだった。
なのに、自慢げにひとりで祠を探検したと語るガロに、ついムッとしてしまった。おそらくはそれが敗因。
苛立ちに反し、膝の上では幼馴染の少女がすぅすぅと寝息を立てている。幼いながら、なかなかの強心臓だ。
「リジー、よく寝てるね」
「まだ六つだしな……。お前だって眠いだろ? サンディ」
「平気だよ」
「嘘つけ。ほら、背中にもたれていいから。どうせ、おれは足をくじいて動けない。三人でくっついたほうが温かいぞ?」
「う、うん」
ありがとう、と呟いた気弱な少年はこちらへ来ると、背中合わせになって腰を下ろした。膝を抱え、スン、と鼻をすすってうずくまる。
ダリオも捻った足首を動かさないように気をつけながら、うつらうつらと船を漕いだ。
――そう。
そもそもは三人で祠に来た証拠に、目印の大樹の枝を手折るつもりだったのだ。
祠の脇にそびえる大樹は、なぜか森のなかで一本だけ白い。ガロは得意そうに、まるで魔法の杖のように見せびらかしていた。
“村の大人の誰も持ってはいない、禁足地の宝を取って来たんだ。これは勇気の証だ”と。
それを最初に糾弾したのがおしゃまなリジーで、腹を立てたガロは途端に矛先をこちらに向けた。ふだんから「弱虫」と彼が馬鹿にするサンディにも。
“悔しければ、お前たちも取ってきたらいい”と。
足をくじいたのは、大樹に到る直前に激しい雹に見舞われたからだ。
慌てて祠に逃げ込んだはいいが、転びそうになったリジーを助けようと、つい慌ててしまった。
おまけに突然の落盤。
入口は塞がれ、みごとに閉じ込められてしまったというわけで。
(……大丈夫、助けは来る。きっと、ひどく叱られるけど、ガロはおれたちが祠にいることを知ってるんだから)
無意識に言い聞かせつつ、いつしか本当に寝ていた。すると。
「ダリオにーちゃ」
「ん? どうした? リジー」
膝の上で寝ていた少女が、むくっと体を起こした。
至近距離だからわかる。幼い瞳がじっと虚空の一点を見つめている。
不安になったダリオは、布団代わりに掛けていた自分の上着をもう一度彼女に羽織らせた。
リジーは、あどけない口ぶりで呟いた。
「声、聞こえたの。誰か、にーちゃを呼んでる」
* * *
「ダリオーーーー!!!! サンディ!! リジーー!! いたら返事をしろ!!」
村に到着後、騎士隊は手分けして森を探すことになった。イゾルデはオーウェンとペアになり、道案内の男とともに祠を目指す。
ガロ、という少年は父親から手ひどく怒られていたが、母親に庇われて家に連れて行かれた。
いっぽう、村長は高齢と長時間の探索を理由に隊長から留守番を命じられ。
交代で同行したのは行方不明者三名のうち、サンディという子の父親だ。やさしい性質で、木こりらしく健脚で森歩きに慣れており、呼びかけの合間に馬上のイゾルデたちを気遣う。
「藪はあらかた払ってありますが、枝打ちは適当なもんで……騎士様がたには申し訳ないことです」
「いや、構いませんよ。できるだけ急ぎましょう。子どもたちもこの道を?」
「へえ。迷っていなければ」
手綱をとるオーウェンが思案げな顔で辺りを見渡す。――知らない人間にはどこが道かも定かではない。迷子になっていることを想定し、他の騎士たちが方々へとばらけたのも頷けた。
実りの秋を過ぎて冬を迎えつつある森は落葉の絨毯もつめたく湿り、天候を考えれば夜露をしのげなかった場合の寒さがもっとも心配される。
ふしぎとこの界隈に魔獣が出たことはないらしいが、間違って冬眠しそこねた熊が出ては大変だ。イゾルデはやきもきと気を揉んだ。
「あっ、見えました。あれが『滝壺の祠』……ッ!?」
「!!」
「――落盤、ですね。祠とは、あの洞窟で?」
「そっ、そうです!! どうすれば」
「あなたはここで。イゾルデ嬢は一緒に来てください。魔法で穴を穿ちます」
「わかりました」
馬を男に預け、オーウェンとイゾルデは祠と思わしき崩れた岩肌の前まで駆け寄った。
途中、名の通りに滝壺から注ぐ渓流を岩伝いに飛び越えてゆく。流れは速かった。
岩肌に手を触れたオーウェンが、ちらりとイゾルデを振り返る。
「土系統の魔法で、最小限の穴を空けます。爆発は起こしませんが、警戒をお願いします」
「任せてください」
「頼もしいですね。では」
――再び前を向いたオーウェンが魔力を練り上げ、杖を掲げる。
すると、硬いはずの岩に亀裂が入り、ほろほろと崩れ始めた。ちょうど人ひとりがくぐれる大きさだ。
ガコン、と音を立てて最後の石塊が転がる。暗かった洞穴を覗くと、泣き笑いで歓声をあげる子どもたちがいた。「良かった。待っていて。今助けるわ」
ホッとしたイゾルデが身軽に穴をくぐり、次いでオーウェンが。足を痛めたらしい少年を最後に、無事に三名を外に出せた。
――――そのとき。
「!! お前たち! 騎士様がた、はやくこっちに!?」
「なっ!!?」
「……っ、先生、あぶな……!」
イゾルデは、落ちてくる岩の欠片と土埃に目を眇めつつオーウェンを外へ弾き出そうとした。
が、逆に抱え込まれる。
(!)
「先生」
「しっ、口を閉じて。守ります――“防護”、“連結”!!」
覚悟した衝撃はいつまでも訪れなかった。ガラガラという轟音は止み、真新しい壁の外側で「騎士様!!」と叫ぶ声がする。
イゾルデは、オーウェンの腕のなかでばくばくと心臓が荒れ狂うのを感じながら、つとめて冷静さを維持した。
オーウェンの馬は賢く大人しい。
おそらく、子どもたちを乗せて村まで戻ってくれるだろう。今はまごついているようだが、少年の父親が手綱を引いても暴れたりしないはずだ。
「先生。状況は」
手堅い騎士の卵にして未来の公爵と仰ぐべき少女の声に、オーウェンは非常に済まなさそうに微笑んだ。
「良くはないですね。いま、全身全霊で地盤の崩落を――私の、魔力で防いでいます」