20 イゾルデとホロン村
「出立! 陣形、“槍”! これよりホロン村に向かう。見習いは中央、騎士は左右に展開。“穂先”は俺が行く。殿はマジェス・オーウェン。イゾルデ・ジェイド騎士候補は」
「はっ」
最初の号令の時点でテントは片付いている。風はさほどない。時刻は昼過ぎ。灰色の空に雪はちらつくが視界は良好。
研修引率者ログムの急な指示に全員が粛々と従うなか、名を呼ばれたイゾルデはきりりと返事をした。
それから少しの間を空けて。
ログムは有無を言わさぬ口調で命令する。
「オーウェンの馬に乗れ。今から寄る、ホロン村では不測の事態が起きていると考えられる。予定にない進路ゆえ、後方での状況把握と判断を学ぶように」
「は、はい」
肩透かしを食らうが、隊長の言うことはもっともだった。
将来的にイゾルデは将軍位を担う。北公位を継ぐ。
そのためには剣術はもちろん、場を見極める冷静さや判断力をこそ養わねばならない。
素直に下馬し、手綱を持ったまま近づいたイゾルデに、馬上のオーウェンが手を差し出した。
「前へどうぞ、イゾルデ嬢」
「えっ。お邪魔ではありませんか?」
「いいえ、全く。それに、後ろでは私の背中しか見えませんよ」
「……ああ、たしかに」
納得して馬の首側に回り、一旦降りたオーウェンに介助されて鞍の前よりに騎乗する。間髪入れず、ひらりと後ろ側に長身の魔法騎士が跨った。
「では、出発!」
一同の一連の動きを見届けたログムが声を張り上げた。
* * *
整備された街道を右に逸れ、枯れ草がまばらに生える丘陵地をゆく。右手下方に細い川が流れる。おそらくはあの源流近くに「ホロン」がある。イゾルデは、実際に足を運ぶのは初めてだった。
進路の取り方から察するに、地元出身者であるログムに迷いはない。やがて「ホロン渓谷」と看板の立つ山の麓に差し掛かった。騎士隊は縦三列となって粛々と進む。
スピードが緩んだこともあり、イゾルデは見るともなく辺りに注意を払った。
足元は簡素ながら石畳で舗装されている。川沿いは柵が巡らされ、よほどの勢いでなければ転落はしなさそうだ。対向車とすれ違うための車寄せも設けられており、辺鄙な場所とは言い難いほど整備されている。
昔は馬車が一台通るだけで精一杯だったという。
八年前。先代北公夫妻がここを通りがかったときは。
(ここで……父上と母上が)
つい、気持ちが沈んだ。胸を塞ぐ思いに身を固くしたとき。
「――大丈夫ですか」
「っ、先生」
背後から身を寄せられ、至近距離で声をかけられた。
迂闊にも驚き、どきりとする。
沈黙をどう取ってか、オーウェンは気遣わしげな嘆息を落とした。
「申し訳ありません。隊長も心配していましたが……ホロンへは、本当に哨戒の必要があるのです。斥候から報告がありました。村の辺りからいくつも煙が上がっていたそうで」
「煙? 火事ではないですよね。獣が動いていない」
「ええ。そして、複数の声を聞いたと」
「悲鳴ではなく? 賊でしょうか」
「わかりません。だから行くのです」
「ああ…………なるほど。そうですね」
ありがとうございます、と呟いたイゾルデは、再び前を向いた。
弱さを封じる。瞬時に意識を切り替える。
向かう先には助けを求める民がいる。その可能性が高い。
いくら大事に至らないよう考慮されているとはいえ、見習いの演習はピクニックではない。
予定された日程をただこなすだけなら、そんな騎士団はくそ食らえだ。いざというとき、何の役にも立たないではないか。
――――――――
ぴん、と伸びた背中。
馬の駆けるリズムにぴたりと添うみごとさで、イゾルデは自然に不要な力を抜いている。
オーウェンはフードを被った腕の中の後頭部に微笑み、寄せていた上体を戻した。
* * *
村まで辿り着くことなく、事の次第は判明した。
蹄の音に気づいた村人数名がこちらに気づき、松明を手に必死な形相で訴えてきたからだ。
「きっ、騎士様! 良かった、お助けを!!」
「どうした、落ち着け。何があった」
“槍”の陣形で先頭にいたログムがこれに対応した。
曰く、昨夕から姿の見えない子どもたちがいる。その数三名だと。
「三人も。年は? 何か言っていなかったか? どこかへ行くとか。村に出入りした余所者は」
矢継ぎ早な質問に、目の下の隈が痛々しい老人が答える。「余所者は誰も通りませなんだ。ワシの孫が……ワシは村長でございます。あいつが最年長で十一。下は六歳の女児。もう一人は九歳の男児で」
「お孫どのも男児か」
「へえ」
「となると、遊び仲間は? 彼らは何と」
「へっ!? あ、そういえば……聞いとりません。お待ちを」
憔悴著しい村長が、さっと側の中年男性に目配せをした。
わかった、と頷いた男は足早に村へと取って返した。
村長の案内で――道は一本しかなかったが――見えた村は、なるほど火事と間違えてもおかしくない有り様だった。
薄暗い山を探索するのに大人が総出で松明を持っていくものだから、村の備蓄をありったけ出しているようだ。
長時間の外歩きで凍えた人員を温めるため、大々的に火が焚べられている。(子どもたちの安否もだが、本格的な冬が来る前に追加で物資を補給をしないと)と、イゾルデが懸念を抱いたころ。
先ほどの男性に連れてこられた、十歳くらいの男の子がべそをかいて現れた。
「おっ、おれ! わざとじゃないんだ! まさか、リジーまでついて行くなんて、思わなかったから……」
「!? どういうことだ」
村長が宥めすかして聞いたところ、少年もまた孫のひとりだった。行方不明になった男児の従兄弟だという。
少年が口にした場所に、大人たちはいっせいに顔を青ざめさせた。
―――― 滝壺の祠。
ホロンの山奥、水源近くの滝に、先人が精霊を祀った岩室がある。
少年はきのう、喧嘩の売り言葉に買い言葉で、そこにしか生えていない大樹の枝を折ってこい、と、けしかけたらしい――