19 姫を護る魔法騎士
冬の行軍は、本来ならないほうがいい。
にもかかわらず、それを敢行するには理由があった。
「またこれをやる羽目になるとはね……」
北公領騎士団名物・冬の遠征演習。その最たる目的は騎士の卵たちが国境地帯手前まで実際に進み、数百年に及ぶ防衛砦の役割について深く学ぶこと。
ゼローナ王国の騎士団は治安維持や要人警護に加え、魔族領からあふれる魔獣討伐を活動の旨とする。
魔獣は季節を問わない。ゆえに一番過酷とされる真冬に準ずるかたちで初冬が選ばれてきた。歴史を紐解けばまだやさしいほうだ。(※人魔大戦のさなかであれば、即実戦が常となる)
北都アクアジェイルから国境沿いの砦までは騎馬で二日を要する。途中の宿営も野営演習の一環であり、ある程度の図太さや体力は必須。次期公爵だから、女だからと厚遇はあり得ない。また、公平な待遇はみずから望むところなのだが。
地平に迫る黒々とした森に目を遣り、持参した角砂糖を愛馬に与えたイゾルデは深くため息をついた。
「どうしましたか? 優れませんね、疲れましたか」
「オーウェン先生。いえ、大丈夫です」
他の見習いたちもそれぞれ馬の世話をしたり、体を休めている。砦まではあと少し。
だが、途中で大粒の雹に降られて街道脇に逸れ、簡易のテントを張った。手慣れた先輩がたやオーウェンのような手練れの魔法士も同行しており、急な天候の変化以外では何のアクシデントもない。おだやかな道行きと言える。
イゾルデは、くすりと笑った。
「仕方のないこととはいえ、まさか砦研修を二回もするとは思わなくて」
「ああ……そうですね。確か、去年は砦に着く直前で魔獣が出たんでしたか。担当騎士はソードだったかな」
「はい」
「毎年、何かしら起こりますからね。ふふっ、留守番になった彼はさぞかし気を揉んでいることでしょう」
ほがらかに笑うオーウェンは爽やかだが、若干意地が悪い。
イゾルデは苦笑ぎみになって、北都の方角へと視線を滑らせた。
「そんなことはないですよ。ソードは立派な騎士です。今ごろ、ちゃあんと平常心で業務をこなしていますとも」
「――貴女の信頼に足る騎士というわけですね」
「それはまあ……ユーハルト同様、長い付き合いですし」
ユーハルト、と口にすると生まれる、胸のなかの仄かな甘さと不安に眉をひそめる。
気を揉んでいるのは、むしろ自分だ。
毎年、冬の寒さは着実にユーハルトの体を苛む。もしも自分がいない間に“何か”があれば。そんなことにならないよう、今年はできるだけ体力向上訓練に時間を費やしたつもりだが。
すん、と肩を落とした拍子に「イゾルデ嬢?」と呼ばれ、顔を上げる。すると、不意に何かを口に入れられた。つるんとして丸い、小さく甘いもの。飴だ。
「先生」
「疲れたときは甘いものがいいですよ。持ち歩いてるんです」
「……どうも……?」
呆気にとられ、まるで馬扱いだなと思わなくもなかったが、いかにも紳士でおとな然としたオーウェンが飴を常備していることに驚く。
おまけに、舐め終わらなければ喋ってはいけない気がして、静かに口のなかで転がしていると頭に手を乗せられた。余計にびっくりする。
「!??」
「残念です。研修だからこんなに側にいられるわけですが、研修だから、これ以上何もできない」
「っ、オーウェン先生? 何を」
ごくり。
慌てて噛んだ欠片を嚥下し、ちくちくする胸を押さえながら眼鏡の魔法士を仰ぎ見る。頭を撫でていた手は、するりと離れた。
ちょうど引率の騎士隊長に呼ばれたオーウェンは、「今行く!」と返事をしてからイゾルデに囁く。
「お忘れかもしれませんが、私も貴女の夫になれる資格があります。――私は、あまり遠慮はしない。できうる限り貴女の支えでありたいと願っているので」
「!」
「では」
軽く一礼したオーウェンの灰色の瞳が真っ直ぐにイゾルデを射抜く。
目をみはるイゾルデを残し、長い髪を翻したオーウェンは、ゆっくりとその場を去った。
テントをぱらぱらと打っていた雹は、いつの間にか無音。
雪になっていた。
* * *
「すまないな、オーウェン」
「いや、どうした? そろそろ出るか」
「ああ。そのことなんだが」
見習い十余名。補助の騎士と魔法士五名。それらを束ねる隊長は名をログム。平民出身だが最北の村出身で土地勘があり、腕っぷしも強い。普段は第四隊の副隊長を務めている。
その男が顔を曇らせる。広げた地図をオーウェンに示し、いくつかの地点をトントンと指で弾いた。
「雪だしな。先に砦に入っちまおうと思ったんだが、斥候から気になる報告を受けた」
「? どうした」
つられて難しい顔になり、腕組みしたオーウェンが地図を覗き込む。
現地点は整備された街道の終わり付近。ログムが叩いたのはそこから外れたホロンという村だった。「ホロンで何か?」
――あまり良くない名前だった。
こと、イゾルデには聞かせたくない。
それはログムも同じなのだろう。大の男が額を合わせ、ひそひそと声を落とす。
「狼煙とも火事とも違うようだが、煙がいくつか。住民が騒いでいるらしい」
「それは」
「最悪、魔族領の流れ者が徒党を組んで悪さをしたか、こっちの人間が賊になったか……。はたまた、何か別の事件か。ルートを変えたほうが早いだろうな」
「道は? 例の?」
「ああ。予定した峠道じゃない、先の北公夫妻が落命された道になる。ハワード閣下がすぐに補修してくださったろう。我らの規模でもじゅうぶん通れる」
「……なるほど」
相槌が重くなるのは否めない。が、村のことは気がかりでもある。
オーウェンは、ちらりと背後を振り返った。向こう側に佇む少女を眺める。彼女ならば。
「わかった。状況如何で、私はイゾルデ嬢の守護を最優先にする。気にせずやってくれ」
「助かる。そうさせてもらう」
――――……領民の安寧は演習に勝るでしょう、と、戦女神よろしく陣頭に立ちかねない。剣を手に。
付き合いの長さに関係なく、彼女を理解すると自負する。
オーウェンはきびきびと動いた。ログムの膝から地図を取り上げ、足元の荷袋にぽいっと放り込む。
それから、おもむろに髪をかき上げた。
「今年の見習いは、ちょっとばかり危うい。彼女がどんな立場にあるかたなのか、思い出させるのもいいだろう」




