17 騎士姫の手ほどき
ゼローナ北部の冬の訪れは早い。かつ、容赦ない。
それは北都アクアジェイルにおいても例に漏れず――
「ご機嫌よう、ユーハルト。来たわよ!」
「こんにちはイゾルデ。えっ……まさか、またやるの?」
「もちろんよ。さあ来て」
「ええ〜」
――突撃・幼馴染みの邸への予約なし訪問はお手のもの。
男装のイゾルデは、にっこりと笑った。
* * *
秋の見舞いからあっという間に時が経ち、現在は十一の月半ば。山間部では雪が降り始め、平地もぐんと冷える。どんな貴族も平民も、装いはすっかり秋から冬のそれになる頃合いだ。
そんななか、残念ながらユーハルトは以前に増して引きこもりになった。
――しょうがないかな、と、イゾルデは思う。
彼の本来の外出頻度は週三度。小康状態を維持するためのギリギリのラインがそれらしく、基礎体力値が徹底的に低い。そこに、オーカの精霊事件が起きたのだから。
氷の妖精たちにはずいぶんと生命の力をもぎ取られたらしく、見舞い以降の彼は明らかに邸で過ごす日が増えた。
もともと常勤できる状態にないから与えられた”特別魔法士“という称号は、事件の仔細を知らない人間には名のみと映る場合がある。
イゾルデは、そんな好奇の噂を何度となく耳にした。
できる限り、都度打ち消してきたつもりだが、彼が騎士団舎に寄り付かなくなったのは、それもあるのかもしれない……。
つまり、会うためには赴くしかない。
こうして、イゾルデは鍛錬や勉強の合間に頻繁にコナー邸を訪れるようになった。
* * *
押し問答の結果、イゾルデは煮え切らないユーハルトの腕をぐいっと掴み、椅子から立たせた。
すると、バランスを崩したユーハルトの体が傾いだため、慌てて両腕で支えた。
「わっ」
「! ごめんなさい。大丈夫?」
「いや、こっちこそごめん」
「う、ううん。平気」
自然と距離が近くなり、ふたりとも瞬時に顔を赤くさせる。
杖になったと言えば聞こえはいいが、まるで抱きついたような按配だ。ユーハルトの手が肩と腰に回されているのもいけない。
おまけに、いつの間にか身長差が開いている。少し前までは同じくらいだったのに。
見上げた額に彼の長い前髪がかかり、ともすれば唇が触れてしまうのでは…………と感じるのは錯覚だろうか。
そう、あの日のように。
(〜〜雑念ッ! 消えて! いまのは事故!!!)
とっさに離れ、ぶんぶんと顔を横に振り、深呼吸をしてからユーハルトに向き合う。
――そう、ダンスだと思えばいい。レッスンなら教師とたくさんした。今度からは急に引っ張らないようにしないと。
そっと、手を差し出した。
「おいでいただけますか、ユーハルト殿。ご両親の許可はいただいております」
「………………」
「何」
「イゾルデって、ときどき生まれた性別間違えるよね」
口をぽかんと開けつつ体勢を立て直すユーハルトに、イゾルデは首を傾げた。
「性別……ときめいてくれたってこと? 私のエスコートに」
「男の僕が、きみの紳士な所作にくらっと来てどうするの。待って、いまの無し」
「無しって」
不満げなユーハルトの言い草に子どもの頃を思い出し、イゾルデはころころと笑う。
雪の深いコナー伯爵領では、冬の無聊を慰めるためにたびたび遊戯盤を持ち出していた。
そんなときの他愛のないやり取りに似て頬がほころんだのだ。
ユーハルトは、そんなイゾルデを眩しそうに見つめてから手を重ね。おもむろに、もう片方の手を下から添えて包み込んだ。
「な……っ!?」
「行きますよ、姫君。どこ? やっぱり玄関ホール?」
「そっ、そうよ」
眉を下げ、声を震わせるイゾルデに困り笑いを向けたユーハルトは、するりと指の角度を変えた。ふつうに手を繋ぎ、ひらいたままの扉に向かう。
部屋を出る瞬間、ごく小声で呟いた。「イゾルデは女の子だよ。僕の大事な」
「!!? ユユ、ユーハルト?」
表情は窺えず、それでも手と声があたたかい。
イゾルデはそれ以上を訊き返せず、とてもこそばゆい面持ちで廊下を連れ立って歩いた。
たいていの家屋敷には鍛錬用の部屋などないため、体を動かすなら玄関ホールがいちばん手っ取り早い。
イゾルデは、あらかじめ控えてもらっていたコナー家の家令から木剣を二振り受け取ると、先ほどまでの乙女ぶりはどこへやら、快活な笑みとともに一振りを幼馴染みに手渡した。
適度な距離をとり、半身・片手剣中段の構えで相対する。
「はい。どうぞ」
「本当にね……イゾルデくらいだよ。僕を剣の稽古に引っ張り出せるのなんて」
「お喋りはいいから。息がもたないわよ? 覚えてるわよね、基本の型」
「うう。了解」
渋々と正面・両手剣中段の構えとなったユーハルトは、意を決して踏み込み、型通りに剣を振るってはイゾルデに軽く受け流される――彼女いわく”準備運動“に没頭させられた。
あまり無茶をさせてもいけない。さりとて、何もしなければ体力も筋力もジリ貧だ。いざというときのため、できる努力は何でもするというのがイゾルデの持論だった。
「私はご両親ほど甘くはないわよ。できるわよね? はい、もう一回」
「……はぁ、はあ。見極めが鬼すぎる!!」
「褒めてくれてありがとう」
「褒めて、ないぃ……!」
――――――――
ユーハルトが懸命に剣を振るう姿を、家令は如才なく見守り、稽古後の若者たち(※若者たち?)が体を休めるための準備もそつなく手配するのだった。