12 魔法士ユーハルト
「とんでもないことをしてくれたな。イゾルデ」
「……申し訳ありません、閣下」
夜。公爵邸に戻ったイゾルデは、公務から帰ったハワードの書斎に急遽呼び出された。
オーカの街で起きた不思議な事件――ともすればゲルン伯爵家の不祥事にもなりかねない――は、未然に防がれたのだ。ぎりぎりで。
その立役者が、魔法士ですらない虚弱な少年・ユーハルトであること。彼を独断で現場まで連れて行ったのがイゾルデであること。
それらすべてを早馬の報告書で知らされたハワードは、ちっとも悪びれずに謝罪の言葉を口にする男装の養女に「頭が痛い」と漏らした。
ふだん通りの装いとなったイゾルデが、神妙な顔つきで首を傾げる。
「お風邪ですか。いけませんね、予定を早めて無理にとんぼ返りなさるから――」
「たわけ! これくらいで儂が体を壊すものか。其方の破天荒ぶりに頭を悩ませているのだ」
「左様で」
うっそりと聞き流す体で視線を逸らす。
執務机には二枚の報告書。
うち、一枚は当事者でもあったロドウェルが。もう一枚は担当魔法士総括としてオーウェンが記したものだとサインでわかった。後ろ手を組み、流し見でそれらを確認したイゾルデは、自分が唯一悪いことをしたと悔やむ点について白状する。
「ユーハルトは」
「其方みずからコナー伯爵家の公都邸に送り届け、領地のコナー卿に詫びの手紙を書いたそうだな。聞き及んでおる」
「はい」
答えながら顔を伏せた。唇を噛む。
あのあとは大変だった。嵐よぶ雲の乙女が去ったとたんに昏睡したユーハルトと宿主のベロニカを別室に移し、ハワードとゲルン伯爵親子に報告。最寄りのオーカの神殿からは癒し手の神官を派遣してもらって。それでも目覚めないユーハルトを連れて戻ったのが日没前。
幸い外に向けて割れた窓ガラスで怪我をした者はおらず、人的被害は精霊を宿したベロニカによって吹き飛ばされた家人や騎士、魔法士が打撲や腰痛などを訴えるのみ。
――蒼白な顔で、まだ目覚めない。ユーハルト以外は。
痛切な表情のイゾルデに、ハワードはほんの少し目線を和らげた。
「父親のコナー卿から儂宛に、『イゾルデ嬢には過分な心配をなさらないように』と、言伝を預かった。小型竜だ。配慮をいたみいる、と」
「いえ、そんな」
小型竜は、早馬よりもさらに速い。大きさは猛禽類ほどで、ある程度の家格の貴族家にはたいてい一頭が飼育されている。有事の際に用いられる特急便だ。
まさか、そんな貴重な連絡手段を……と、恐縮するイゾルデに、ハワードの白眉が下がる。
「意識はまだ戻らぬらしいが、普段からよくある症状らしい。コナー家の侍医の見立てでは早晩体温も戻り、目が覚めるだろうと。其方、改めて見舞いに行ってやるといい」
「! 宜しいのですか」
「早合点するな。儂の名代だ。いくらデビュタントを先延ばしにしたとは言え、そろそろ公務も覚えねばならんだろう――ただし、騎士としては見習いなのだから相応しくない。手順を踏んで日にちを整え、正式にジェイド公爵家の跡継ぎとして動きなさい。随伴には儂が選んだ婚約者候補たちを付ける」
「正気ですか? こんな髪で?」
「何。構わんだろう。報告書にあった『キーエ嬢』などは、栗毛の鬘だったそうではないか」
「……バレましたか」
「さて、何のことかな」
しれっと言い放ち、机上の報告書をかさね、トントンと端を合わせる。隅に置くと、ハワードは細く長い溜め息を吐いた。
「侍女長が、あの日、其方が切り落とした髪でうまく付け毛を作ったそうだ。役立てなさい」
「は、はい」
わかりました、と頷き、一礼を残して去る背中に、ハワードはさらに追撃の一手を投げかける。
「もし、コナー卿の子息の意識が戻り、本人に受ける意志があれば、『北公領騎士団の特別魔法士隊に叙す』と伝えなさい。任命書は明日までに用意しよう。…………手柄は、手柄なのだから」
「!!!! あ……っ、ありがとうございます!!」
驚き、弾けるような笑顔に、ハワードは「仕方ないな」と独り言ちた。
* * *
――イゾルデはとっくに退室している。
老将軍の髭に隠れた口元がもぞもぞと動き、「あくまで、あくまでも候補だ。ふさわしい職務を与え、婚約者の候補として数えてやってもいいだけだからな……?」と付け加えるのを、もちろん誰も聞くものはいない。