11 精霊帰還
「ロドウェル貴方まで! この体がいやだと言うから、そっちの娘にしようとしたのよ? どきなさい!」
いまや、地団駄を踏まんばかりに怒鳴り叫ぶ貴婦人に、当のロドウェルはぎりりと歯を食いしばった。気持ちがそうさせるのだろう。抜くに抜けない剣の柄に、そろりと手をやっている。
「ふざけるな。義姉上の次はイゾルデ嬢だと……? 嫌だね、絶対」
「何ッですって!? その娘、貴方の何なの!」
ベロニカはいっそう怒りを募らせた。
ロドウェルはこれに、律儀に反応する。
「む? そうだな、彼女は」
「落ち着いてロドウェル殿。これ以上刺激を与えちゃいけない。ええっと……雷、熱、風……気性が荒く惚れっぽい………………あ!」
思案にくれていたユーハルトは、ハッと顔を上げた。
訝しげなベロニカを、ひたと見つめる。
「凄い。主神様よりも前の時代の渾沌の精霊の一柱。“嵐よぶ雲”の乙女……『タイフィーニア』?」
「あら。知ってるの? 物知りだこと」
「言ったでしょう、僕には妖精の友だちがいると」
「「「!?!?」」」
一転、敵意を薄らがせたベロニカに三者は息を呑む。
正確にはユーハルトの言葉に。
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ここ、ゼローナ王国の国教は天地創造神のみを主と定めているが、神話に付随して天地を司るあまたの精霊も存在したと伝えられた。お伽話のたぐいだ。
(……『タイフィーニア』。南からの熱をはらむ風の乙女。ときどき、地上で好みの人間を見つけては雷となって降りて、戯れの恋をしたとか。それ!? 本当に???)
同じように、はくはくと口を開閉しているオーウェンが興奮も露わに立ち尽くしている。
――わかる。伝説を目の当たりにしてしまった衝撃は、並大抵の理性では御せない。
こと、魔法分野における“渾沌の精霊”は、一大学術の系譜を占める。重要な根拠となっている。
すなわち、魔法の根源。
人間たちにも操ることができる、森羅万象の“力”は、彼らから借り受けているのではないか、とされる説だ。
なお、詳しくはわからない。イゾルデは、どちらかと言えば剣術のほうが得意で……――
ぼうっとしている間に毒気を抜かれたらしいベロニカ――もとい、タイフィーニアは、やれやれと肩をすくめた。やたらと人間らしい仕草だった。
「あーあ、つまらない。興ざめだわ。正体を当てられたら契約無効だなんて、主神様はなんて人間贔屓なのかしら」
「僕たちは助かってますが」
「ふうん、そう。――ね、貴方。ロドウェル? 気が変わったら呼び出してちょうだい。わたし、貴方のその髪の色が大好きなの。昔、恋したひとに似てるわ」
「光栄だね。まぁ、相手によりけりかな」
「〜〜ロドウェル! 貴様、これ以上安請け合いするな、この馬鹿が!!!」
「って!? 痛いな、殴るなよオーウェン」
「…………痛い目を見るのは、今度からは自分ひとりにしてくださいね、ロドウェル殿」
「ふん」
どうやら危機を脱したらしい空気に、イゾルデは肩の力を抜き、胸を撫で下ろした。
(さて、あとは、どうやって精霊にお帰りいただくか)
黙って事態を見守っていると、ふいにユーハルトがこちらを振り返った。真顔でつかつかと歩み寄り、おもむろに抱きしめられる。肩口に直接かかる、安堵の溜め息。
「えああ!? ゆ、ユーハルト?」
「良かった……きみが無事で」
「えっ」
こんなに至近距離で声を聞くのも、抱擁されるのも、初めてだった。勝手に上がる体温におろおろしつつ、背に手を添えると。
「……ユーハルト……?」
胸のなかが、すん、と冷えた。
震えている。つめたい。おかしい、私の体が熱いからという以前に。
ぐらりと傾ぐ、同じほどの背丈の彼を支える。懸命に抱き返した。
異変を察した大人二名は顔色を変える。オーウェンが「しまった」と口走った。
「そうそう。わたしはこれで帰るけど。その坊や、危ないわよ。せいぜい温めてやることね」
「どういうこと!? 先生、これは――うっ」
たまらず目を瞑る。
宣言通りにベロニカが片手を振ったあとは閃光が迸り、窓ガラスを派手に割って空へと還って行った。
かかる比重によろめき、それでも足を踏ん張る。
外見よりも重く感じるそれは、ユーハルトが完全に意識を手放した証拠だった。