邂逅
暗い闇の中にたたずむ巨大な魔王城。その最上階の部屋に二つの人影があった。シンプルだが高級感のある木造りの椅子に足を組み、ひじ掛けに頬杖をつきながら正面の巨大な扉を静かに眺めている男が一人。黒々とした髪をオールバックにし、口元には整ったひげを生やしており、精悍な顔つきをしている。威厳はあるが、若々しく30代半ばにも見える。ツヤのあるスーツのような衣服に身を包んでいる彼を知らない者が見てもかの全ての闇を支配する魔王だとは思わないだろう。
その傍らには揃えられた長い前髪が鼻先まで伸びている男性用の給仕服を着た角と羽を生やす悪魔が立っていた。こちらは見るからに闇の住人だと示す姿をしているがそのシルエットは明らかに女性的なものだ。
二人は身動き一つ取らず、瞬きすらしない。ただその静寂の空気は緊張ではなくもっと別のもののように感じる。
やがてその空間にかすかな音が届くようになる。巨大な扉の向こう、この部屋に続く廊下に敷かれた絨毯を踏みしめる音が。ゆっくりと、しかし確実に近づいてくるその音は扉の前でぴたりと止まる。
「開けてやれ」
静かに、だが深みのある声で魔王は側近の悪魔に告げる。それを聞きただ静かに歩きだし石造りの床をこつこつと鳴らす。両開きの扉の片側に手をかけ、ゆっくりと開く。
「入ってよいぞ」
再び魔王は口を開く。先ほどと同じ深みのある声だが、少し柔らかく聞こえる。
扉の陰から一人の男が姿を現す。白い髪に白い衣服、背にまっすぐな券を背負っているその姿は長旅で汚れたのか魔王と比べると少しみすぼらしくも見える。だが立ち姿とそのまなざしからは明らかに神聖なものを感じる。過酷な長旅の末にたどり着いたとは思えない柔らかな表情からも彼が特別な存在、最も強い光を放つ、勇者と呼ばれる存在であることがわかる。
明らかに対となる二人は目線を合わせているがそれは対立ではなく一つのもののように静かにつながっている。
「あなたが」
勇者が口を開く。放つ光と同様に透き通るような声で問う。
「うむワシが魔王じゃ。まあ座れ、疲れたじゃろ」
先ほどとは打って変わってまるで古い友人にそうするかのように砕けた態度をとる。
勇者は美しい彫刻がなされた大きな机を挟んだ、魔王の向かいの椅子を引き、そこに座る。
「仲間はおらんのか」
「旅の途中で皆死にました」
「そうか」
答える勇者の目に悲しみの色は無く魔王もまた、ただ事実を確認したように返事をする。
「おい」
側近の悪魔に合図をすると素早く勇者の目の前に品の良い香りを放つ温かいお茶が注がれたティーカップとシンプルな白い皿に乗った丸い焼き菓子が置かれる。
「まあ食え。うまいぞ」
その口調と同じく砕けた表情で言う。
勇者は静かにカップを手に取り、その茶の香りを目を閉じて嗅ぎ、口をつけた。目を開け、ゆっくりと息を吐く。より弛緩した様子を見せる。白い皿に乗っている焼き菓子に目をやり、添えられているフォークを無視し、手掴みでそれを手に取り一口で平らげた。その姿を見て魔王は少し目を丸くして笑う。
「意外とよい食いっぷりじゃな。もっとうまいものを用意させればよかったの」
口元に笑みを浮かべそう言う。
「いえ、十分です」
「そうじゃな。腹いっぱいでは動けんしの」
魔王はそう言い目を細め、ゆっくりと背もたれに体重を預けた。目を閉じ、静かに息を吸い、吐き出してこう続けた。
「結局こうなってしまったな」
勇者は黙って聞いている。
「まあいずれこうなる事はワシにはわかっておった」
目を細めたまま魔王は続ける。
「…太古の昔より人間は自らのうちにある闇によって長らく苦しみ続けていた」
「争い…憎み…奪い…殺し…」
「自らの闇によって破滅するのも時間の問題であった」
「そして人間はその闇から逃れるために自らの中から闇を切り離す術を見つけた」
「そうして奴らは純粋な光の存在になり、そして我らが生まれた」
「光と闇を完全に分かつことで平和を生み出した。…奴らにとってのな」
少しだけ侮蔑を含んだニュアンスを含ませ魔王はそう言った。
勇者の目を見つめ更に続ける。
「だが長い時が過ぎ、奴らはその事をを忘れ再び我らを拒絶した」
「切り離したはずの闇が。恐怖が奴らのうちにまた姿を現した」
「憎しみはこれまで以上に膨らみ、戦いの日は大きくなった。純粋な光の存在であるお前が剣を取らねばならぬほどに」
「そうしてワシと今、顔を突き合わせとるというわけじゃな」
「…この時代を終わりにするために」
そう言って魔王は再び目を閉じる。
勇者はこの部屋に来た時と変わらない表情で沈黙している。
「……終わりにするしかないのでしょうか」
ようやく勇者が口を開く。
魔王も静かに目を開きそれに答える。
「こうして出会っているのが答えじゃ。お前もわかっているのだろう?」
「闇とその力にのまれない強固な魂を持つワシがこの地で王として最低限の秩序を保ってきた」
「しかしそれも限界じゃ。この星が争いによって壊れようとしておる」
対話が終わりを迎えたことを示すように魔王は静かに立ち上がる。
勇者はただ眼を閉じている。あくまで表情は変わらないが決めるしかないそれを自分の中で決断しているように見える。
静かに立ち上がり、目を開け、そして背中に差す剣の柄を握る。
まるで音を立てずに姿を見せたその刀身は勇者の剣というにはあまりにも簡素な見た目ではあったが明らかに尋常ではない光を放っていた。
「まぶしいのお…」
気の抜けたその言葉が開戦の合図となった。