09.最強の代理人の大仕事
セルジュからデリウスに決闘の申し込みがあった翌日。マノンの元に、いや――最強の決闘代理人ノアの元に新しい依頼が届いた。
手紙での依頼だった。封蝋に刻まれたイルゲーゼ侯爵家の家紋を見て、事情をすぐに察する。
「これはとんでもないことになるような……」
封を切って中身を確認し、天井を仰ぐマノン。仕事の依頼をして来たのはデリウスだった。しかも、セルジュとの決闘の代理。まさか、自分の結婚相手を決める決闘の代理を頼まれることになるとは夢にも思わなかった。
マノンは基本、選り好みせず公平に依頼を引き受け、全ての決闘で全力で戦うことを信条としている。でも今回ばかりはどうしたものかと悩んでしまった。仮に引き受けて、デリウスとの婚約を破棄するためにわざと負けることもできる。でもそれでは、これまで代理人として掲げて来た矜恃に反する。
「リージェ神は正しき者を救う……か」
マノンは手紙を持ちながら、ソファの背もたれに上半身を預けた。怖気付いたデリウスのことはさて置き、マノンの元に依頼が来たのも何かの縁だろう。
マノンは侍女に便箋を用意させ、デリウスに依頼を受ける旨を記した返事を書いた。
◇◇◇
その日の午後。馬鹿げた決闘を申し込んだ当人、セルジュがポリエラ伯爵邸を訪れた。大公の訪問とあって、使用人たちは今までに見せたことがないほどの働きを発揮し、塵ひとつないように徹底して窓や床を磨き抜き、歓迎の準備をした。
応接間にて。
いつもデリウスが座っているソファに、今日はセルジュが座っている。
貧乏伯爵家の年季が入り糸がほつれたソファには、あまりにも不釣り合いな高貴さを漂わせている。
(どうしてセルジュ様は……決闘なんて挑んだの?)
決闘は遊びではない。己の名誉と潔白を賭けて命懸けで行うもの。たった一度会った女のために簡単に行うようなものではない。
いぶかしげに彼のことを見つめていると、彼はマノンの気持ちを見透かしたようにくすと笑った。
「どうして決闘なんて? という顔をしてるね」
「!」
マノンは図星を突かれてぎくっと顔をしかめた。
「――マノンのことが欲しくなったから。ただそれだけだよ」
「欲しっ……!?」
ますます混乱して目を見開く。その直後、応接間の扉がばんっと開く。扉の外で父が会話を盗み聞きしていたらしい。セルジュはマノンのことを「欲しい」と言ったことを聞かれていたと知っても全く動揺せず。さっと立ち上がって、父と自然に挨拶を交わした。父はマノンの隣に腰を下ろし、何度も額の汗をハンカチで拭いながら言った。
「た、大公閣下はなぜ、娘のことを気に入ったのですか……?」
マノンも気になり、賛同するように隣でこくこくと頷いた。するとセルジュは、一も二もなく答えた。
「ひと目惚れです」
「「ひと目惚れ」」
父とマノンは顔を見合せて目を見開いた。セルジュは人好きのする笑顔で続ける。
「とても愛らしいお嬢さんでしたので」
予想外の答えだったが、父は急に上機嫌になり、誇らしげに鼻を鳴らした。
「うちの娘は亡き妻に似ているんです」
母はマノンが幼いころに死んだ。父はよく、若いときの母は舞台女優のように美しかったと絶賛している。だから、彼女に似たマノンが褒められて嬉しいのだろう。分かりやすすぎる。
「ではきっと、ご夫人もとても美しい方だったのでしょうね。お会いしてみたかったです」
「そうなんです! ああ、エントランスに肖像画があるので後ほどぜひご覧ください!」
(そうなんです、じゃないから!)
父はもうセルジュの手のひらの上だ。見るからにるんるんの様子で、しまいには亡き妻との惚気話をし始めた。セルジュは嫌な顔ひとつせず、父の気分が良くなるようにスマートな聞き役に徹している。更に、伯爵家の財政立て直しに協力することと、優秀な財務官を派遣してくれることを提案され、父の心は鷲掴みにされた。
(お父様、すっかり手懐けられてる……。私はそう簡単に懐柔されないんだから)
きっとセルジュは、父が愛妻家だったことも、財政に関してポンコツであることも事前に調べて来ているのだろう。
(こういうのは何か裏があるに決まってる)
突然の求婚なんて、いくらなんでも怪しすぎる。何か企んでいるのかもしれない、とマノンはセルジュを疑いの目で見た。
「いやぁ、大公閣下はお若いのにしっかりなさっていて素晴らしいお方だ! リージェ神は正しき者を救うと言います。決闘の結果、期待していますよ。ははっ!」
「ご期待に添えるように頑張ります」
何が期待していますよ、だ。いい歳をして浮かれすぎていてみっともない。見ているこちらが恥ずかしくなってくる。
「せっかくですから、若い者同士娘と二人でお話されてはいかがでしょう。親睦を深めるために」
「よろしいのですか?」
「もちろんですとも! では、邪魔者はさっさと退散しますかなぁ。ははっ」
父は決まりよく目配せし、にこにこの笑顔で応接間を出て行った。マノンとセルジュだけが残されて、気まずい雰囲気になる。
「あの……本当、父がすみません。あれでも家督を守るプレッシャーをずっと感じていたんです。お恥ずかしいところをお見せしてしまいましたが、ご容赦を」
「いいや。お茶目で素敵なお父様じゃないか」
「そう言っていただけると救われます」
マノンは彼をまっすぐ見据えて尋ねた。
「セルジュ様も、リージェ神の祝福を受けたポリエラ伯爵家の女傑をお望みですか」
大公家が遥かに格下の貧乏伯爵家に妻を望む理由なんて、それしか思いつかない。所詮、女は強い後継を産ませるための道具に過ぎないのだ。
「…………」
どきどきと脈動が加速していく。セルジュがなんと答えるのか、不安になった。マノンを妻に望んだのが、デリウスの家と同じ理由であってほしくない、そういう思いが心の奥にあったから。
セルジュはしばらくの沈黙のあと、笑顔を崩すことなくあっさり答えた。
「ああ、そうだよ」
やっぱりそうだった。きっとそうだと分かっていたのに、胸の奥が切なくなる。セルジュはマノンに好意はなく、血筋しか見ていなかったのだろうか。肩を落としたマノンを見て、セルジュは淡々と付け加える。
「けれどそれは、最初だけだ。嘘はつきたくないから、正直に言うよ。妃候補を探す中で、リージェ神の祝福を受けるポリエラ伯爵家の令嬢は候補にあった。……俺はずっと、社交の場に出なかった。どうしてか分かる?」
「社交の場がお嫌いだから……でしょう?」
セルジュは何かと社交界で噂になっていた。公の場に顔を出さないので、社交嫌い、女嫌い、気難しい、変わり者などと色々言われている。
「不正解。本当は、俺の体が――弱かったからだ」
「……何か持病があるんですか?」
「いいや、そういう訳じゃない」
スフォリア大公家は、代々知勇に優れた者が生まれる。しかし、身体は弱かった。セルジュもその血筋を受け継ぎ、幼いころから体調を崩すことが多かったという。ほとんど風邪を引かないマノンには全く想像もつかない。最近亡くなった彼の父も、普通よりずっと身体が弱かったとか。大公家の人間の多くは早死にだそうだ。
「身体が弱くなったのは、大公家が勢力を拡大するために上流貴族と近親婚を繰り返した結果だ。だから近年は、できるだけ健康で生命力が強い女性を妃に迎えるようになった」
「まぁ確かに、私は生命力の塊みたいなものですケド」
「ふふ、羨ましい限りだよ」
「でもどうして、私なんですか? リージェ神の祝福を受けていますが、私は残念ながら賢くはありません。体力だけです」
だからこそ、マノンに固執する理由が分からない。
「ひと目惚れって言ったのを忘れた? 以前、祖父母が決闘裁判をしたことは話したと思うんだけど」
「……」
セルジュは優しく目を細めて言った。
「そこで――君を見つけた」
「!」
そう。セルジュの祖父母の決闘代理人を務めたのは、マノンだ。
(ま、まさかバレてる……!? 私がノアだって)