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08.拗らせた初恋

 

 デリウス・イルゲーゼには、生まれたときから定められた婚約者がいた。名をマノン・ポリエラ。サーモンピンクの長い髪に、深い海を思わせるような青い瞳をしたひとつ年下の娘だ。


 彼女の顔の造形や健康的な体型は好みだったが、それ以外に取り立てて評価するようなところはなかった。聡明という訳でもなく、手先が器用な訳でもなく、愛想がいい訳でもない。だからデリウスは、彼女のことを少しばかり見下していた。


 マノンの家は困窮していて、イルゲーゼ侯爵家に頭が上がらない。どうやら、ポリエラ伯爵家ははるか昔巫女の家系で、今もリージェ神の加護を受けた女傑が生まれるらしい。でも、マノンにはそういった才能の片鱗を感じたことはない。名誉を求める両親はどうして、貧乏伯爵家の令嬢にこだわるのか不思議だった。


 ――しかし、マノンに対する思いが決定的に変わった瞬間がある。それは、父に連れられてポリエラ伯爵領の市民修練場を覗きに行ったときのこと。当時は10歳くらいだった。


「父上。なぜこのようなみすぼらしい場所に来なければならないのですか? ここには、俺たち貴族と会うことも許されない下賎の民しかいないじゃないですか」

「まぁそういうな。黙ってその扉の奥を覗いてみろ」

「……は、はい」


 木の扉の奥で、木剣がぶつかり合う音が響いている。扉をほんの少し開き、中を覗き見る。大柄な大人の男たちの中でひとりだけ、デリウスと同じ年頃の子どもがいた。デリウスは稽古をしてもすぐに音を上げてしまうから、感心する。


(すごいな。あんなに小さい子が剣を? ……って、あの子ども――)


 長いサーモンピンクの髪をポニーテールにして、対戦する男たちを次々に薙ぎ倒していく。


「……マノン」


 大柄な男たちをひとりで圧倒していたのは、なんの取り柄もないと思って馬鹿にしていた婚約者だった。


 デリウスは父の方を振り返る。


「どうしてマノンが……。それに、貴族の女の子が剣を学ぶなんて、変だ……。今すぐに止めさせるべきでは?」


 男は教養を身につけ武術を学び家族を守る。女は子を産み男を立てる。これが貴族の美徳だ。女が武術を学ぶなんて聞いたことがない。しかし父は、デリウスの肩に手を置き諭すように言った。


「あれがリージェ神の祝福を受け継ぐポリエラ伯爵家の娘だ。あの家ははるか昔、リージェ神に仕える巫女を輩出していた。それから必ず、秀でた才能を有した娘が生まれる。ポリエラ伯爵家の娘を娶った家は、繁栄が約束されるとまことしやかに言われている」


 リージェ神の祝福のことも、マノンの剣の腕前のことも、一度も聞いたことがなかった。しかし、今見せつけられた戦いぶりは、常人のレベルを大幅に逸脱しており、彼女が特別な存在なのだと否応なしに分かってしまう。


 なぜ父が、借金を抱えた貧乏伯爵家に肩入れしているのかやっと理解できた。

 イルゲーゼ侯爵家は武家貴族の家系。しかし、ここ何代かは誰も彼もぱっとせず、大した功績を上げられていないのだ。だから、彼女の血筋を欲するのだろう。喉から手が出るくらいに。


「リージェ神から賜った力を持て余すより、ああして発散した方がいいのだろう。決して逃すんじゃないぞ。分かったな」

「はい。……父上」


 父はデリウスの肩に手を置き、そう念押しした。正式に籍を入れるのは成人の18歳になったとき。それまで、絶対にこの婚約が反故になってはならないのだ。


 改めて、剣を振るうマノンの姿を見る。普段の大人しそうな少女が、大人の男たちを次々に倒していくギャップ。なぜかデリウスは、彼女の姿から目が逸らせなくなる。そして同時に、感じたことのない胸のざわめきを感じたのだった。




 ◇◇◇




 デリウスはその日を境に、マノンに惹かれていった。彼女が自分の前でどんな風に振る舞おうと、頭の中には修練場で剣を握る彼女の姿が焼き付いていて。不覚にも、『かっこいい』と思ってしまう自分がいたのだ。


 彼女を好きになるのと同時に、マノンに対する劣等感を抱くようになった。デリウスはいつも自分が人より優位に立ちたいと思っており、マノンのことも下に見ていた。でも彼女は、自分では到底太刀打ちできない才能の持ち主だった。


 男として彼女を上回っていたい。彼女にとって価値のある婚約者でありたい。マノンへの恋心と同時に膨れ上がっていく気持ち。けれど、思い通りにはならなかった。


 そもそもマノンは、デリウスのことを恋愛対象として慕っていなかった。将来の伴侶として良好な関係を築こうとはしていたが、どこか一歩引いていて、深い関係を築く意思は感じられなかった。


 マノンに好かれたくても、プライドが邪魔してつれない態度ばかり取ってしまい、そのまま月日は流れた。そして、16になったころ、ルチミナに出会った。


 とある夜会で貧血を起こした彼女を介抱したのがきっかけだった。


「親切にしていただいてありがとうございました」

「いえ、当然のことをしたまでです」


 広間で急に自分の前で倒れそうになった女を放っておく訳にはいかなかった。無視するより助けた方が周りからの心証がいいだろうから。ルチミナを医務室に連れて行き、少し休ませる。


 触れたら消えてしまいそうなほど、透き通るように白い肌。ウェーブのかかった紫のロングヘアをした可憐な美少女だった。ひとつひとつの所作が洗練されていて、貴族令嬢の模範のようだった。公爵令嬢という文句の付けようがない地位。そこに儚さと憂いが加わる。彼女は、物語に出てくるような姫みたいな人で、多くの男たちを虜にしている。


(まぁ、親切にしといて損のない相手だな)


 そんな打算的な考えだった。


「飲み物をお持ちしました。さ、どうぞ」

「まぁ……ありがとうございます」


 椅子に座る彼女は、デリウスからコップを受け取って、水を飲んだ。半分ほど飲んだコップを膝の上に乗せ、上目がちにこちらを見上げる。そしてなぜか、顔を赤くしながら言った。


「……デリウス様は……その……恋人はいらっしゃるのですか」

「婚約者がいますが。それが何か?」

「い、いえ……。そうですわよね。こんなに素敵なお方なんですもの。パートナーがいらっしゃるのは当然ですわ。仲良くなりたいと言っても……迷惑ですよね」


 しゅんと肩を落とす彼女。


(これは……)


 デリウスはそこで、ルチミナが自分に好意を抱いたのだと察した。ルチミナは身分も素養も備えた完璧な令嬢だが、身体が弱く病気がちだと聞く。優秀な跡継ぎのために、強い遺伝子を望むイルゲーゼ侯爵家が妻に求める条件からは外れている。


 しかしここで、デリウスは思った。


(彼女をうまく利用すれば、マノンの気を引くことができるかもしれない)


 もしデリウスが他の令嬢と仲良くしているところを見せたら、危機感や嫉妬心を感じるのではないか。そうしたら、自分が優位に立ってマノンを思い通りにできるかもしれない。名案を思いついたデリウスは、ルチミナに社交的な笑みを返した。


「迷惑だなんてとんでもない。俺でよければぜひ、友人になりましょう」




 ◇◇◇




 ルチミナと友人になったデリウスは、露骨に彼女をひいきするようになった。全てはマノンの気を引くため。マノンとの予定よりルチミナを優先し、マノンの前でルチミナのことを褒めまくった。


 パーティーを度々ドタキャンして、彼女をひとりで行かせることもした。それは、人前で恥をかかせて自分にとってデリウスが必要な存在だと気づかせるためだ。


 しかし、マノンを振り向かせることはできなかった。気を引くどころか、マノンはどんどんデリウスから離れていった。

 逃げられれば逃げられるほど、デリウスはムキになって、マノンに冷たくしたり、ルチミナに心が動いているぞという意思を示した。


 関係が拗れてしまってからも、毎週のようにマノンに会いに足繁く屋敷に通った。


「そうだマノン。この前お前が食べていた甘味はどこの店のだ?」


 マノンは甘いものが好きだ。普段はむっとしたような表情をしていても、甘いものを前にしたときだけぱっと表情を明るくする。その顔がとても可愛いのだ。彼女が笑顔を見せてくれるのを期待して、甘いものの話を振る。


「えっと……クグロフですか?」

「クグ……?」

「真ん中に穴が空いていて、山のような形をしたお菓子でしょう? ラム酒漬けの葡萄が入った……」

「ああ、それだ」


 しかし彼女は、大好きなお菓子のことを語るのに、少しも楽しそうではない。冷めた顔で淡々と菓子職人と店の名前を教えられる。


(気に入らない)


 どうして思い通りにいかないのだろう。ただデリウスは、マノンに好きになってほしいだけなのに。デリウスは胸元からメモ帳を取り出して、店の名前を書き記して試すようにわざとらしく呟き、反応を窺う。


「――ルチミナ様がお喜びになる」

 

 眉を寄せるマノン。そうだ、言え。『嫉妬している』のだと。デリウスを誰かに取られたくないとそう縋りついてくれさえすれば、ルチミナとの関係を精算するつもりだ。彼女が折れないから、デリウスも引き際を見失っている。


「なんだその顔は。何か気に入らないことでも?」

「いえ、別に」


 しかし、またしてもマノンはデリウスの期待した反応はせず。嫉妬しているのかと尋ねてみても、違うとばっさり斬り捨てられた。すっとソファから立ち上がり部屋を出ていく後ろ姿を見送ったあと、デリウスは頭を抱えた。


(……全く、何をやっているんだ。俺は)


 結局のところ、プライドが邪魔して本当に好きな人の前だとうまく振る舞えないだけだと自覚している。でもデリウスには、冷たくしたり嫉妬心を煽るような子どもじみたやり方しかできなかった。




 ◇◇◇




 ――そして、スフォリア大公家の新当主セルジュから、婚約者マノンを賭けた決闘を申し込まれた。女ひとりのために命懸けの戦いをするなんて馬鹿げている。そう思うのに、新大公が命を賭してもいいと思うほどマノンを気に入っているのだと思うと悔しくて仕方がなかった。


 自室で、大公家から届いた書簡を握り絞めて床に投げつける。


「こんな馬鹿げた話あるか。俺はマノンのことをずっと昔から見てきたんだ。俺の方が愛してるに決まってる……!」


 ぽっと出の男に、マノンを奪われてたまるものか。そう思って、デリウスはギリ……と歯ぎしりした。


(いや、待てよ)


 ――だが、この戦いを受けて見事勝てば、マノンにデリウスが真にふさわしい男だと証明できる。更に、権威ある大公を負かした名誉も得られる。デリウスは書簡を拾い上げて熱心に読み返し、父にぜひ決闘を受けたいと相談することにした。


 父に後押しされて、馬鹿げた決闘を受けることに。でも結局怖気付いたデリウスは、最強の決闘代理人ノアに代理を依頼するのだった。

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