07.婚約者の本音
「大公家に決闘を申し込まれた……」
「「はぁぁ!?」」
屋敷を訪れたデリウスが、真っ青な顔でそう告げた。これにはマノンも父も大混乱。
この国ではしばしば決闘が起こる。――他人の婚約者を奪うなんて真似も、リージェ神に判断を委ねた決闘であれば正当化される。なぜなら『リージェ神は正しき者を救う』から。
セルジュはイルゲーゼ侯爵家に、マノンに真にふさわしい婚約者を決めるための決闘を申し込んだ。デリウスの父は、セルジュが虚弱体質であることを知っており、息子が新大公を負かせることで大きな栄誉を得られると考え、二つ返事で了承した。デリウスも大いに乗り気だった。
また、その封筒には、ポリエラ伯爵家に宛てた書簡も同封されていた。ポリエラ伯爵家に対しては、大公家が決闘に勝利した場合、ポリエラ伯爵家が抱える借金の全額返済をし、多額の支度金に加え永続的な経済支援をする旨が記されていた。その条件を提示した上で、ポリエラ伯爵家が拒むなら決闘の申し入れは取り下げる、とも。
「マノン! い、一体いつの間に大公と繋がってたんだ!?」
「えっと……この前の園遊会です。デリウス様がドタキャンした……」
マノンは園遊会の日に、泣いているところに声をかけてもらった話をそのまま打ち明けた。彼は額に手を当てて、忌々しそうにはぁと息を吐いた。
「さてはお前……大公の気を引きたくて、わざと公然の場で泣き真似でもしたんだな?」
「…………」
そんな無茶苦茶な話があるか。人前にも関わらず涙が零れてしまうほど、デリウスとうまくいかないことを思い悩んでいたのだ。それに、気を引きたくて泣き真似をするなんてしない。幼い子どもじゃあるまいし。
一方で父は、目をきらきらと輝かせて身を乗り出した。
「でかしたぞマノン! よく分からんが、これで我が家の財政は立て直せる。それに、大公妃なんて、ポリエラ伯爵家始まって以来の名誉じゃないか――ンンッ、コホン」
デリウスが怖い顔をしていることに気づき、咳払いして上機嫌なことを誤魔化した。口角が上がりっぱなしで誤魔化しきれていないけれど。父にとっては、万年火の車の家計をなんとかすることが最優先事項。大公家からの提案はこれ以上なくありがたいはずだ。
「――それで。デリウス様はまさか、本気でこのふざけた決闘を受けるつもりではないですよね? 今からでも辞退して私を差し出した方が……」
遥かに格上の大公家がマノンを婚約者に望むなら、それを口実にマノンとの婚約を解消する絶好のチャンスでもある。これで、マノンと別れてルチミナと婚約を結ぶための正当な理由になる。
どの道デリウスには、大公家の要求という名の命令に従って決闘を受けるか、最初から白旗を上げてマノンを手放すかと二択。正直、マノンを賭けて命懸けの決闘に挑むなんて馬鹿げていると思う。だから後者を選ぶのが賢明だ。……しかし。
「馬鹿を言え。受けるに決まってるだろう!」
一瞬、耳を疑った。デリウスは眉間に皺を寄せて、拳をぎゅっと握り締めながら即答した。
「マノンは俺の婚約者だ! 生まれたときからそう決まっていた。なのに今更手放すなんて――できない」
彼の声が切なげで、ますます訳が分からない。デリウスはマノンのことが嫌いだったのではないのか。すると父が、顎をしゃくりながら愉快そうに笑った。
「ほう。あなたは娘に惚れている――と? 今まで様子を見てきて、あまりそうは思えなかったのですがね」
「…………っ」
デリウスはこちらをぎろりと睨みつけたあと、顔を赤くさせて俯いた。その表情は明らかに、父の指摘が図星だということを物語っていて。
(ちょ、ちょっと何!? どういうことなの……?)
マノンはただ、頭の中に大量の疑問符を浮かべることしかできなかった。
今まで他の令嬢のことをひいきしてマノンのことはないがしろにしてきたのに。
とても気があるとは思えない態度だったのに。
デリウスはごほんと咳払いした。
「と、とにかく。イルゲーゼ侯爵家も、簡単に婚約者を奪われては沽券に関わる。決闘を受けるのは、名誉を懸けた我が家の意向でもあるんだ。これは、衰退しかけた侯爵家の勢力を取り戻す千載一遇のチャンスでもある」
「でも……デリウス様は剣が苦手では」
彼は素質がない上に根性もなく、すぐに稽古を逃げ出してしまう。
そんな彼が、いくら身体が弱いとはいえ大公セルジュに勝てることがあるだろうか。デリウスは勝ち誇った表情で、ふんと鼻を鳴らした。
「あまり知られていないが、大公は病弱だ。そんな相手に負ける気がしないな。それに、戦うのは俺じゃない。『最強の代理人』を立てるつもりだ。新大公に敗北という恥をかかせてやる」
彼はもう勝ったも同然といった様子で不敵に口角を持ち上げた。
大抵の場合、代理人を立てるのは、女性やお年寄り、病気がある人だ。『リージェ神は正しき者を救う』という教えがあるから、代理人を立てようと勝ちは勝ちだから。でも健常者は、他人に命運を委ねることはせずに自ら戦いの舞台に立つことが多い。
(結局、怖気付いただけじゃない)
肝心な決闘を他人に押し付けるあたり、デリウスはやっぱり意気地がないというかなんというか。
そしてこのときのマノンは、デリウスの言う『最強の代理人』がマノンが裏でやっている決闘代理人――ノアを指しているとは思いもしなかったのだった。