06.大公妃のとんでもない提案
マノンが広場に戻って壁の花になっていると、しばらくして複数の護衛と使用人を付き従えたセルジュがやって来た。――新大公として。
(セルジュ様が……新大公!?)
驚きのあまり、あんぐりと口を開ける。まさか、ついさっき泣いている自分を連れ出して泣き止むまで付き合ってくれた紳士が、今日の主役の新大公本人だったとは思わなかった。
確かに今思えば、上等な服に、やたらと綺麗な公用語、溢れ出る気品に新大公と同じ名前……。違和感はいくらでもあった。
(わ、わた、私……大公様とは知らずものすごく無礼なことをしたんじゃ……)
婚約者の愚痴を言いながら号泣。ハンカチを鼻水と涙で汚し、挙句の果てに私物の剣を投げ飛ばした。これは、不敬罪で訴えられてもおかしくないのでは。
(ま、まぁそうなったら決闘裁判に持ち込んで潔白を証明すればいいし……? そうよ、なんの問題もないわ。私は最強の決闘代理人だもの)
必死に自分に言い聞かせて納得しようとする。だが、後ろに手を縛られ、断頭台に連れて行かれる自分が脳裏を過ぎり、背筋がぞくっとする。
「新大公様、かっこよすぎじゃない?」
「まさかあれほど美しい方とは思わなかったわぁ……!」
若く麗しい新大公に、令嬢たちはきゃっきゃと騒いでいる。一方でマノンだけは上の空だった。どうしてセルジュは、自分のことなんて構ったのだろうか。
セルジュの隣に立つ大公妃フリージアは、マノンが取った白い帽子を被っていた。亡き夫との思い出の品がちゃんと手元に戻って良かったと思う。すると直後、フリージアと視線がかち合う。
(え……何、私のことを呼んでる?)
こちらをまっすぐ見ながら、手招きする彼女。マノンは不思議に思いつつ、彼女の前に立った。フリージアはセルジュと姉弟と言われても違和感がないほど若々しく見える。エメラルド色の瞳がセルジュとよく似ている。
「あなたがマノンさんね?」
「は、はい。お初にお目にかかります。フリージア妃様」
スカートを摘んで片足を引き、最敬礼を執る。すると彼女はマノンの両手をがしっと握り、懇願するような眼差しで言った。
「あなた、うちの息子と結婚してくれない!?」
「へ!?」
とんでもない提案に、目をまん丸に見開くマノン。何がどうまかり間違ってそんな提案が出てきたのだろうか。すると急にフリージアがハンカチを懐から取り出し、すすり泣き始めたので更にぎょっとする。彼女は泣きながら切々とした悩みを吐露した。
「セルジュったら、女の子に毛ほども興味がなくてねぇ。こうしてご令嬢を大勢集めてもすぐにどこかに行っちゃうし……。身体が弱くていつ何があるか分からないのだから、できるだけ早く結婚してお世継ぎを産んでもらわないといけないのに……」
「は、はぁ……」
「そんな彼が、あなたにひと目惚れ――むぐ」
フリージアが『ひと目惚れ』と言い切ったところで、顔を青くしたセルジュが彼女の口を塞ぐ。
「母上、何を勝手にぺらぺらと……」
「ひと目惚れしたって……本当ですか?」
マノンがしっかり聞いていたと知って、セルジュは額を押さえてため息を吐いた。その様子を見て、フリージアは「言っちゃだめだった!?」と今更慌てている。
セルジュはフリージアをマノンから引き剥がしてたしなめた。それから、彼はこちらを見て困ったように言う。
「ごめん、急にこんなこと言われてもびっくりしたよね」
「マノンさんはセルジュのこと、どう思うの?」
「母上!」
フリージアに畳み掛けられ、顔をしかめる。セルジュは素敵な人だと思う。でもそう素直に答えたら期待を抱かせることになる。マノンには婚約者がいる。家督を守るためだけに決められた相手だし、二人の間に愛情はない。それでも、生まれたときから婚約者だった人を裏切るような真似はしたくない。――仮に彼が、マノンに対して不誠実だったとしても。
「セルジュ様のお気持ちは身に余る光栄なことですし、素敵な方……だとは思いますが、私には婚約者がいるので」
フリージアはしゅんと肩を落とした。一方でセルジュは、こちらに一歩歩み寄って柔らかく微笑んだ。
「それって、俺のことを嫌ってはないと受け取っていいのかな?」
「それは……」
「いや、言わなくていい。君にここで婚約者と別れるように決断を強いるようなこともしない。でも――」
その刹那、彼の眼差しが鋭さを帯びる。
「ひどいことをして泣かせるような男に、君を任せてはおけないな」
「…………!」
マノンは彼の真剣な表情に圧倒されて、ごくんと喉を鳴らした。
このときは彼が何を考えているか分からなかったけれど、この三日後。――大事件が起こる。