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05.新大公のひと目惚れ

 

「セルジュ様は、池の反対側に立っていただけますか?」

「わ、分かった」


 セルジュは頷き、指示通りに池の反対側に立つ。マノンがそっと見つめる先は、池に佇む背の高い木。鞘に収まったままの剣を、木の枝の帽子に目掛けて構える。


(あの位置ならたぶん、この角度……)


 立ち位置を何度か確認し、空中に向かってひゅんっと重い剣を投げると、狙い通りにまっすぐ飛んで行く。ちょうど帽子のリボンの輪を貫いて、帽子を引っ提げたまま反対側の池の畔に落下する。


「よっ……と」


 飛んできた剣をセルジュが受け止める。帽子に着いた汚れを叩き落とし、こちらにひらひらと振る彼。彼はこちらに戻ってきた。


「――ナイスキャッチ!」

「あはは、ありがとう」


 二人して笑い合い、パチンと手を叩く。


「すごいコントロール力だね。それにこの剣は、お嬢さんには結構重いと思うんだけど。何か……武術を学んでるの?」


 女が武術を学ぶのは、貴族の社会では一般的に恥だとされる。身体を鍛えるより、刺繍や社交ダンス、楽器などといった貴族令嬢にふさわしい素養を身につけるべきなのだ。


 だからマノンは、デリウスに叱られないように剣を学んでいることをずっとひた隠しにし、稽古をするときは市井の修練場に一般市民のフリをして通っていた。


「剣を……少し」


 少しどころか、裏で仕事にしているほどだ。どんな反応が返って来るかとどきどきしていたら、予想外の反応をした。


「へぇ、かっこいいじゃん。すごく」


 満面の笑顔で褒めてくれるセルジュに、マノンは困惑した。


「おかしいって思わないんですか? 女が剣なんて……」

「全然? 何事でも努力できる人は尊敬するよ。君のその手、よっぽど鍛錬に時間を費やしてないとそうはならない。俺のとは全然違うね」


 セルジュに指摘され、咄嗟に隠すように拳をぎゅっと握る。手のひらには、マメや皮剥けが何度もできて、皮膚が厚くなって盛り上がっているから。


(優しい人。……こんな人が婚約者だったら幸せなのかしら)


 婚約者がいる身で何を考えているのだろうとはっとするマノン。

 すると彼も手のひらをかざしてきた。セルジュの手は、傷ひとつなくすべすべしている。


(綺麗な手……)


 あまり骨ばっておらず、指の一本一本がすっと伸びている。爪の形まで綺麗だ。


「俺は身体が弱くて、稽古があまりできないから」


 遠くを見る表情は、どこか憂いを帯びていて。マノンは健康そのもので、健康上の理由で稽古ができなかった経験はない。セルジュは手を下ろし、ふっと柔らかく微笑んだ。


「その帽子、預かるよ。大公妃には俺から渡しとくから」

「え……よろしいんですか?」

「うん。任せて」


 帽子を渡してからまた疑問に思う。この人は、大公妃に落し物を届けるためだけで面会できるような立場の人なのだろうか、と。


(もしかしてこの人、ものすごく身分が高いんじゃ……)


 今更そんなことに気づき、額にたらりと汗が伝う。


「あの、あなたは一体――」

「さ、そろそろお戻り。来た道をまっすぐ行けば広場に戻るから」


 何者なのかと聞きかけたとき、言葉を遮られてしまった。セルジュは身をかがめ、こちらの顔を覗き込みながら言った。


「ようやく涙も止まったようだしね?」


 さっきまで彼の前で号泣していたことを思い出し、かっと顔が赤くなる。


「――それじゃまたね、マノン」


 彼はそのままくるりと背を向け、広場ではなく屋敷の方へと行ってしまった。残されたマノンは首を傾げる。


(セルジュ様、どうして私の名前を? 名乗ってないはず……だけど)




 ◇◇◇




 マノンと別れたセルジュは、屋敷の中に戻った。屋敷内の回廊で、使用人たちが慌てた様子で往来している。片眼鏡を掛けた執事長セバスチャンが、セルジュの姿を見つけてはっとする。


「坊っちゃま……! 一体どこをほっつき歩いていらっしゃったのですか! こんな大事な日に……! 使用人総出で探していたのですよ」

「はは、ごめんごめん。ちょっと散歩に」

「何を呑気な……。今日の園遊会は、他でもない()()()()の襲名披露のための会なのですよ!? その自覚はございますか!」

「あーうん、分かってる」


 セルジュはにこにこと微笑みながら、セバスチャンの横を通り過ぎる。セルジュ・スフォリア。彼こそ、王家に匹敵すると言われる大勢力を誇るスフォリア大公家の新当主だ。


 セバスチャンはぐっと眉間の辺りを押さえた。彼はセルジュが生まれる前から公爵家に仕えており、セルジュのことも実の孫のように想ってくれている。


「奥様も大層お怒りでしたよ。あなたが一向に妃候補をお選びにならないから、こうして度々若い令嬢を集めているのに、あなたは部屋に閉じこもって顔さえ出さないと」

「あー、うん。悪いとは思ってる」


 先代が病死し、公爵位を継ぐ前からいくつも縁談の話は挙がっていた。けれど、セルジュが気に入るような令嬢はひとりもいなかった。


「全く……しっかり聞いておられるのですか? 坊っちゃまのために私はは心を鬼にして――」

「じぃや」

「なんですか」


 最近また年老いてシワが増えたセバスチャンを見つめ、眉をひそめる。


「そう怒ってばかりいると、寿命が縮んでしまうよ」

「……! 誰のせいだと思っているんですか!」


 セバスチャンは眉間に縦じわを刻み、顔を真っ赤にして声を荒らげた。年齢的に何度も隠居するように提案しているのだが、彼は頑なにここを離れようとしなかった。


(いつまで経っても子ども扱いだ。坊っちゃまなんて歳ではないんだけどな)


 セルジュも彼のことを家族のように慕っている。歳の割にかなりしっかりしていて、十分職務を全うできているが、身体が心配だ。きっと彼は、幼少のころから見てきたセルジュのことが心配で仕方がないのだろう。


 すると、セバスチャンの声が聞こえたのか、奥の居間の扉がバンッと開け放たれる。中から現れたのは、セルジュの母である大公妃フリージアだった。つかつかとヒールの靴音を響かせてこちらにまっすぐ歩いて来る。


「セルジュ!」

「母上……」


 険しい顔つきで目の前に立ちはだかる大公妃に、息を飲む。しかし、彼女はセルジュの顔を見上げてすぐ、ぼろぼろと泣き出した。


「もう〜〜一体どこに行っていたの? 心配したんだからっ! 怪我はしていない? 体調は大丈夫?」


 フリージアはセルジュの頬を撫でながら無事を確かめた。……彼女は昔から心配性でセルジュに対して過保護だった。大公が病死して心細いのか、最近はより顕著だ。


「平気です。少し外を歩いていただけです。今から皆さんへのご挨拶に伺います」

「そう……? 身体が辛かったら無理しないでね。大公家はみんな身体が強くないんだから。あなたには先代のように早死にしてほしくないの」

「はい。分かっております」


 スフォリア大公家は身体が弱い者が多かった。王家に匹敵するまでの勢力を築き上げるまでに、高位の貴族階級との近親婚を繰り返したために、虚弱体質な子どもが生まれるようになったのだ。最近では近親婚はなくなったが、先代も先々代も身体が弱かった。


 長らく社交の場に出られなかったのは、社交嫌いだからではなく、人の多いところに行くと気分が悪くなってしまうからだ。


 するとフリージアは、セルジュが持っている帽子に気づいた。


「あら、この帽子……見つけてくれたの?」

「父上との思い出の品だったでしょう? 木の枝に引っかかっていました」

「まぁまぁ……ありがとう。大きな烏さんに持っていかれてしまって、もうほとんど諦めていたの」

「巣材の代わりにでもしようとしたのかもしれませんね」

「そうかもねぇ。それにしても、セルジュはなんて優しい子なの……」


 フリージアはハンカチを取り出し、感涙にむせぶ。彼女はかなり涙脆い人だ。


「いえ、帽子を取ったのは親切なお嬢さんなんです。お礼を言うなら彼女に」

「まぁ、誰なの?」


 マノン・ポリエラ。彼女は伯爵家の令嬢で、目立つ訳でも取り立てて評判がいいという訳でもない、ごく普通の令嬢だ。けれどセルジュは、彼女の秘密を知っている。――彼女が裏で『ノア』という偽名を使って決闘代理人をしていることを。


 祖父母が痴情のもつれで決闘裁判をしたとき、彼女が代理人だった。様子を見に行ったセルジュは、汗を拭うために仮面を外している彼女を見てしまったのだ。凄まじい戦闘力の決闘代理人が、若い令嬢だった衝撃と言ったらない。


 虚弱体質で思うように身体を動かすことができないセルジュからしてみたら、彼女のように才能を持ち活躍する人は、眩しくて仕方がなかった。他人の名誉のために身体を張る真似は、普通ならできない。――ひと目惚れだった。


 でも、彼女には婚約者がいる。だから決して実ることはない片想いだと諦めていたのだが、彼女にとってどうやらこの婚約は不本意らしい。


(まだ俺にもチャンスがあると思っていいのかな? マノン)


 セルジュは掴みどころのない笑顔を浮かべて、母の問いに答えた。


「――ひと目惚れした相手です」

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