03.パートナー不在のぼっち園遊会
結局、園遊会にはマノンひとりで参加した。多くの男女がパートナーを連れて参加する中、マノンだけがひとりぼっち。周りの人たちはマノンを見ながらこそこそと噂話をした。
「マノン様、またおひとりだわ」
「なんでも、婚約者のデリウス様は他のご令嬢に執心しているとか」
「まぁ。同じ女性として情けないですわね」
婚約者は夫となる者の心を留めておけないのは、女性の力不足だから。浮気や不倫をされるのは、全部女性の側に原因がある。貴族の間では、そういう考え方をする人たちが一定数いるのだ。
(本当に……窮屈)
社交界は噂好きな人が多い。歩くだけで好奇の視線がまとわりついてくる。なぜ婚約者に人前で恥をかかせたデリウスが責められず、自分が悪く言われなくてはならないのだろうか。
マノンはおもむろに、母の形見のバングルをそっと撫でた。金でできていて、小さな宝石がいくつも埋め込まれている。これを身につけていると、傍に母がいるような気持ちになるのだ。辛くなったときは、いつもこうして母に思いを馳せる。
バングルの下の手首に、切り傷ができていることに気づいた。実は今日も、この園遊会に来る前に一件決闘代理人の仕事をこなしてきているので、恐らくそこでできた傷だろう。
(ほっとけばそのうち治るわ)
目立たない場所にできた傷でよかった。もし顔なんかにできていたら、また根も葉もない噂を立てられていただろうから。社交界は粗を探して足を引っ張り合う場だ。
この園遊会は、スフォリア大公家が主催している。当主が亡くなったため、新当主が襲名披露をするために開かれた。新大公の名前はセルジュ。彼は大の社交嫌いで有名で、一度もその姿を公の場で見せたことはない。彼にはまだ妃がおらず、この園遊会は妃候補を探す目的があるのではないかとまことしやかに囁かれている。
未婚の令嬢たちは『セルジュ様はいつ来るのか』とそわそわしている。我こそが大公に見初められて妃に――という下心が見え透いている。華やかに着飾り、完璧に化粧を施して香水の香りをまとわせている。
(まぁ、私には関係のない話ね)
まかり間違っても、自分が新大公に気に入られることはないだろう。たったひとりの婚約者にさえ愛想を尽かされてしまうようなつまらない女だから。
マノンはあまり社交的ではなく、表情の機微にも乏しいので、そういうところがデリウスには生意気に見えたのだろう。……可愛げがないと言われたって仕方がないのだ。
「ちょっと、あなたったら……くっつかないでよ」
「お前があんまり可愛くて」
視線の先で仲睦まじげにしている男女を見ていたら、ずきんと胸が痛んだ。
(デリウス様は今ごろ、何をされているんだろう)
ふと、女性の腰を抱き寄せる若い男性の後ろ姿がデリウスに重なって見えて、鼻の奥がつんと痛くなり、頬に涙が伝った。
別に、彼のことを男として愛していた訳ではないが、政略結婚であっても良い関係を築けるように努力してきた。もちろん、彼以外に脇目を振るなんてこともしていない。それなのにデリウスは、マノンのことをないがしろにして他の令嬢をひいきする始末。
今ごろはきっと、マノンが好きなクグロフをルチミナに届けているのだろう。マノンには一度だってお菓子を買ってきてくれたことはなかった。はなからマノンは、彼に少しも想われていなかったのだと嫌でも分かってしまう。
先日のやり取りを思い出し、積もり積もった悲しみが涙に変わる。
(やだ、私……人前で泣いたりして)
マノンのことを目にした人たちが、どうしたのかしらと噂している。咄嗟に目を伏せて、袖で涙を拭おうとしたその直後。
「お嬢さん。――これを使ってくれ」
後ろからするりと男性の手が伸びてきて、ハンカチを差し出される。はっとして振り返ると、美しい男性が立っていた。
すらりとした体躯に、爽やかで端正な顔立ち。稲穂を思わせる金色の髪と、エメラルドのような緑の瞳。突然現れた謎の美丈夫に、女性たちは誰なのかとざわめき立っている。
これほど美しければ、社交界でとっくに有名になっていてもいいはずだが、マノンが彼を見たのは初めてだ。
「親切に……どうも」
ハンカチを受け取ると、セルジュはマノンを庇うように人々に背を向けて立った。
(泣いてるのが見えないように隠してくれてる……?)
でも涙が止まることはなく、むしろ本格的に悲しくなっていた。辛いとき、誰かに優しくされると尚更泣けてくるものだ。しゃくりながら借りたハンカチで涙を拭っていたら、突拍子もない誘いが降ってくる。
「ここが君にとって目の毒なら、俺に着いておいで。それに……レディーの泣き姿を人前にこれ以上晒してはおけない」
周りを見渡せば、夫婦や婚約者同士ばかり。婚約者と全くうまくいっていない身としては、精神衛生上よくない光景だ。それに、マノンが泣いている姿をみんながじろじろ見ている。
今までだったら、デリウスに対して不実だと断っていただろう。でも、優しげに微笑む彼に、マノンはこくんと小さく頷いた。