26.仮面をつけた謀反人
剣を向けられても、ルチミナは身じろぎもせず。まっすぐにセルジュを見上げて言う。
「さぁ、なんのことでしょうか」
「王城の警備を掻いくぐって彼らを侵入させるのは、君ひとりでは無理だ。一体何を考えている?」
いつもは穏やかなセルジュの顔から笑顔が消えて、緊迫した空気が流れている。
すると直後に、王城の広間からガラスが割れるような衝撃音と悲鳴が上がった。ルチミナはその音を聞いて不敵に口角を持ち上げる。
「わたくしの願いを叶えようとしてくださるお方は多いということです」
「はは、愛され者だな。……これは謀反だ。君だけでなく君の家族の首も飛ぶことになるぞ」
「それを防ぐための仮面ですわ。あの仮面を見た人たちはどう思うでしょうか」
「……決闘代理人ノアの関係者、か」
ルチミナは可憐な公爵令嬢。その美貌も儚げな雰囲気に魅了される者は多い。ルチミナに心酔している者の中には、その願いを叶えようと悪事に手を染める者もいる。
「仮面を剥がしてひとりひとり身元を洗っていけば、マノンと無関係なことはすぐに明らかになる」
「……それは、どうでしょうか。彼らは決闘代理人ノアの被害者たちです。ノアに負かされ恨みを持つ人たち。だから、ノアへ復讐しないかとけしかけたらこうして簡単に集まったのですよ」
マノンは俯き、ぎゅっと拳を握った。
けれど万が一被害が出たら、彼らを駆り立てた元凶であるマノンへの印象も悪くなるだろう。法的に咎められることはなかったとしても。そうしたらセルジュにも迷惑がかかることになる。
謀反の覚悟をできてしまうほどマノンへの恨みを抱かれているとは。決闘は正義と名誉を賭けた戦いだ。敗北した側は深い傷を負う。だから、ノアの正体が明らかになった今、復讐しようと立ち上がったのだ。
マノンは無言で、倒れている傭兵から剣を抜き取り、広間の方を振り向いた。けれどセルジュに腕を掴まれる。
「戻るつもりか? 危険だ」
「手を離してください」
広間はルチミナが送った雇い人で混乱に陥っているだろう。騒ぎが大きくなればなるほど、彼らが暴動を起こした動機であるマノンへの心証も悪くなっていく。
「自分を責めてはいけない。悪いのは、名誉や善悪を決闘で決める制度そのものだ」
「何が悪いかは今は関係ありません。私が大勢の人たちに恨まれているという事実が目の前にあるだけ……」
セルジュも何も言うことができずに、手を離した。
「すまない。君を慰める言葉が見つからない。なら俺も行く」
マノンは首を横に振った。
「足、怪我をなさってるでしょう。さっきから左足を庇っていらっしゃる。足でまといは、いらないです」
「…………」
彼は苦い顔をして左足に視線を落とした。戦闘中に足を痛めてしまったのだろう。それに、まだ疲れが残っているような顔つきをしている。
「私が収拾をつけてきます。セルジュ様はここにいる人たちを拘束しておいてください。ルチミナ様のことも」
「待て! マノン……っ」
マノンはくるりと背を向けて走り出した。追いかけようとするセルジュだが、怪我をした足首の痛みに顔をしかめて立ち止まった。
広間からまた悲鳴が聞こえる。一体あそこで何が起きているのだろうか。
残されたセルジュは、凍りつきそうな表情でルチミナを見下ろした。
「君は浅はかすぎるな。なんでも思い通りになると思わない方がいい。――想い人の心も、マノンへの報復も」
ルチミナは含みのある笑顔を作り、薬指に輝く指輪を見せつけた。
「わたくし、婚約しましたの。デリウス様と」
「尚更訳が分からないな。なぜこんな真似を? 君の悪巧みが露見すれば、婚約者も一緒に罰せられるのに」
「あなたには分かりませんわ。手に入らなければ、みんな壊れてしまえばいいと思うわたくしの気持ちなんて」
指輪を爪先で引っ掻くように撫でるルチミナ。セルジュは軽蔑したように「救いようがないな」と小さく息を吐いた。
◇◇◇
広間へ向かう途中、逃げ出す人々とすれ違った。予想通り大混乱だった。まだ騒ぎは収まっていないらしい。広間には優秀な騎士たちが控えているはず。ルチミナが送り込んだ傭兵がどれほどの数なのか分からなかったが、マノンが戦ってみた感覚としては、王族に仕えるような騎士が苦戦するような相手ではない。
ハイヒールで回廊を駆け抜けていく途中、こんな声が耳を掠めた。
「王女様が人質に取られているようだ」
「奴らの目的はなんだ? それに、あの仮面は……」
「マノン・ポリエラを差し出せ、と」
自分の名前が聞こえて、マノンの心臓が跳ねる。
(本気なんだ。ルチミナ様は、本気で私を殺すつもりでいる)
最強の決闘代理人ノアを潰すために、ルチミナはよく考えた上でこの事件を考えたのだと理解する。どこまでも巧妙な人だ。
裏庭に呼び出したのは、ノアを一旦広間から離して傭兵を侵入しやすくするため。もしくは、二重で襲って確実にマノンを殺すため。どちらの可能性も考えられる。王女が人質に取られたとなると、マノンも動きにくくなる。
広間の前のロビーには、何人かの怪我人がいた。それを横目に通り過ぎて行く。広間の扉の奥から「マノン・ポリエラはどこだ?」という声がした。
しかし、広間に入る前で阻まれてしまう。
「――行くな。マノン」
その声の主は、デリウスだった。彼は腕から出血しており、患部を手で押さえている。
「デリウス様、血が……」
「大したことない。かすり傷だ。それより中に行くな。仮面の奴らはお前と関係ない」
「どういうことです? 何かご存知なの?」
「ああ。あれはルチミナが用意した傭兵だ。――お前を陥れるための」
それからデリウスは語った。彼らはノアの仮面を着けてはいるものの、ノアと因縁がある訳ではなく、ルチミナに心酔している男たちだという。あたかもノアに恨みがある者たちの仕業として騒ぎを起こして、マノンへの印象を悪くしようとしているのだ。
「すまなかった。彼女を止められなかったのは俺の責任だ。だからお前がなんとかしようとする必要はない。騒ぎが収まったあとに俺が証言するから」
初めてデリウスの口から出た謝罪の言葉だった。
仮にデリウスがルチミナを告発したら、婚約関係を結んだデリウスも責任を問われることになる。彼はそれも全て受け入れる覚悟なのだろう。
マノンは黙って彼の元に歩み寄り、ハンカチを出して彼の袖を捲り上げた。出血している腕にハンカチを巻いて手当てをする。
「傷口はちゃんと保護した方がいいです」
彼の手首には、マノンが母の墓に置いていったバングルが着いていた。彼が持ち帰ったのだろう。これを着けているということは、まだマノンに未練があるということだ。
「どうして、俺に親切にする? 憎んでいるんだろう」
「そういう気持ちも少し。……でも、不幸になってほしいとも思っていません。デリウス様は、小さいころからずっと知っている相手なんですよ」
「……俺はもう駄目だ。自分のせいで全てを失うことになる」
「大丈夫。誰にでもどん底から這い上がる底力がありますから。私の依頼者もみんなそう言っていましたが、今ではしなやかに生きておられます。――デリウス様もきっと」
マノンの依頼者たちも、デリウスと同じ絶望した目をしていた。想像を絶するような逆境に立たされている人たちと何度も会ってきた。けれどしばらくすると、自分たちなりに希望を見つけて前に進んでいくのだ。
母を惨殺されたときは、マノンは失意のどん底で、駄目になってしまいそうだった。けれど今は母の死を過去にして進もうとしている。
「私の母が、天国からあなたを守ってくれます」
バングルを着ける彼に言うと、彼は苦笑した。手当てをし終わったあと、デリウスは決まりが悪そうに袖を戻した。広間に行こうとするマノンを引き止めることもなかった。
また、大扉の奥から悲鳴が聞こえる。マノンはデリウスを置いて、扉を開け放つ。
「マノン・ポリエラならここに」
「……! ぶ、武器を捨てろ!」
「捨てたわ。早く王女様を解放しなさい。私は大人しく捕まるから」
拘束された王女は小刻みに震え、涙を流していた。拘束する傭兵たちは、皆揃って決闘代理人ノアの仮面を着けている。王女は解放されてこちらに歩いてくる。代わりにマノンも、傭兵たちの元に向かう。すれ違いざまに、王女がマノンを泣きながら見つめた。
「怪我はありませんか?」
彼女はふるふると首を横に振る。申し訳なさそうにこちらを見ている彼女ににこりと微笑みかけたまま、傭兵にマノンは捕まった。強引に後ろで手首を縛られていく。
王女は騎士に保護された。広間に残っているのは、マノンと王城の騎士と傭兵、それから逃げられなかった貴族たち。傭兵に動くなと命じられているのだろう。彼らは怯えるような眼差しでこちらを見ている。
「――ここで殺れ」
そんな声が近くから聞こえてくる。マノンはふっと笑い挑発するように言った。
「公女様の望むものならなんでも与えて、邪魔者はなんとしてでも排除する。……随分と手懐けられた忠犬ね」
「ルチミナ様は関係な――ふぎゃっ」
マノンは腕を縛られたまま、足で男のひとりを蹴り飛ばした。すぐに四方から追撃が迫ってくるが、身軽な動きで全てをかわして、今度は膝蹴りでまたひとりを昏睡させた。
――ブチンッ。後ろで拘束された縄を引きちぎり叫ぶ。
「――ここは私に任せて避難を!」
人質は解放された。
マノンが叫ぶと、広間にいた貴族たちは転がるように外へと逃げて行く。騎士たちも避難を誘導し始めた。
「何を勝手な真似を……っ!」
「ここからは誰ひとり外に行かせない。――私が相手よ」
襲ってくる男の首を掴んで床に伏せさせる。気絶した彼が握り締めている剣を取り上げて、剣を構えた。剣を握ってしまえば――彼女はもう敵なしだ。夫となるセルジュを除いて。
マノンが威圧すると、傭兵たちは怯んで一歩後ろに下がる。
「私は今まで負けたことはないの。……例外はあるけど。死にたくなければそこを動かないことね」
そう牽制すると、男たちがしり込みする。待機していた騎士たちが一斉に傭兵を取り押さえ始めた。まもなく、ルチミナが送り込んだ部隊はマノンと騎士によって鎮圧された。
二度の戦いで疲れたマノンは、ロビーに出てソファに腰を下ろした。右腕の手袋が破けて、血が滲んでいる。剣が掠めたのだろう。すると直後に、王女が抱きついて来た。
「わあっ、お、王女様……!?」
「ありがとう、助けてくれて……。怖かった。あなたが来てくれなかったらどうなっていたことか……」
「彼らの狙いは私でした。むしろ私のせいで怖い目に遭わせてしまって申し訳ありません」
「いいえ、違うわ。事情は彼が全て話してくれた」
王女が振り返った先には、デリウスが。
そして、セルジュと騎士に拘束されたルチミナがいた。ルチミナの髪は乱れ、ドレスは土で汚れている。
デリウスと一瞬目が合うが、彼は迷いのない瞳をしていた。




