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24.波乱の夜会

 

 王城の夜会の当日。マノンは昼過ぎにスフォリア公爵邸を訪れた。

 今日のために仕立てたドレスはもう届いているはずだが、マノンはまだ見ていない。ドレスを仕立ててくれたのは、大公妃フリージアがいつも世話になっている優秀な仕立て屋だ。


 けれど、服には無頓着なマノン。

 貧乏伯爵家のただの令嬢だったころは、流行遅れした母のお下がりのドレスを繕ってもらったりしていた。そのくらいマノンは服にこだわりがない。


(わぁ……綺麗)


 広い衣装室で、トルソーにかかった赤いドレスを見て感動する。

 ふわりとした丈長のスカートには、小さな宝石が散りばめられている。マノンの身体は剣傷だらけだが、レースの手袋を着けることで傷跡をカバーすることができる。


「さ、早く着替えましょう? このドレス、きっとマノンさんに似合うわ!」


 着替えを手伝ってくれている侍女の他に、フリージアも来てくれた。このドレスのデザインを提案してくれたのも彼女だ。フリージアはファッションの流行りに敏感で、数年前にドレスの新しい柄を貴族の間で流行らせたこともあるような人だ。若いマノンよりずっと時流の中心にいる。


「素敵なドレスを考えていただきありがとうございます」

「いいのよ。あなたみたいな可愛い子は、着飾ってあげたくなるの」


 ふふとおっとり微笑む彼女。口紅を差した唇が扇の弧を描くのを見て、どきっとする。色っぽくて気品があり、いかにも上流階級の婦人らしい佇まいだ。

 マノンは、田舎から出てきた少女といった風貌なので、ちょっとだけいたたまれない気分になる。


 侍女たちが、マノンが着ているドレスを脱がし始めた。フリージアに傷跡を見せるのに抵抗があったが、隠していても仕方がないと思い目を伏せる。

 傷跡だらけの肌が晒されるが、分別のあるフリージアは眉ひとつ動かさなかった。


 ドレスを着替えたあと、フリージアが手袋を通してくれた。


「ここに手を通して?」

「は、はい」


 手袋を着けてから、マノンは言った。


「お見苦しいものを見せてしまってごめんなさい」

「……何言ってるのよ。これは――勲章。大勢の人たちのを助けてきた剣士の手だわ。格好良くて素敵よ」


 セルジュと初めて会った日。女でありながら剣を学んでいることを打ち明けると彼が『かっこいいじゃん』と言ってくれたのを思い出した。


「……お義母様は、セルジュ様とよく似ていらっしゃいます」

「親子ですもの」


 そう言って笑う顔もセルジュの面影を感じた。……陽だまりのような温かな心を持つ人たちだ。

 それから、侍女に長い髪をハーフアップに結ってもらい、アクセサリーを着けた。鏡台の鏡越しにマノンの着飾った姿を見て、フリージアが感嘆の息を漏らした。


「まぁ素敵……! おとぎ話のお姫様みたい……!」

「そんな……恐縮です」

「早く大公様をお呼びしましょう。きっとすごくお喜びになるわ」


 フリージアはそう言い残して、侍女を連れて部屋を出て行った。マノンは自分の手首に視線を落とす。いつも肌身離さず身につけていた母の形見のバングルはもうない。少しだけ寂しく思いながら、すべらかな手袋の生地を撫でた。

 

 しばらくして、フリージアがセルジュを連れて戻って来た。椅子から立ち上がって彼の前まで歩く。セルジュは上から下までじっくりと眺めた。


「とても綺麗だよ。教会の壁画から飛び出して来た女神様みたい」

「……大袈裟です」


 フリージアのときより大袈裟な比喩表現に、マノンは少し照れる。綺麗だと言ってくれたけれど、素敵なのはきっとセルジュの方だ。暗い色の礼服に、マノンのドレスの赤を差し色に使っている。シンプルだけど上品で、彼の素材の良さが出ている。


 セルジュはポケットの中の懐中時計を確かめ、こちらに手を差し伸べた。


「そろそろ時間だ。出よっか」

「はい。セルジュ様」


 マノンは彼の手を取った。




 ◇◇◇




 王城には大勢の人たちが集まっていた。安全のため、広間に入る前に身体検査が行われ武器の類いは全て没収される。

 広間には華やかに着飾った貴族たちが。その中には王女の姿もあった。


 白と黒のチェック柄の大理石の床は、マノンの顔を映すくらいにぴかぴかに磨かれていて、頭上のシャンデリアは宝石のように輝いている。

 大公の婚約者でなければ、貧乏伯爵令嬢のマノンは決して呼ばれることがなかった、選ばれし上流階級だけの集まりだ。


 身体検査を終わらせたあと、セルジュにエスコートされながら広間に入る。


「緊張してる?」

「少し」

「大丈夫。俺がついてるから。肩の力を抜いて」


 言われた通りに深呼吸して肩の力を抜く。セルジュの腕に手をかけて、背筋を正した。セルジュとマノンの姿に参集者たちはざわざわしている。


「見て? 彼女が例の――」

「決闘代理人ノアだ。あんなに小柄な子なんだな」

「知り合いが依頼したみたいなんだけど、相当強かったみたいよ」

「強いなんてもんじゃないぞ。リージェ神の加護を受けた家の出で――天才だ」


 それらの噂は、大公の婚約者ではなく、最強の決闘代理人に向けられたものだった。セルジュがマノンにそっと耳打ちする。


「有名人だね、無敵のレディー?」

「からかわないでください」


 ふいと顔を逸らす。

 大公の婚約者という肩書きより、決闘代理人ノアの方がネームバリューがあるのは予想外だった。

 本来決闘代理人は差別階級なのだが、最強の代理人ともなると憧憬を抱かれることもあるみたいだ。


 マノンの元に次から次へと人がやって来て、決闘代理人になった経緯や訓練方法などを根掘り葉掘り聞かれた。子どものためにサインを書いてほしいと求められることも。


 決闘代理人はやめたのだと伝えると、今度は子どもや部下に稽古をつけてほしいと頼まれた。


(指導役か……。誰かの役に立てるなら悪くないのかも)


 今までは自分が戦うばかりで、誰かに剣を教えることはしなかったけれど、優秀な人を育てる側になるのもいいかもしれない。決闘代理人よりずっと健全で、プレッシャーもない。そんなことを考えたいたら、セルジュが人々を牽制した。


「そういう話はまたにしてくれ。彼女は今、決闘代理人ではなく俺の婚約者としてここにいる」


 セルジュが告げると、彼らはあっさり引き下がった。セルジュは長テーブルからオレンジジュースが注がれたグラスを持ってきてくれた。


「大丈夫? 疲れてない?」

「大丈夫です。体力は底なしなので。セルジュ様こそ平気ですか?」

「平気さ。ありがとう」


 オレンジジュースをふた口ほど飲んでグラスを返すと、彼はごく自然に残りを飲み干した。彼はただ喉が渇いていただけで他意はないのかもしれないが、マノンは内心で間接キスだと意識していた。

 気まずそうにしていると、セルジュはそれに気づいてこちらをからかうように片眉を上げた。


(完全に手のひらの上で転がされてる……)


 注目の無敵のレディーは、婚約者には翻弄されまくりだった。


 まもなく、オーケストラがゆったりとしたワルツを演奏し始める。マノンは踊ることは得意で、社交ダンスでもタンゴでもサンバでもできる。身体を動かすことなら何でもお任せあれだ。でも、セルジュが無駄な体力を消耗しないようにダンスに誘うのは控えておいた。


 ふいに、遠くで踊っているひと組の男女の姿が目に留まる。


 デリウスとルチミナだった。ルチミナは優美な笑顔を湛えているが、デリウスは少しも楽しそうではなく、むしろ陰鬱な雰囲気を全面にかもし出している。

 デリウスとは母の命日に会ったきりで、その日からぱったりと手紙も途絶えたていた。


 次の瞬間、彼と目が合った。デリウスはマノンの姿を物憂げに一瞥してから、すぐにと目を逸らした。

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