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22.デリウスの誤算と後悔

 

 せっかくマノンに会えたのに、ろくに話もできないまま彼女は帰ってしまった。自分がマノンにかけた言葉を思い出し、頭を掻きむしる。


(どうしてもっと気の利いたことが言えなかったんだ、俺は……)


 デリウスは今、ニジルツァ公爵邸に住んで、毎日ルチミナの話し相手と世話係をさせられている。世話係というより、まるで召使いのようにこき使われている。彼女の思う通りにしないとこう言って脅すのだ。『あなたはわたくしの顔と心に傷を負わせたのに』……と。


 墓にひとり残されたデリウスは、呆然自失となった。


(あれは……マノンがいつも着けていた……)


 墓に置いてあるバングルが目に留まる。彼女が大切にしていたものだ。デリウスはバングルを手に取り、両手で包むようにぎゅうと握った。膝から崩れ落ちる。


 もっと大切にしていれば。

 もっと彼女に寄り添っていれば。

 もっと、優しい言葉をかけていれば。


 失ったものの大きさに、今更後悔の念が込み上げてくる。もう彼女が自分の元に戻って来ることない。それがデリウスを地獄の底に突き落とすのだった。


(マノン……っ。長い付き合いだったのに、俺に対する情はほんの少しもないのか?)




 ◇◇◇




 日が暮れるころ、デリウスは重い足を引きずるように公爵邸に帰った。使用人たちに白い目を向けられながら、ルチミナの部屋に行く。


 大きな扉の前で立ち止まる。――この板の向こう側にルチミナがいる。そう考えるだけで憂鬱でため息が出てしまう。


 ――コンコンコンコン。

 ノックをすると、どうぞと返事が返ってきた。意を決して扉を開ければ、四柱に天蓋付きの寝台にルチミナが腰を下ろしていた。胸の谷間が見える薄いナイトドレスを着ている。……本当に身体が弱い人なら、冷える夜にこんな格好はしないだろう。そして、サイドテーブルにはワイングラスと軽食が置いてある。


 彼女は腕を組みながら、こちらを睨みつけた。


「遅いですわ。どこに行っていらっしゃったの?」

「……墓参りに」

「へぇ、わたくしに無断で? あなたがいない間に突然具合が悪くなったらどうなさるおつもりなの? 無責任なお人ですわね」

「申し訳ありません」


 彼女の前では、こうして下手に出て謝ることしかできない。あくまでルチミナの方が立場は上だから。

 彼女は最近、前髪を上げて額を出している。彼女の滑らかな肌にはアンバランスな傷跡を見る度に、憂鬱な気持ちになる。彼女はそれを分かっていながら、見せつけてきているのだ。


 ルチミナは――病弱ではなかった。全て、周りの人間の気を引くための演技。ずっとルチミナのことをうまく利用している気でいたが、本当に利用しているのは向こうの方だった。


 本当にとんでもない相手に目をつけられてしまったものだ。


 デリウスが扉の前で突っ立っていると、ルチミナが不機嫌そうに眉をしかめた。


「そんなところに突っ立っていらっしゃらないで、こちらに来たら?」

「……はい」


 彼女の前に立つと、しゃがむように命じられる。言われた通りにそうしたら彼女は鼻で笑った。


「お可哀想なデリウス様。ご家族に勘当され、本当に好きな人には捨てられ、わたくしの世話係になるなんて……」

「あなたの傍にいられて俺は幸せです」

「嘘は嫌いですわ。よくも心にもないことを……。でも全部、あなたが招いたことなのだから、何も文句は言えませんわね」

「…………」


 ――パシャン。直後、彼女はサイドテーブルのワイングラスを手に取り、デリウスの頭の上でひっくり返した。


「これはわたくしに言わずに出かけた罰ですわ。その冷たさと屈辱を忘れないように」

「なぜ……俺なんですか? あなたはどうして俺に固執なさる? 今の俺にはあなたが惹かれるような価値はない」


 ワインを滴らせながらルチミナを見上げる。傲慢で狡猾な彼女。その気になればもっといい相手を手に入れることもできるだろうに。するとルチミナは、しゅんとしおらしげな顔をして。


「いつまでも振り向いてくださらないあなたが全部悪いのですよ。これはわたくしに屈辱を味わわせた仕返しです。デリウス様こそなぜ、そこまでマノンさんに執着なさるの? 今日は彼女の母親の命日でしょう。彼女にはお会いできたのかしら?」


 それはまるで、デリウスに恋焦がれるような表情で。


「……ルチミナ様には関係のないことです」

「関係ありますわ! わたくしはただ……あなたの心が欲しいだけですのに。……どうしたらわたくしのことを愛してくださるの?」


 好きになってほしいと思うのなら、まずはその相手を部屋に閉じ込めたりワインをかけたりののしったりするのを止めるべきではないか。……と言いかけたが、舌先まででかかった言葉を呑み込む。


(……俺は他人のことを言える立場じゃない)


 今、自分がルチミナから与えられている不快感は、これまでデリウスがマノンに与えてきたものだ。彼女を思い通りにしようと嫌味を言って、彼女のことを否定して、支配しようとしてきた。ルチミナと同じ。まるで、玩具が欲しいとショーウィンドウの前で駄々をこねる子どものように幼稚だ。


 前髪からぽたぽたとワインが滴り落ちて、カーペットを湿らせていく。デリウスはそっと立ち上がり、手で濡れた顔を拭った。ルチミナのことを見下ろしながら玲瓏と告げる。


「あなたを見ていると、自分の姿を見ているようで不愉快になります。俺は自分のことが大嫌いだから」


 自分にどこか似ているルチミナを、好きになれるはずがないのだとほのめかすと、彼女は悔しそうな顔をした。デリウスは彼女の表情の変化に気づかないフリをして、着替えてくると踵を返した。


 部屋に残されたルチミナは空のワイングラスを床に投げつけた。ぱりんと音を立ててガラスの破片が飛び散る。


「マノンさえいなくなれば……。いいえ、いっそのことみんな全部壊れてしまえばいい。思い通りにならない世界なんて要りませんもの」


 親指の爪を噛むルチミナ。その呟きは、誰もいない部屋の静寂に溶けた。

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