21.思わぬ再会と青い花束
二週間後。マノンの母の墓参りに行く日を迎えた。簡素な服に着替えて、侍女に髪を結ってもらう。
「お嬢様が会いに来てくださったら、奥様もさぞお喜びになるでしょうね」
「……そうだといいんだけど」
「きっとそうですよ。だってお嬢様のお母様なんですから」
ずっと母の墓参りに行かなかったマノンが、重い腰を自ら上げたことで、侍女もどこか嬉しそうだ。彼女はマノンが生まれる前からこの屋敷に勤めており、母の人となりをよく知っている。
すると彼女が、そういえば……と言って白いエプロンのポケットから一通の手紙を取り出した。封蝋にはよく見慣れたイルゲーゼ侯爵家の家紋が刻まれている。
「今朝方お嬢様に届いたものです」
「捨てておいて」
「……承知いたしました」
リージェ神の神判の元、婚約は破棄されたにも関わらず、デリウスが毎日マノンに手紙を送ってくるようになった。内容は、『元気にしているのか』、『大公にひどいことをされていないか』、『会って話しがしたい』などというもの。別れてから縋ってこられても困る。マノンはデリウスとの関係を過去のものにしているし、新しい相手がいるから。
(デリウス様には悪いけど……しつこすぎて少し……気持ちが悪いわ)
彼にここまで執着されるとは思わなかった。父に相談すると、すぐに侯爵家に抗議文を送ったが改善されず。
ただでさえデリウスは、マノンとの婚約を破棄された上に決闘で敗れるという汚名を着せられ、家の中で立場を失っている。優秀な後継を産む嫁を求めていた侯爵は、最強の決闘代理人ノアの正体がマノンだと知って、かなりショックを受けているらしい。
更に、デリウスにはルチミナとの結婚の話が上がっているそうだ。ルチミナはデリウスを気に入っており、ニジルツァ公爵夫妻はイルゲーゼ侯爵家に婿入りの打診をした。そこでイルゲーゼ侯爵はデリウスが浮気をしていたことを知る。家格が上の公爵家の打診を断れず、後継をデリウスではなく次男にして、デリウスを公爵家に差し出すつもりでいるらしい。
そうすると、デリウスは身ひとつでルチミナのところに婿入りすることになる。ニジルツァ公爵家には跡取りがいるので、デリウスはただルチミナの世話役のために公爵家に入るのだ。
スフォリア侯爵家を継ぐことはできなくなり、ルチミナと結婚するのはデリウスにとってさぞ不本意だろう。
「婚約しているときは、散々お嬢様にひどい仕打ちをなさったのに、今更手のひら返しもいいところですね。私から侯爵家に苦情を言いに行きましょうか」
「摘み出されるだけよ、止めておきなさい。それにもういいの。全部過ぎたことだから」
「まぁ。なんと寛大な……」
鏡に映る彼女はかなり怒った様子だった。彼女を宥めているうちに、支度が終わる。マノンは母の形見のバングルを腕に通し、部屋を出た。
◇◇◇
すでに屋敷の前に到着していた大公家の馬車。マノンはセルジュの向かいに座った。2時間くらいかけて、街の外れに佇む墓地へ向かった。
移り変わる景色を眺める。
「緊張してる?」
「……少し」
マノンは決闘の前にもほとんど緊張しないが、昨夜は緊張であまり眠れなかった。今朝も朝食がろくに喉を通らなかった。
「マノン。手を貸してみて」
「こう……ですか?」
言われた通りに片手を差し出すと、彼は親指の付け根辺りを指でマッサージしてくれた。緊張に効くツボらしい。
「お母さんはどんな人だったんだ?」
「優しくてまっすぐ。……正義感が強い人でした」
「……君に似ているんだね」
セルジュはふっと小さく笑い、窓の外へと視線を移した。母の墓に行く前に、近くの花屋に寄る。レンガ造りに緑色の木の屋根が特徴的な小さな花屋。若い男性店員が接客しているところに、迷惑な女性客が来ていた。
「最低! あたしのこと騙したのね!」
「そ、そういう訳では……」
「嘘よ。愛想振りまいて思わせぶりなことをしてきたくせに、気がないなんて……。もう二度とここの花買ってやらないわよ!?」
店の外にまで聞こえてくる女性の怒鳴り声に、マノンとセルジュは顔を見合わせる。
「揉め事ですかね?」
「厄介な迷惑客のように見える」
もう一度店内を見ると、男性は萎縮して困っている様子。以前デリウスに怒られたこともあり、他人のトラブルに首を突っ込んでいいかと悩む。セルジュに他の店を探そうかと尋ねると、彼は黙って店内に入り彼らに声をかけた。――仲裁に入るつもりのようだ。デリウスだったらまずこういうことはしない。
「何かあったんですか?」
女性客は、見目麗しいセルジュを見て皿のように目を見開き、ぽっと頬を赤くして咳払いした。
「この人がね、花を買わせるためにあたしに笑いかけてきて、気がある素振りを見せてきたの。これは詐欺よ」
「さ、詐欺なんてとんでもない。僕はただ、マニュアル通りに接客をしただけで……」
それが、女性と男性それぞれの言い分だった。詳しく話を聞くと、接客を好意と勘違いした客が、外で付きまとったり、『家に泊めてほしい』と迫ったり、身体に触ってきたりするようになったとか。マノンからしても、女性客が一方的に勘違いして恋をしているように見える。
「そちらの男性はあなたには気がないとおっしゃっていますよ。接客として親切にされたのをあなたが好意だと誤解なさっているのでは?」
「嘘……っ。だって、お店に来ると、家のこととか趣味のこととかも教えてくれて……」
「接客の範疇です。俺も世間話でそのくらいの内容は話します。それより問題は、あなたの――迷惑行為の方だ」
「だってあたし……彼のことが、好きだから」
「――けど彼はあなたを好きではないらしい」
「!」
ばっさりと告げられた残酷な真実に、女性客は今にも泣きそうな顔をして。けれどセルジュはフォローも欠かさない。
「レディーには、あなたを愛してくれる素敵な方が現れますよ。この方は縁がなかったということでしょう」
「〜〜っ」
彼女は何も言い返せず、けれど紳士的なセルジュの言葉に納得した様子で店を出て行った。うまいことこの場を収めてしまった。
セルジュはすぅと社交的な笑みを消し、男性店員の方を向き玲瓏と告げた。
「すぐにこの店を辞めた方がいい。彼女の迷惑行為に関しては、自警団に相談してみるといいだろう」
「自警団……ですか?」
警察の名前が出て困惑する店員に、母に贈る花を選ぶマノンが付け加える。
「迷惑な追跡行為は、行政措置の対応になる場合があります。接近禁止命令を出してもらったりあなたへの身辺保護をしてもらえます」
「へぇ……お詳しいんですね。何かそういう勉強をなさってるんですか?」
店員のその問いに、マノンの代わりにセルジュが答える。
「この手の揉め事の――プロフェッショナルですよ」
◇◇◇
到着したマノンの母の墓。墓石には、リーファ・ポリエラの文字が。途中で寄った花屋で購入した花束を墓に供える。墓石の近くに青い花びらがいくつか落ちているのが目についた。
(青い花……? どこから飛んできたのかしら)
それから、いつも身につけていた母の形見のバングルを外して花束の隣に置いた。――もうマノンには必要ない。これはけじめだ。母の面影を追いかけるのは止めて、喪失を乗り越えて進んでいくための。
「いいのか? 大切なバングルなんでしょ? 誰かに盗られてしまうかもしれないよ」
「いいんです。――これで」
マノンは手を合わせて目を閉じた。
(お母様……会いに来るのが遅くなってごめんなさい。あのとき……何もできなくて、ごめんなさい。でももう、自分を責めるのは止めます。どうか安らかに)
大好きな母の笑顔が瞼の裏に浮かび、また少しだけ切なくなる。それを見かねたセルジュが、墓に話しかける。
「彼女は俺が幸せにします。ですから大切なお嬢さんとの結婚を認めていただけますか」
墓石に向かって耳を済ませたセルジュは、うんうんと相槌を打っている。マノンはふっと笑い、返事は返ってきたかと尋ねる。
「――認める、だって」
「本当ですか? ちょっと私にも確認させてください」
マノンはセルジュを真似て耳を澄まし、ふむふむと頷く。実際に母の声は聞こえないけれど、もしこの場にいたら楽しそうに笑うのだろう。きっと。
「3食におやつ3回と昼寝付きでお願いします、だそうです」
「それはマノンの願望だな」
「本当に言ったんですって」
二人は顔を見合わせてくすくす笑った。彼が和ませてくれたおかげで悲しい気持ちはどこかに吹き飛んだ気がする。
すると直後に、がさ……と土を踏む足音がした。それと同時に、聞き覚えのある声に名前を呼ばれる。
「マノン」
「!」
振り返るとそこには、青い花束を抱えた――元婚約者のデリウスが。短い間に随分と痩せてしまい、顔色もよくないみたいだ。
デリウスは今、結構大変な立場にある。家族から失望された上、ルチミナがデリウスのせいで体調不良になってしまい、責任を取らされようとしている。
もっとも、ルチミナの体調不良は恐らく演技だろうが。
(それにしても……ひどい痩せ方)
目の下にはくっきりとクマができている。余程ストレスがあるのだろう。
「偶然だな、マノン。まさかこんなところで会えるとは思わなかったぞ」
「本当に偶然かな?」
返事をしたのはセルジュだった。彼は墓石の近くに落ちた青い花びらの一枚を拾い上げて、デリウスが持ってきた花束と比較した。
「同じ花のようだ。本当は偶然を装ってマノンに会うために何度もここに来ていたんじゃないか?」
「…………」
デリウスは図星を指されて、うっと顔をしかめた。婚約しているときは一度も母の墓参りに行かなかった彼。マノンへの下心があると考えるのが妥当だろう。
「……だったら何が悪い?」
デリウスは反発するように吐き捨て、マノンの方にずいと迫った。
「お前みたいな脳筋に、大公妃が務まるとは思えん。考え直した方がいい。長い付き合いの俺と結婚した方が幸せになれる。そのうち大公閣下にも愛想を尽かされるに決まってるんだから。――な? 本当はお前もそう思うんだろ?」
彼はいつになく切羽詰まった様子だった。でも、マノンに未練があるのならもっと別の言い方があるのではないか。
いつも上から目線で高圧的。あくまで自分の方が偉いという態度で。
デリウスはこれまで、毎日のようにマノンの元に手紙を送り、面会を要求してきた。そして今日の待ち伏せ。完全にストーカー行為だ。あの花屋の店員にしつこく言い寄っていた女性を彷彿とさせる。
マノンは彼に対して不審感を抱き、セルジュの袖をきゅっと摘んだ。マノンの不安を感じ取ったセルジュは、大丈夫だと肩を寄せた。
「――君もいい加減、しつこいな」
セルジュは威圧的な眼差しでデリウスを見据え、ばっさりと告げる。
「今後もマノンに付きまとうような迷惑行為をした場合、侯爵家に俺から抗議する。あるいは法的な措置を取らせてもらう」
「迷惑行為? 俺はただ、マノンに会いたいだけだ」
「それが迷惑だと言ってるのが分からない?」
セルジュはデリウスをきつく睨みつけ、もう行こうとマノンに囁いた。いつも頼もしい人だ。彼の言葉に頷き踵を返す。マノンは去り際、少しだけ振り返りデリウスに聞く。
「――ルチミナ様と……何かあったんですか」
しばらくの沈黙のあと、デリウスが重々しく答えた。
「あれは――悪女だ。彼女ほど性根の悪い人間を他に見たことがない。このままだと俺は。あの女と結婚させられる。そう考えただけで具合が悪くなるよ」
彼の声から悲痛な思いがひしひしと伝わってくる。ルチミナは嘘と演技で人を操るような狡猾な女性だけれど、最初に彼女の本質を見誤り、利用したのはデリウスだ。自業自得としか言えない。
マノンはそのまま言葉を返すことなく、母の墓を去った。




