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18.運命の決闘(2)

 

 闘技場の控え室。マノンは仮面を着けてフードを被り、決闘代理人ノアに変身した。そこでマノンは、デリウスと対面を果たす。


「今日はよろしく頼む。最強の代理人と聞いていたから大柄だと思っていたんだが……随分と小柄だな」

「…………」


 デリウスは仮面越しにマノンのことをじっと見つめた。


「分かっているだろうが――絶対に勝つんだぞ。代理人を立ててまで敗北なんてことになれば、侯爵家末代までの恥だ」

「…………」


 マノンは声を発さず、こくんと小さく頷く。声を出してしまえば、普段から声を聞き慣れている彼はノアの正体に気づいてしまうかもしれないから。


「さっきからお前、なんでひと言も喋らない?」

「……」

「まさかお前、声が出ないのか」

「…………」

 

 声が出ない訳ではないが、こくこくと首を縦に振る。決闘代理人は怪我が付き物なので、腕や足など身体の一部が欠損していることはよくある。声が出さない人がいてもおかしくはないだろう。デリウスは「無体だな」と同情を示した。


「……ところで、俺の婚約者を見なかったか? サーモンピンクの髪をした若い娘だ。見た目が可愛いからすぐ分かる」

「かわ!?」


 今まで一度もデリウスに褒められたことのないマノンは、びっくりして一歩後退する。


「出るじゃないか、声。それにどこかで聞いたことがあるような……」


 疑わしげな表情をしてこちらに顔を近づけてくる彼。マノンは、ぶんぶん首を横に振った。婚約者の姿も見ていないと、ジェスチャーで伝える。……本当は目の前にいるんだけど――なんて思いながら。デリウスはどこか苛立った様子で控え室を出て行った。


「ったく、どこに行ったんだかあいつは」


 扉が閉まる直前に舌打ちが聞こえて、マノンは肩を竦めた。




 ◇◇◇




 デリウスはマノンの到着を待ち続けていたようだが、結局彼女が来ることはなく、本番の時間がやってきた。

 柵で囲われた小さめの闘技場に、審判と数名の証人、イルゲーゼ侯爵家とスフォリア大公家の親族。そして、客席には大勢の見物人の姿が。


 壇上に上がったのは、武具を身につけたセルジュと決闘代理人ノア。ノアの姿を見た見物人たちはざわつき始めた。


「なんだ、侯爵令息が直接戦う訳じゃないのか」

「情けないな。期待してこっちは仕事を休んできたってのに」

「どうせまたノアの勝ちよ」


 決闘は、上流階級に限られた文化だ。一般庶民からしたら、貴族同士の手に汗握る戦いは娯楽であった。見物人たちは、怖気付いて代理を立てたデリウスに野次を飛ばす。デリウスの父も、家の名誉を賭けた戦いなのにデリウスが代理を立てて逃げたとは知らず、頭を抱えている。


 それでも――決闘は勝敗が全てだ。『リージェ神は正しき者を救う』という信仰があるから、代理を立てようと勝った方に全ての栄誉が与えられる。


 マノンは剣を構え、セルジュをまっすぐ見据えた。


(決闘で手を抜くことはリージェ神への冒涜。手は抜けない)


 すらりとした体躯に、爽やかで端正な顔立ち。物語から飛び出してきたような儚げな雰囲気がある美丈夫だ。


「――これより、リージェ神の名の元、ポリエラ伯爵家御息女マノン・ポリエラに真にふさわしい者を決める。――始めっ!」


 審判の合図とともに、マノンは足を踏み出した。剣を下に構え、セルジュ目掛けて振り上げる。ギン……ッと鈍い金属音が空に響き渡る。セルジュはマノンの受け止め、力を込めた。拮抗した状態が続いたあと、マノンはさっと身を剥がし、追撃を始めた。


 幾度となる剣がぶつかり合い、次第に腕に痺れを感じる。


(……っ思っていたより強い)


 あまり稽古ができていないと言っていたけれど、さすがは大公家の血を引く者。素質は十分にあるらしい。久しぶりに骨のある相手と対峙し、いつもより力が入る。

 優れた二人の剣技の応酬に、見物人たちは息を飲む。


 何度目かの邂逅。剣身が擦れ合うとき、額に汗を滲ませたセルジュが苦笑する。


「やっぱり強いな。俺ではとても太刀打ちできないよ」


 ノアは『無敵のレディー』の異名を持つ百戦錬磨の最強の決闘代理人。そう容易く負けることはない。しかし次の瞬間、セルジュがふっと腕の力を抜く。


「……っ!?」


 その拍子に、マノンの剣先がセルジュ目掛けて降りかかる。――セルジュに怪我をさせてしまう。そう思った瞬間、彼の目の先で無意識に剣を止めていた。


 セルジュは、マノンがセルジュを傷つけないように攻撃を殺したことを理解して呟く。


「マノンは優しいね。――やっぱり向いてないよ、この仕事」


 直後、セルジュの渾身の一撃がマノンの剣を薙ぎ払い、腕が外に弾かれる。その隙に、セルジュはマノンの腕をぐいっと引いて――口付けした。


「〜〜〜〜!?」


 粘膜とも肌とも違う温かい感触が唇に伝わる。マノンの手から剣が落ち、からんと地に転がる。何が起きたのかさっぱり理解が追いつかず、目を白黒させて硬直する。


(今、何を……!?)


 落とした剣を拾わなくてはならないのに、身体が強ばって動けない。そして、あっという間にセルジュの剣がマノンの首筋に添えられていた。


 マノンは両手を掲げ、真っ赤な顔で今にも消えてしまいそうな声を漏らした。


「こ、降参です……」


 セルジュからの口付けは、どんな剣豪の斬撃よりも強烈な一撃で。最強の代理人、『無敗のレディー』の初の敗北はあっけなかった。


 客席から「ええぇぇえっ!?」と驚きの声が上がる。


 一方、大勢の人たちにキスを目撃されてしまったマノンは、自分が負けたことも忘れて、ショックやら恥ずかしいやらで俯き、両手で顔を覆った。


(うぅ……私のファーストキスが……こんな大勢の人の前で……)


 そんなマノンに対し、セルジュはいつもの柔らかい笑顔で近づいてくる。マノンは彼をぎろりと睨みつけた。


「……人でなし! 卑怯者……!」


 むっと頬を膨らませるマノンを見て、なぜか彼は楽しそうに笑った。近づいてくる彼に警戒し、一歩、二歩と後ずさる。


「ごめん。そうむくれないでくれ。だって、『口付けしちゃいけない』なんてルールはなかったでしょ? 俺は何も違反してない」

「マナー違反です!」


 最強の代理人の無敗記録が、キスひとつで破られてしまうなんてとんだ恥である。でも勝ちは勝ちだ。これで、リージェ神の名の元、マノンの本当の嫁ぎ先が決まった。


 勝敗は決した。

 ――なら、花嫁はどこに?

 客席がざわめき始める。侯爵令息と新大公が決闘をしてまで手に入れようとした女性は、どんな存在なのか。


 すると、セルジュがマノンの方に手を伸ばした。


「何を……」


 彼はマノンの仮面に手をかけてフードと共に外した。後ろで束ねたサーモンピンクの特徴的な髪が風になびく。


「あれが、最強の代理人ノアの正体!?」

「嘘だろ、あんな女の子が……」


 無敗の伝説を誇る決闘代理人の意外すぎる素顔に、誰もが驚く。


 つり目がちなぱっちりした青い瞳に、幼さを残す顔立ち。誰が見ても整っていると頷く愛らしい容姿に、「可愛い……」という言葉があちこちから漏れ聞こえる。

 しかしマノンはまず、客席にいる父の顔を見た。ずっと父にも決闘代理人のことを隠してきた。茫然自失となっている父を見て、胸が痛くなる。


「――返して!」


 仮面を取り返そうと手を伸ばすが、ひょいとかわされる。


「俺は妻が決闘代理人でも否定はしない。だからもう正体を隠す必要はないんだ。でも……マノンが仮面をつけて正体を隠すのは、後ろめたいことがあるからだろう?」


 マノンの意識は、後方の父の方にばかり向いていた。……セルジュはマノンのことを全て見抜いているようで。


「君の中で答えが出るまで、これは俺が預かっていよう」

「……分かりました」


 拳を握り締めるマノン。

 そのとき――。


「待て! これは一体……どういうことだ!?」


 そう叫びながら舞台に上がってきたのは……デリウスだった。

 血相を変えたデリウスが、マノンの目の前に立ちはだかる。


「隠していてごめんなさい。……実はずっと、決闘代理人をしていたんです」

「は、はぁぁ……!?」


 デリウスは全く信じられないといった様子。


「わ、訳が分からないぞ」

「……ですから、かねてよりノアという名前で決闘代理人をしていて、」

「そうではない! どうしてそんな真似をしていたのかということだ。お前の家はそれほど金に困っているのか……?」

「金銭が目的ではありません」


 確かに、報酬は実家の借金返済に当てている。しかし、危険な仕事に見合うほどの金額ではない。

 母が死んでから剣を握るようになったという経緯を話したとして、デリウスはそうですかと納得するとも思えない。

 彼は鼻息を荒くしながら声を張り上げた。


「とにかくだ! 俺はこの結果を認めないぞ! お前は神聖な決闘の場に私情を持ち込み、本気を出さずにわざと負けたんだからな!」

「言いがかりです。私がわざと負けるなんてありえません」


 負けじと言い返すが、デリウスは引き下がろうとしない。


「いいやわざとだ。たかが口付けで動揺して剣を落とすなんて無敗の伝説を持つノアならありえないだろう。お前が本物のノアなのかも疑わしいな。もしそうだったとしても、すぐにそんな野蛮な仕事やめろ。お前には似合わない仕事だ。大人しく俺の言うことだけを聞いていれば、何不自由せずに生きていける。だから、妻として家庭を守ることを考えるべき――」


 長ったらしい説教に、マノンは眉間に皺を寄せて叫んだ。


「うるさいなぁもう!」


 デリウスはずっとマノンのことを否定して、行動を制限しようとしてきた。彼は自分がいつでも優位に立っていたくて、マノンのことを都合のいいように支配したいのだ。


 今なら分かる。彼がマノンをコントロールするために、あえてそっけなくしたり、ひどいことを言ったり、嫉妬心を煽ろうとしていたのだと。


「あれもだめ、これもだめ。お前はだめなやつだ、俺の言う通りにしろ。デリウス様はいつもそればかりです。私のやることなすこと否定して怒って、少しも寄り添おうとはしてくださらなかった。婚約者、なのに……っ。もううんざりです。あなたに振り回されるのは!」


 ぼろぼろと涙が溢れる。いつもは平然を装ってきたけれど、積もり積もった不満が爆発する。今日くらいはっきり言ってやってもいいだろう。セルジュが決闘に勝利した瞬間から、もうデリウスは婚約者ではなくなったのだから。


「デリウス様がなんと言おうと、私は本気でこの勝負に挑みました。大事な戦いを他人に依頼して、自分は逃げ出してしまうようなあなたには、とやかく言う資格はありません」


 マノンは袖で涙を拭い、踵を返す。動揺したデリウスが引き留めようと手を伸ばした。


「待てっ、違うんだ。俺はただお前のことがす――」

「そこまでにしておけ」


 それまで沈黙を守っていたセルジュが、デリウスの腕を掴んでひと言。


「彼女を手放す覚悟がなかったのに、なぜ決闘を引き受けた? 病弱な俺は倒せると侮り名誉を得ようと考え、だけど結局怖気付いた。その結果がこれだ。後悔しても遅い」

「そんな……っ」

「潔く引け。――彼女を本当に愛しているならな」

「…………っ」


 デリウスはがくんと膝を地に突けて、茫然自失となった。

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