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12.デリウスと薄幸な公女

 

 デリウスはマノンと別れたあと、その足でルチミナに会いに行った。別れを告げるために。


 病弱で、友人も少なくいつも部屋でひとり過ごしている彼女。ルチミナの両親であるニジルツァ公爵夫妻は娘を溺愛しており、デリウスが見舞いに行くと手放しで喜ぶ。婚約者がいると彼らは分かっているが、家に通うのを許しているのは娘可愛さゆえの暗黙の了解だった。


 マノンの気を引くために利用することが目的だったが、なんだかんだ言いながら、ルチミナのことはそれなりに気に入っている。――遊び相手としては。


 エントランスまで出迎えてくれたルチミナ。


「デリウス様……! よくお越しくださいました……!」


 花が咲いたような笑顔で駆け寄ってくる彼女。抱きつく勢いの彼女を腕で軽く受け止める。


「体調はいかがですか?」

「……それなり、です」


 一瞬、彼女の表情が曇る。憂いを帯びた表情を見て直感する。恐らく、あまり良くないのだろう。しかし彼女は、デリウスの前だと気丈に振る舞おうとする。


「お庭のお花が綺麗に咲いているのです。もしよろしければ一緒に見に行きませんか?」

「ええ、もちろんですとも」


 ルチミナに連れられて、庭園に佇む大きなガゼボに行った。複数人の使用人たちが、横でせっせと紅茶やお菓子を用意している。さすがは公爵邸の庭園というだけあって、花壇は隅々まで手入れが行き届き、色調豊かな花が咲いている。


「とても綺麗ですね」

「ええ。本当に」

「でもどんな美しい花より、ルチミナ様が最も素敵です」

「ま、まぁ……」


 するりと口から出た賛辞。マノン以外の令嬢であれば、自然に褒めることができるのに。


 ルチミナは手を添えた頬を朱に染めた。ルチミナといると、イライラしていた気分も紛れていく。恋心がないからこそ安心感があるのだ。


 ルチミナの長い紫色の髪が、風に揺られてはためいている。デリウスはおもむろに、マノンから突き返されたプレゼントをテーブルに置いた。


「こちらは?」

「あなたに差し上げようと思って」

「まぁ……ありがとうございま――」


 しかし、箱を見下ろした彼女は不審そうに眉をひそめた。ラッピングを剥がして中身を確認し、今度はため息をつく。


「デリウス様は嘘が下手ですわね」

「え?」

「この贈り物、一度開封した形跡がございますわ。それにこの靴……わたくしのサイズより小さいです。とてもわたくしのために用意してくださったとは思えません。――マノンさんに差し上げるおつもりだったのでしょう?」


 ルチミナよりマノンの方が小柄だが、女は誰も同じくらいの靴の大きさだと思っていたが、浅はかだった。


「ああ。彼女から突き返された」

「まぁ。それを別の女に使い回すだなんて、ひどいお人ですわね」


 今日は、もう二度と会いに来ることはないと言うためにここに来た。なぜならルチミナは、マノンの気を引くためのコマでしかなかったから。せめて、宝飾品のひとつでも渡しておけば少しは気分を良くさせられると思ったのだ。


 繊細な彼女に本題をどう切り出していいか考えあぐねていると、彼女の方が口を開いた。


「……大公と決闘をなさると伺いましたわ。なぜです……!? 拒むこともできるのになぜそのような野蛮な挑戦を引き受けられたのです……! これを口実にマノンさんと別れることもできたはず。なのにそれをしなかった」

「それは俺が、マノンを愛しているからだ」

「……!」


 ルチミナは大きな瞳から涙を溢れさせた。


「わたくしのことが好きだとおっしゃってくださったのは、偽りだったのですか……? マノンさんといずれ婚約を解消し、わたくしの元に来てくださるというあの言葉は……! わたくしはあなたのことをお慕いしていますのに……っ」


 デリウスは冷めた声音で答えた。


「さぁ。そのようなことを言った覚えはありませんね」


 本当ははっきりと覚えている。ルチミナにかけてきた甘い言葉の数々は、利用するために彼女の心を繋ぎ止めておくためでしかなかった。


「俺はもう、ここには来ません。それを今日は伝えに参りました」

「ひどい……っ。こんなの、あんまりです……っ」


 ルチミナは両手で顔を覆い、わっと泣き出した。泣いている彼女を放置し帰ろうと立ち上がるが、彼女は真っ青になって引き止めようとした。


「わたくし、まだ諦められません。お願い、わたくしのことを捨てないでくださいまし……っ。わたくしにはデリウス様しかいないの」

「申し訳ありません。……どうかお元気で」

「待って……!」


 まさか彼女が、そこまで自分を愛していたとは思わなかった。純粋な彼女の傷ついた顔を見て、自分のやったことに初めて罪悪感を抱く。掴まれた腕を軽く振り払った拍子に、彼女が大袈裟に倒れる。


 ――ゴンッ。鈍い音がしたかと思えば、ルチミナが倒れていた。


「ルチミナ様……!?」


 頭をテーブルの角に打ち付けたせいで、出血している。


「うっ……」


 デリウスは頭が真っ白になって立ち尽くした。使用人たちはそんなデリウスを払い退けて、ルチミナに駆け寄る。


「お嬢様……! しっかりなさってください! お嬢様!」

「早く誰か! 主治医を呼んできなさい!」

「は、はいっ!」


 使用人がルチミナの切れた頭部を止血している。使用人たちがばたばたと対応するのを眺めながら、茫然自失となった。


 唖然とするデリウスを薄目で見上げたルチミナが一瞬、意地の悪い表情をしたことに誰も気づかなかった。




 ◇◇◇




 ルチミナの傷は幸い浅かった。意識にも問題はない、


「申し訳ありません。悪気はなかったとはいえ、ルチミナ様に怪我を負わせてしまったこと、深く反省しております」

「謝って済む問題じゃない! 打ちどころが悪ければ今ごろどうなっていたか……っ」

「お詫びのしようもないです」


 ルチミナが休む部屋で、デリウスは公爵夫妻に謝罪した。彼らはかなり怒っているが、ルチミナが必死に弁解する。


「お父様、お願いです。デリウス様をお責めにならないで……! わたくしが全て悪いのです。デリウス様に捨てられるのが怖くて、縋り付いてしまったから……っ。たとえ顔に傷跡が残ろうと、もしデリウス様に今後もお会いできたら、わたくしはそれだけで幸せです」


 しおらしく涙を浮かべ、両親に訴えかける彼女。公爵は厳しい顔つきでこちらを見た。


「――だそうだが、君はどう思う?」

「それは……」

「娘には君が必要なんだ。こんないたいけな娘を放ったらかしにして、今更自分だけ抜け駆けしようなどというのは卑怯ではないか? 君がこれからもルチミナの友でいてくれるというなら、私は今回の件は目を瞑ろう」


 本当は、今日この日でルチミナの元に通うのを止めるつもりだった。けれど、不本意にも公女に怪我を負わせてしまった以上、責任が生じてしまった。

 公爵の言葉は、ほとんど――命令だ。


「ルチミナ様のような高貴で清廉なお方とこれからも友でいれるとは、光栄至極です」


 心にもない言葉を口にしたあと、デリウスは下唇を噛んだ。


 するとルチミナは一瞬で泣き止み、にこりと柔和な笑みを浮かべた。


「ではこれで……デリウス様はわたくしとずっと一緒ですわね」


(ルチミナ様……?)


 いつもの優しい表情と違い、デリウスは何か違和感を覚えた。

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