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11.憂鬱なデート

 

 セルジュが伯爵邸を訪れてから四日後。突然デリウスから呼び出しを食らった。


(急に呼び出しなんて……どうしたのかしら)


 懐疑的に思いながら、集合場所に向かう。集合場所は、イルゲーゼ侯爵領の中央都市だった。

 街道は大勢の人たちが行き交い、道の脇には高級な店が軒を連ねている。

 大きな荷馬車が店の前に止まり、従業員が仕入れをしているのを遠目に眺めながら、指定された広場で彼を待つ。


「おはよう、マノン」

「おはようございます」


 待ち合わせの時刻から二十分ほど遅れてやって来たデリウス。……彼は昔から遅刻常習犯だ。毎回待たされるマノンだが、律儀なマノンはいつも約束の時間ぴったりに行くようにしている。もし遅刻したのが逆なら、デリウスは口うるさく嫌味を言うだろうから。


 彼はマノンのことを上から下まで値踏みするように観察し、ふっと鼻で笑った。


「相変わらず洒落っ気がないな。少しは着飾ったらどうだ?」


 今日は、装飾の少ないシンプルなドレスを着ている。ついこの前は、少しだけ華美に着飾ったマノンに『男に色目を使ってはしたない』と苦言を呈したばかりだ。どうせ彼な何を着たところで嫌味を言うのは分かっている。


「……申し訳ありません」


 いちいち言い返すのも面倒なので、反省した素振りを見せてしおらしげに返す。そうするとデリウスは満足するから。典型的なモラハラだ。


「それじゃあ行くぞ」


 デリウスは突然マノンの手を握って歩き出した。今まで触れて来たことなどなかったのでぎょっとするマノン。咄嗟に手を振り払うと、彼は怒ったような顔をした。


「なぜ拒む? 婚約者の手を振り払うのか、お前は」

「……人の目があるので」

「俺と手を繋ぐのは嫌か?」

「嫌じゃ……ないです」


 嫌なんて、言えるはずがない。本心を口にしたらきっと不興を買ってしまうから。プライドを傷つけられた彼は、イライラした様子で頭を搔いて、マノンの手を強引に繋いでそのまま歩き出した。

 街道を歩く途中、路地裏で男女が揉めているのが見えた。


「私は今から叔母の見舞いに行かなくちゃならないの!」

「10分だけだって言ってるだろ? ちょっとその辺でお茶するだけだから」

「それが無理だって言ってるのよ」


 どうやら、男性の方がしつこく若い女性に言い寄っているようだ。女性はかなり嫌がって抵抗しているのに、男性は一向に引き下がろうとしない。マノンが気になって立ち止まると、デリウスも路地裏の方に目線を移した。


「デリウス様、あれ……」

「ほっとけ。女の方も満更ではない」

「満更でもない? 本気でそう思ってますか?」

「ああいう面倒事には首を突っ込まない方がいいってことだ」


 デリウスはそう言っているが、マノンはこういうのを放っておけない性分だ。すると、男性が女性の腕を強引に引いた。


「ちょっ、離して、嫌……っ!」


 強引にどこかに連れて行こうとする様子を見たマノンは、思わず前に出ていた。


「彼女が嫌がってるわ。その手を離しなさい」

「はぁ? なんだよ急、に……」


 忌々しそうにこちらを振り向いた男性だが、マノンの姿を見て瞠目し、ほうと呟く。


「お嬢ちゃんが相手してくれるっていうならいいぜ」

「お断りよ」

「――いだっ!」


 手刀で男の手首を打つと、女性の腕を握っている力が緩められる。

 マノンはその隙に女性を逃がした。


「何すんだてめぇ!」

「私は彼女を変態から助けただけ」

「なっ……!」


 マノンが底冷えする眼差しで男性を威圧する。彼は痛む手首を摩りながら眉間に縦じわを刻む。一触即発の雰囲気に、周りもざわざわし出すが、そこでデリウスがやって来た。


「もうその辺にしておけ。行くぞ」


 マノンが男連れだと分かった男性は、悔しそうにこちらを睨みつけたあと逃げて行ってしまった。そのあと、目的地に着くまでデリウスに延々と叱られ続けた。くだらない正義感だと。

 それでもマノンは、女性を助けたことに一切の後悔がなく、自分が責められることに納得できないのだった。


(――きっとセルジュ様なら……ためらいなくあの女性を助けていたでしょう)


 セルジュは泣いているマノンにハンカチを差し出してくれた。でもデリウスは自分の利益しか考えておらず、優しさがない人だ。




 ◇◇◇




 連れて行かれたのは、大きな劇場。高尚な劇を観せられたけれど、マノンはあまり楽しめなかった。眠気に襲われてうつらうつらしつつ、なんとか鑑賞を終えた。劇が終わったあと、移動中延々とデリウスの考察を聞かされたが、それも退屈だった。


 それから、高級なレストランに案内された。上階の席に着き、コース料理が運ばれてくる。前菜、スープの次は、海鮮料理が運ばれてきた。


「美味いか? お前は海鮮が好きだったはず」

「はい。好きです」


 海鮮が好きだと言ったことは一度もないし、そこまで好きではない。むしろ苦手な部類だ。


(これはたぶん……別の女性と勘違いしてる)


 そう直感したが、マノンを喜ばせようとしてくれた彼の気持ちを汲み、愛想笑いを返す。

 しかし、ナイフを入れて気づいた。料理の中に海老が入っていることに。マノンは海老アレルギーで、食べると全身に蕁麻疹が出る。


(海老アレルギーだってことは、何度かお伝えしたことがあるけど)


 長い付き合いだが、肝心なことはまるで覚えていないようだ。マノンはデリウスの好きな食べ物も、嫌いな食べ物もよく知っている。彼と食事をするときはいつも彼の好みに合わせてきたから。マノンは海老を皿の端に避けた。


「何をしているんだ? 行儀が悪いぞ」

「海老がアレルギーなので」

「そういうことは先に言え」

「すみません」


 だから、以前から何度も伝えている。

 今日は朝からデリウスと過ごしているけれど、ストレスが溜まるばかりだ。

 楽しませようとしてくれているのかもしれないが、何気ないひと言に憂鬱な気分にさせられる。


 最後に豪華なデザートが運ばれてきた。


「これはあまり美味くないな」

「そ、そうでしょうか。私は美味しいと思いました」

「俺の舌はお前と違って肥えてるからな」

「…………」


 せっかくの美味しい料理にケチを付ける彼。それに、マノンが卑しいみたいな言い方だ。甘いものが大好きなはずなのに、マノンも美味しく味わうことができず、嫌な気持ちが胸に広がった。


 すると、デリウスがおもむろに包みを渡してきた。


「――これは?」

「開けてみろ」

「はい」


 包みを開いてみれば、高そうなネックレスと指輪、宝石がついた靴が入っていた。


「お前の家は貧しいから、こういうものはあまり買えないだろう。ありがたく受け取れ」


 だいぶ失礼な言い方だ。マノンにも、マノンの家族にも。彼は親切心のつもりかもしれないが、ちっとも嬉しくない。


(彼なりに機嫌を取っているつもりみたいだけど……)


 そっと目を伏せて考える。今更マノンの機嫌取りをしてきてももう遅い。マノンの心は自分が思っているよりずっと彼から離れたところにあるようだ。


「――受け取れません」

「は?」


 箱を押し返す。デリウスは困惑気味にどうしてかと聞いてきた。


「あなたなりに私と向き合おうとしてくださったことは伝わりました。その気持ちは……ありがたく思います。でももう遅いです。これまでデリウス様はあまりに不誠実でしたし……私たちはたぶん、一から十まで合わないんだと思います」


 ルチミナに心移りしていたのに、マノンを失うのが惜しくなったのか。散々ひどい仕打ちをしておいて、今更関係を修復できると思っているなら虫がいいにもほどがある。するとデリウスは、初めて焦ったような表情をした。


「お前がそんな風に思うのはルチミナ様のせいか? 彼女とは関係を切る」

「そういうことを言ってるんじゃありません」


 ルチミナは優しい人だ。浮気だとは言え、デリウスに振り回されて彼女も気の毒に思う。


「私は、高尚な劇より、高級な料理や宝石より、甘いお菓子を一緒に『美味しいね』と食べられるような関係を望んでいました」

「そのくらい俺だって、」

「知っていますか? デリウス様は、私が好きな食べ物を食べたとき、一度も『美味しい』とは言ってくださいませんでした。あなたはいつも、私の好きなものを否定するから」

「それは……」


 マノンが悲しげに言うと、彼は焦りと怒りで眉間に皺を寄せた。


「お前はもう俺と別れたような気になっているが、馬鹿げた決闘で俺は負けないぞ。大公を負かした栄誉も、お前も全部手に入れてやる」


 戦うのはデリウスではなく代理人ノアだ。

 マノンは首を横に振った。


「勝敗はリージェ神にしか分かりません。少なくとも私は……セルジュ様に勝ってほしいと思っています」


 椅子から立ち上がり、鞄を持つ。くるりと背を向けると、顔を真っ赤にしたデリウスがフォークを掴んで構えた。


「マノン。お前ってやつは、俺に対する敬意がないのか……!」


 ひゅんっと音を立ててフォークが飛んでくる。マノンは後ろからの攻撃をかわし、片手でフォークをキャッチした。フォークをテーブルの上にことんと置き直し、にっこりと微笑む。


「今のあなたにあるのは……軽蔑です」

「〜〜〜〜!?」


 初めて彼に告げる本心。こんな挑発的なことを言って、万が一この決闘でデリウスが勝って彼に嫁ぐことがあれば、マノンはきっとデリウスににひどい報復をされるかもしれない。


 そんなリスクを背負うと分かっていながらはっきりと思いを告げたのは、セルジュの勝利に賭けたかったからかもしれない。

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