悟りのバケモノ
週末のショッピングモールの賑わいを見れば、まるで少子化など嘘のように思えて来る。郊外なら尚更だ。
財布の中身と相談しながら、より賢く買い物を済まそうと、真剣な眼差しで値札を睨む女がいれば、その周りには大抵ショッピングに飽きて、グズつくか、あるいは走り回り遊び出す子供がいる。
男はと言うと、まあ、例外はいるけれど、大抵は疲れた表情でベンチに腰掛け、スマホをいじり暇つぶしをしている。モールの椅子は、男たちのためにあると言って過言はない。
ここにも1人男がいた。荷物番でもしているのか、幼児用のアニメキャラクターがプリントされた小さなリュックサックを大事そうに抱えて、スマートフォンを弄りながら、トイレの前のベンチに腰掛けていた。働き盛りの40歳程度、中肉中背のごくありふれた男だ。強いて他と違うことを挙げるなら、男の顔は決して疲れを見せておらず、むしろその目は鋭く、爛々と活気付いている。とりおり物色する様な目でトイレの出入り口を見やり、またスマホを弄るを繰り返す。一見では分からない異質さは、分かるものには、分かるようだ。
70歳ぐらいだろうか。白髪混じりの薄い髪をした男が、異質な男に話しかけた。便宜上こちらの男を『老人』とするが、体は太く、背筋足腰はしっかりしとおり、決して老いぼれには当てはまらない、そんな老人だった。
「かわいい鞄ですね。娘さんですか?私の孫もそのアニメに夢中でして、私もよくグッズを強請られるもんです」
「はあ」
突然話しかけられた男は、明らかに動揺して、会話するつもりはないと示すように素気なく答えて、手元のスマートフォンへと視線を落とす。
しかしながら老人は、そんなことはお構いなしと話を切り上げず、また声をかけ続けた。
「娘さんは今トイレで?」
「ええ、まあ」
「随分待たれている様ですが、心配ですね。家内に見てきてもらいましょうか?」
「いえ、いつもの事ですので、お気遣いなく」
「本当は娘さんなんていないんでしょう?」
スマートフォンを弄る、男の手が止まった。「どう言う意味で?」と必死に平常を保つが、老人は気にせず畳み掛ける。
「あんたもうここに1時間近くいるだろう。
不審だと通報が出てるよ。念のため女性スタッフにトイレ見てきてもらったが、それらしい子はいなかったとさ。
あんた誰を待ってるんだ?」
「性的に子供が好きなんだな?あんたの目を見ればわかるよ。
何人も見てきたからな。
その鞄はカモフラージュかい?中にオモチャでも入れておいて、気に入った子がいれば気を引こうとしてたのか?」
「スマホのデータ見せてくれないか?
隠れて盗撮でもしてたんじゃないか?そうだろ?
そこで目を逸らすのは、白状したのと同じだぞ。
もう防犯カメラできっちり危険人物と認識したからな。
そんな泣きそうな目で見るなよ。言いたいことは聞くから、観念してバックヤードについて来て……」
「あ、お父さんこんな所にいた!」
遠くから、幼女が大きく手を振り、男に駆けつけると、そのまま抱きついた。抱きつかれた男は、隠れて休憩していたことを軽く謝罪しつつ、頭を撫でて、娘を宥めた。
「お母さんは近く?」
「うん、そこのお店」
「じゃあ、お父さんは少しこのお爺さんと話があるから、先に行っていてくれないかな?すぐに追いつくから」
「えー、すぐにだよ?もう逃げちゃだめだよ?」
「うん、すぐいくよ。その後アイス食べよう」
機嫌を直した娘が、また手を振り駆けていく。残されたのは、そんな娘の後姿を見送る男と、うって変わって青ざめた表情の老人の2人となった。沈黙に耐えきれず、老人が話し出す。
「あんた、トイレに行った娘を待ってると言ったじゃないか」
「見ず知らずの老人に話しかけられて、適当に相槌打っただけです。
それは想定してなかったですか?モールの警備員ですよね?」
「ええ、まあ……」
「話し口調と威圧的な態度。年齢から推測するに、定年を迎えた、もと警察官ですかね?それも刑事さん」
「え、ええ?まあ……」
「不審人物の通報を受けて、意気揚々と馳せ参じた訳ですか。
でも間違ってますよ。私がここにいたのはせいぜい20分程度です。
1時間は、通報者に盛られましたね。
それこそ防犯カメラで確認して、情報の裏を取ったりしないんですか?」
「……」
老人は黙ってしまった。曇った表情の老人に十分満足したのか、さてとと男は立ち上がり、「バックヤード行きます?」と訊ねた。
老人が首を振ると、「ではこれで」と男は頭を下げて、背を向けた。
二、三歩歩き出し、老人が醜態の終焉にひとまず胸を撫で下ろし、緊張が途切れた瞬間、「そうだ!」と大袈裟に男が発して、また体を反転させ老人と向かいあった。
「『目を見ればわかるよ』『目を逸らすのは、白状したのと同じだ』でしたっけ。
随分と曖昧なものを確信されるんですね。
『何人も見てきた』、その節穴で、何人見落とし、見誤ってきたんでしょうね。
大した眼力もないのに、自惚だけは一丁前で。
あなたの挙げた犯人、冤罪だらけじゃないですか?」
「貴様、だまれ!」
興奮した老人が軽く突き飛ばすと、男は大袈裟に転げて、その場にうずくまった。
「何やってるんですか、上田さん!」
慌てて、別の警備員が駆けつけて、呆然と立ち尽くす老人を押さえつける様に抱き抱え、バックヤードへと消えていった。別の警備員が駆けつけて、男に手を差し伸べる。
「大変申し訳ありません。この度はどう償えば良いものか……」
「いえ、償いは結構です。ただ、あのような短気を起こす素行の悪いものに警備させるのは、どうかと思いますよ」
「それは、上司と相談して、改善いたします」
今度こそ男は娘のところに歩み寄り、ほったらかしにしたことを謝罪した。母親の買い物が終えるのを待ち、家族3人、仲むつまじく手を繋ぐ。
「そうだ、最後に電話一本だけさせて。
これでお仕事終わりだから」
そう言うと、不満を口にする娘を尻目に、男はどこかに電話した。
「もしもし、通報ご苦労様。
万事うまくいったよ。クライアントには、そっちから報告しといてくれ。
復讐代行、無事終えましたって」