第5話
――肺が悲鳴を上げている。
闇雲にただ聖羅は、無機質な通路を駆けていた。
いくら身体が悲鳴を上げ、息が上がっていたとしても。身体に更に鞭を打ち、ただ駆け続ける。
少年が走る理由は、自分の描いたエゴを形として成し遂げる為。他人の為ではなく自分の為に走っていた。
第3者目線から見れば何ともしょうもない理由で戦場に向かっているようにみえるが、彼からすればこのエゴは自分が戦う為の都合の良い理由になるのだ。
あれだけ毛嫌いしていた戦場に自分の頭で考えて、自分の足で向かっている。これが、彼にとってどれだけ大きい事なのか。
「美波さん……!!」
自分を戦場に連れ出した人だが、自分の目の前で死ぬ人を見たくはない、という身勝手極まりない概念に急かされながら彼は声を漏らす。
今こうして走っている1分1秒にも彼女は命を削りながら戦っている。彼女を死なせない為にも、彼はこの先の道を急いだ――。
***
通路を抜け地上に出た彼は、目の前に広がる戦場に呆気に取られていた。
そこかしこで火柱が上がり、基地が隠れてる山の付近には微塵も動かない敵の機体が転がっている。この風景を言葉に表すとしたら、ありきたりだが『地獄』という言葉が一番似合っているのかもしれない。
この現状を作り出している件の機体は空で、その見た目に反しない神の如く強大な力を振るっている。今この瞬間にも巨大な銃で相手の戦闘機を射撃しているのが見えた。
その反動で地上にも一瞬の閃光と暴風が吹き晒す。彼の眼は放たれた銃弾を捉える事は出来なかったが、銃身の向いている先。目視で相手の戦闘機の機影が見えるぐらいの距離だったが、空中で爆発が起こったのを見て、銃弾が当たっている事を確信した。
「すげぇ……あの距離を……」
聖羅はまだエグゼリオンに乗ったのがたった1回しかない。
たった1回乗れるだけ常人ならざる資格があるという証明にもなるのだが、そんな彼から見ても美波の類まれな精密性を持った長距離射撃には驚く他なかった。
しかし、彼が見上げているエグゼリオンが射撃後から一切動いていない。
仲間が墜とされ激昂した敵の戦闘機が編隊組みながらエグゼリオンに向かってきているというのに、指1本動く素振りがないのだ。
「美波さん……?」
そうしている間に敵の戦闘機は距離を詰め、エグゼリオンに対してミサイルを撃ち込んでいく。
エグゼリオンの装甲を持ってすればあの程度の攻撃など痒くもないのだろうが、ミサイルの爆炎と共に機体が落下してきていた。
落下したエグゼリオンは体制を整える事もなく、山の斜面にぶつかりそのまま停止してしまった。
聖羅の居た地点は多少落下地点からは離れているが、その衝撃は先程の暴風より更に強い風となり、土煙を纏った暴風は彼を襲った。
何か異変を察したのか《アース》の基地からも援護の射撃が飛び交い、ますます戦火が激しくなってきている。
このままでは美波どころか、地上に出ている聖羅自身の危ない。
かと言って、彼は後ろに引くこともしなかった。
何かを心に決めたような表情を浮かべる彼は、震える足を抑え込んでエグゼリオンに向かう。その道中にも流れ弾が飛び交い、地表に着弾した爆弾や銃弾が火柱を上げている。
1歩間違えれば間違いなく死ぬような場所に彼は居る。そして、その場で誰も死なせない為に彼はそこに居た。
***
「美波さん!!」
やっとの思いでエグゼリオンの元へ辿り着いた聖羅だが、外から呼びかけても中に入っている美波からの返答がない。
単純に聞こえていないだけかとも思ったが、自分が搭乗した時は周囲の音が嫌になるほどハッキリと聞こえたのを思い出す。
となると、やはり美波に何かしらの異常が起きた、と考えるのが妥当だろう。
そう思い立ち、彼はエグゼリオンの装甲をよじ登りコックピットのハッチを叩きながら彼女に呼びかける。しかし、どれだけ呼び掛けたとしても先程と状況が何も変わらない。
途方に暮れながらも無我夢中でハッチを叩いていると、自分の携帯が鳴り始めた。
こんな時に一体誰からだ、と画面に表示されている番号を見ても全く見覚えのない番号。無視して無駄な足掻きを続けようとすると、操作もしていないのに勝手に電話が繋がってしまった。
しかし、知らない番号から聞こえてくる声には聞き覚えがある。電話を掛けてきた人物というのはチーフエンジニアの叶だった。
「聖羅さん、何やってるんですか!?」
「エグゼリオンに乗ろうとしてるんですけど、コックピットが開かないんです!」
「そりゃ……そうですよ……外部から開けられたら中にいるパイロットが危ないじゃないですか」
冷静に考えれば確かにその通りだった。
外部からポンポン開けれたら敵が簡単にこれに搭乗出来てしまう。
恐らく最新鋭の秘匿技術を使用しているであろうこの機体を、そんな簡単に明け渡して良い訳がない。
しかし、外から開けられないならどうやったらこれに乗り込めるのだろう。
「こちらからハッチを5秒だけ開きます。その間に入ってください」
そう告げると叶は通話を切ってしまった。
もうちょっと何か励ましの言葉というか、激励の言葉というかそんなものはないのだろうか。
彼女の自分に対する対応の冷たさに溜息をついていると、目の前のハッチが音を立てながら開いた。その中には意識を失い、シートにぐったりと座り込んでいる美波の姿。
死んでいる訳ではなさそうだが鼻血を出しており、聖羅の呼び掛けにも一切応じない。この様子だとこの戦闘だけでかなり消耗しているのだろう。
しかし、いざコックピットに乗り込むと彼は再度戦場に向かう緊張感に、命のやり取りを行う事の恐怖に足がすくんでいた。
エゴを貫き通すというのは言葉だけで出来る訳ではないし、行動に移すのにも覚悟がいる。その覚悟が彼には足りてなかった。
「聖羅……君……?」
自分の中で葛藤を繰り返しているとコックピットで気を失っていた美波が意識を取り戻し、身体を起こそうとしていた。
「どうして……?」
施設内で出会った際にはあれだけ強気に聞こえていた美波の声は弱々しくなっており、声だけ聴いていると指でつつくだけで倒れてしまいそうなひ弱な人に感じてしまう程だった。
「美波さんがこれに乗ってると危ないって聞いて。それで代わりに俺が乗ろうと……」
言い分だけは恰好が付いているが、その内部は彼自身でも感じる程情けない。
情けない部分と外部の差異に葛藤する聖羅は、奥歯を噛みしめる。
「どいて下さい美波さん……後は俺が……」
この気持ちに気付かれてしまう前に彼は話を進めようとした。
しかしその感情は表情に浮き出てしまっており、その表情を見つめる美波の顔は辛そうな表情を浮かべているのがまた、彼の心を締め付ける。
その表情からも心を背ける様に彼は美波が退いたシートに座り込むと、サイドキーボードを触りだした。
いつまでも逃げ続ける訳にはいかないというのは彼自身が1番分かっているのだが、どうしても目を背けてしまう。
それでも今やらないといけない事を理解している聖羅は、美波が構築したシステムを1部改変しつつパイロット情報を塗り替えていた――。
「パイロット情報識別。虹彩認証開始」
《エグゼリオン、スタートアップシークエンスをステージ4より開始。プロファイル維持、出力エレクトロのみを100%に制限解放。パイロット『聖羅ヒカリ』を認識。エグゼリオン:再起動》
彼の声に応える様にエグゼリオンが動き出す。
外見こそ先程とは何も変わらないこの機体。しかし、この機体から発せられているオーラは誰から見ても別物だと言える程に変わっていた。