海上移動販売・
人情溢れる漁村で起きた一つの事件。一人の老人が海で行方不明になった。村人は一丸となり捜索の為、沖に船を出した。
岡山県の瀬戸内の海に、美しい島々が点在する小さな漁村があった。海は穏やかで何処までも青かった。
主人公である山本哲司は漁師だったが、父親の死を期に漁師を辞め、三年前に中古船を手に入れ、地元の造船所に依頼し、船を改造して住居兼、雑貨店を造り海上移動販売を始めた。漁師で鍛えた身体は筋肉質で、今もなお健在だった。
船はだだっ広い船型の、屋形船をイメージして貰うと良いかも知れない。白い船体にブルーのラインを入れ『鉄丸』と船名を入れた。
キャビンの上に特注の広い寝台も造った。寝ていても辺りが見渡せた。夏の夜、枕元の網戸からは潮騒と共に海を渡る涼しい風が入って来る。波に揺られ、カモメの鳴き声で目覚める生活は快適だった。そして、今日も開店の赤い旗をマストに立て『ドッドッドッ』と勇ましいエンジン音を響かせ『鉄丸』は今日も『・島』に向かった。
この辺は少人数が住む離れ小島が点在し、白いカモメが羽を休め、平和を絵に描いたような景色た。そんな中での移動販売は重宝がられた。島に着けばいつものようにバアさんが数人、桟橋に腰掛け、世間話をしながら俺が来るのを待っていた。皆、顔なじみである。
一人の女の子『裕子』が俺を見つけ『オッチャン』と言って大きな犬『ゴールデンレトリバー』の厶サシと一緒に、|桟橋を駆け寄って来た。とても可愛い女の子だ。しゃがんで、いつもチョコレートやガ厶をあげた。そして、犬の厶サシにも、取って置きのおやつをあげ、頭を撫でた。
何でも、裕子ちゃんが桟橋から海に落ちた時、厶サシが飛び込み襟元を咬んで岸まで泳いで来たそうだ。そんな武勇伝を持つ利口な犬で、島の人達にとても可愛いがられていた。
「鉄ちゃん、いつも悪いね。孫と厶サシが貰って……!」
「良いんだよ、気にすんなバアちゃん。裕子ちゃんと厶サシは可愛くて仕方がないんだよ」とムサシの頭を撫でながら言い、裕子にバイバイして船に乗った。この日もうららかな日和だった。
スーパーとは名ばかりで、便利屋に近かった。朝夕定期船もあるが、島のじいさん、ばあさんが病院に行くとなれば、ついでに乗せて行くと言う事も、珍しい事ではなかった。金はいらないと言っても、黙って置いて行く。むしろ売上よりも多い時さえあった。島の住人にすれば、俺は無くてはならない貴重な存在だと自負していた。今日も明日の注文を受け港ヘと向かった。
途中、小船で釣りをしていた酒好きのマサジイさんに呼ばれた。
「おーい哲ちゃん此処だ!」と手を振っている。近づくと、満面《まんの笑みを浮べ上機嫌だ。もうすでに日に焼けた顔が赤く染っていた。
「酒と煙草はあるか?」としゃがれた声で叫ぶ。
「あぁ。じっちゃんの為にちゃんと、取ってあるよ」カップ酒と、エコーをタモに入れ渡した。
「今日はな! 大漁祝だ。ほれ!」と言って釣った魚を見せた」
「わぁー凄《いな! じっちゃんはやっぱり、腕が良いな!」
「あたりきよ。おらぁこの家業50年やっとる。まだまだ若えもんには負けねぇ。タゴもあるぞ! 持って行ぐが?」酒が入ってるせいか、いつもより饒舌だった。
「いつも悪いね。遠慮無く貰っ行くよ」マサじいさんは、家で飲むとばあさんに怒られるので、いつもこうして酒を買って船で飲むのだ。
中でも、釣り客を乗せた仕立て船の客からは好評で、ビールやツマミが良く売れた。酒類や弁当類も欠かせない商品の一つだ。売れ残りは自分が喰う。こうした島の客は他にもいた。そして取った魚を気前良く、くれた。凪が良ければ、少し沖に居る船まで行く事もあった。
「じっちゃん。飲み過ぎて海に落ちるなよ」と言い船を離れた。今度は別の船に呼び止められた。パンと牛乳が欲しいと言う。種類が無くてもそこは海の上。誰も文句を言わない。今日もほとんど売り切れた。まぁ、これも、離れ小島があるゆえ成り立つ商売だ。
こうして凪が悪い日を除き、毎日移動販売を続けた。瀬戸内の海は穏やかで、美しい夕陽に染まりかけていた。そして三十分ほどかけて漁港に着いた。
「オッス」と声を掛け、タコを持って食堂に入った。此処はいつも食事をする『みなと食堂』だ。母親と娘が営む小さな古い食堂だ。陸にいる時は此処で食事をし、シャワーを借りた。
「おー鉄ちゃんか!」と、娘の真美が言った。
「鉄ちゃんか、はないだろ?」と言いながら、音を立て椅子を引出し座った。真美は、俺の同級生の妹だ。小さい頃から知っている妹見たいな存在だったが、今では健康的な身体をした娘だ。今日も、はちきれんばかりのジーンズにTシャツ姿だ。可愛いが、とても若い娘の言葉使いとは思えない。生まれてからこの漁師町育ちだから仕方がない。
「他に何て呼べば良いの?」と、と毒づく。
「ほれ! 真美に似た、タコだ」と言い手渡した。
「まぁ! 乙女に向かってタコですって!」
「ほら! 口を尖らせた所がタコそっくりだ」と言い掛けた時、思いっきり背中を叩かれた。
「痛えーなぁ」
「あら! また始まったの?」 と言いながら、真美の母親が笑いながら厨房から出て来た。
「だってぇー鉄ちゃんが私の事、タコに似てるって……!」
「そうね。口を尖らせると似ているかも?」と笑った。
「もう……母ちゃんまで!」
「鉄っちゃん。いつも悪いわね。貰ってばかりいて」
「そんな事ないっすよ。俺だってさっきマサじいさんから貰った物だし、生きが良いから店で使って」
「ありがとう。それは、鉄ちゃんが島の人達に良くしているから貰えるんだもの」
思わず頭を掻いた。真美も隣で笑顔になっていた。
今日はさっそくタコの刺し身で日本酒を飲んだ。珍しく真美が酌をしてくれた。
「鉄ちゃんの仕事。私も手伝おうか?」と真美が言った。
「真美が…………?」
「いつも一人で忙しそうだからと思って!」
「食堂だって、おばさん一人じゃ大変だろう?」
「大丈夫よ。その代わり休みの日だけ!」
さっそくおばさんが、タコの刺し身を作っくれ、日本酒で乾杯した。さすが鮮度が良いタコは甘くて美味い。真美が珍しく酌をしてくれた「ねぇ、鉄ちゃん。本当に仕事手伝わせて?!」
「それはありがたいけど、おばさんが何と言うか?」
「いいわ。私聞いて来る」と言い席を立った。
「良いって言われたわ!」
そこに母親が来た「鉄ちゃん。真美が、仕事を手伝いたいんですって! 約に立つかどうか分からないけど、邪魔で無かったら一度連れて行って貰える?」
「俺は良いけど……本当に良いの?」おばさんは笑って首を縦に振り「お願いします」と言った。
「分かったよ。もし、役に立たなかったら、海に叩き込むかも知れませんよ?」
「はい、はい。好きなようにしてください」と言い三人で大笑いした。
次の朝、真美は早くに船にやって来た。
「鉄ちゃん、お早う」
「おぉ、本当に来たのかよ」
「失礼ね! 来るって言ったでしょう。所で私は何をすれば良いの?」
「そうだな? 俺は今から仕入れに行くから、船の中を掃除して置いてくれるかな? 掃除道具はそこにある。と言い、錆びだらけの経トラックに乗って出かけた。こんな仕事でも一人でやるとなれば忙しい。真美に手伝って貰えれば助かる。
戻ると、見違える程片付き、綺麗になっていた。
そして、仕入れた物を手際《てぎ良く綺麗に陳列棚に並べた。俺がやったのとは大違いだ。思わず笑みが溢れる。俺から見れば昔のままの真美だが、こうして見ると真美も大人になった。真美にすれば少し大げさだが、今日が処女航海だ。珍しいのか? 表に出て、カモメにカッパエビセンをあげていた。遠足にでも来たようにはしゃいでいた。
島に着くと、真美がいち早く桟橋に飛び降り、島の人達と何か喋っていた。真美には、人見知りと言う言葉は無いのかも知れない。俺が船を降りると、おばちゃんが「鉄ちゃん。可愛い彼女が出来て良かったね」といきなり言った。
「えっ! 彼女?」真美を見たが、知らん顔をしていた。
「だって今、鉄ちゃんの彼女だって言ってたよ」俺は黙って笑うしかなかった。しかし、客商売には慣れている。愛想が良く気が利く娘だ。俺は助かった。口数が多いのが幸いして、こんな仕事にピッタリだ。そしてまた別の島を巡った。真美のお陰で早くに売り切れ、真美と一緒に弁当を食べ、早々船を港に向けた。真美は行き交う船に手を振った。
港に戻り「お陰で早く終わったよ。ありがとな」と言いバイト代として金を渡すと「いらない」と言った。
「何で? そんな事言わないで取ってくれよ」
手を出し掛けたが「やっぱりいらない」と言って、うつむいた。
「だって? 真美が取ってくれないと、また頼めないじゃないか?」
「えっ! また来て良いの?」と笑顔になった。俺は黙って笑顔で頷いた。
「じゃあ。貰っておく」と、言って走って家に帰った。真美は、鉄司と一緒に仕事が出来る事が嬉しかった。
次の休みも真美は来た。そんな生活にも慣れ、三ヶ月が過ぎ、いつものように港に入る準備をしていた時だった。岸壁に赤色灯を点けたパトカーと救急車が止まり、何か? 岸壁に人が集まっていた。何事かと思い、岸壁に上がって聞いた。
「何か! あった?」
「今連絡があって『・島』のマサじいさんが、沖から帰ってないらしいんだ! 途中、見かけなかっか?」俺は首を横に振った。
「マサじいさんが……?!」鉄司の顔色が変わった。
「それで今、皆船を出して捜索するんた!」と顔を引つらせ言った。皆それぞれ船を出し、港を出て行った。俺の親父も10年前、事故で死んだ。その時の事が|脳裏に浮かんだ。
他人事ではない。俺も止めたエンジンを掛け、沖に出る準備をした。ロープを離す間際、真美がエプロンを掛けたまま走って来て「私も行く」といって船に飛び乗った。
「真美。お前は危ないから降ろ!」と言ったが聞かない。仕方無くそのまま船を出した。
「誰から聞いたんだ?」ぶっきらぼうに言った。
「店に来た人から聞いたの! マサじいちゃんが帰って来ないって」目に涙を溜め言った。
「そうか? じゃあ。おばさんも知ってるんだな?」真美は黙って頷いた。
「よし。船を出すぞ。遅くなるかも知れないぞ」と言い艫づなを離し、古いディーゼルエンジンが積乱雲のような黒煙を上げた。
鉄司は、舵を持って、一点を見つめたまま無言で船を進めた。他の漁船の捜索に加わり、四方に|散らばった。俺は少し沖に出た。海は表面は動いていないように見えても、海の中には川のような流れがある。捜索から三時間程経ち、西の空は茜色に染まり、夕闇が|迫っていた。
辺りは暗くなり始め、他の漁船はそろそろ捜索を打ち切る様子だったが、俺は夕闇の中サーチライトで海を照らし、更に捜索を続けたが、油の流出も見当たらない。
真美には双眼鏡で海上を見張《みらせた(じっちゃん、何処に居るんだよ…… サーチライトで付近を照らしながら進む無事で居てくれよ)心の中で祈ったが、もう無理だろうと諦めかけた。
少し風も出て来て、うねりも高くなって来たようだ。俺一人なら良いが、真美も乗せている。仕方が無い。港に戻るか? と思った時「鉄ちゃん! あそこに何か見える!」と、指を指し真美が叫んだ。
「何?! 何処だ!」真美から双眼鏡を取り上げ擬視した。間違い無い。波間に赤い船底が見え隠れしていた! そこにじっちゃんの姿も! 俺は船を近づけようとしたが、波で中々近づけない「真美! 舵を持ってろ」といきなり掴ませた。
「鉄ちゃん!」真美が叫んだが、鉄司の耳には届いていないようだ。上着を脱ぎ捨て、躊躇わず暗い海に音を立て飛び込んだ。波で中々転覆した船に近づけない! 近づけば波に押し戻された。それでも船のプロペラを掴んだ。じっちゃんはロープで体を船に結んでいた。多分、自分が死んでも、船から離れないように結んだはずだ!
「おい! じっちゃん。じっちゃん!」と呼び掛けたが返事が無い。駄目か? しかし、まだ息があるようだ「真美! ロープを投げるんだ?!」
真美は泣きながらロープを投げたが、女の力では中々此処まで届かなかった。俺はじっちゃんを片手で抱え、うねりの中を船に向かって片手で泳いだ「真美! 思い切り舵を左に回せ!」と怒鳴った。
真美は、夢中で舵を力まかせに切った。船がの少しずつ近づいて来た。良し!そこからもう一度ロープを投げるんだ!」今度はロープに手が届き、ロープを自分の腕に巻きつけた。渾身の力を込め、片手でロープを引き寄せ、じっちゃんの首根っこを掴み、ロープをたぐり船に引き上げた「真美。陸に連絡しろ!」
「ハ、ハイ」手が震え、思うようにダイヤルが出来ない。
辺りは真暗だ。港の明かりが遠くに見えるだけだった。船は波で大きくローリングしでいる! 俺は震える真美に舵を持たせ、そのまま動かすなと言い、じっちゃんの胸を押し続けた。
真美は泣きながら哲っちゃんの言う通りに港に向けしっかり舵を持った。
俺は遅い船のエンジンを回るだけ回して、人工呼吸を続けた。
港には救急車と、パトカーの回転灯が辺りを照らし、大勢の人が詰めかけていた。
どうやら、救急車の中で意識が戻ったそうだ。これで一安心だ。俺はこの時、妹のような真美を力いっぱい抱き締めた。真美が俺の胸で泣いていた。よっぽど怖かったのだろう? 真美、お陰でじっちゃんは助かったようだ。岸壁で真美を力いっぱい抱きしめた。真美の肩を抱き『みなと食堂』に入ったら。おばさんが厨房から飛び出して来た。真美が、母親に飛び着いて泣いた。
「鉄ちゃん。お手柄だったわね! 私。連絡受けて本当に喜んで涙が出たわ」と涙ぐんだ。
「鉄ちゃん! 本当にカッコ良かった」としゃくり上げ、真美が母親の胸でまた泣き出した。
「真美が邪魔だったんじゃない?」
「いや! 暗くなって、とても俺一人ではマサじいさんを発見出来なかった。真美が見つけてくれなかったら、マサじいさんは誰にも見つけられずに死んでいたよ。それに波がうねり暗くなって中々船に近づけなくて、真美がいなかったら、とでも俺一人ではマサじいさんを助けられなかった。マサじいさんを助けられなかった。
「そうだったんだ! 真美も良くやったね」おばさんも涙ぐんでいた。
「私……! 鉄ちゃんの役に立てて良かった」と言い涙を飲み込み、鉄ちゃんが……暗い海に飛び込んだの! 私……」と言ってまた泣き出し、おばさんも真美を抱き泣いた。
「何だ。いつもの真美らしくもない。もうメソメソすんな。マサじいさんだって助かったんだ」と言い俺も目が潤み顔を伏せた。
「だって……? 私。鉄ちゃんが死んじゃうと思って! 私……鉄ちゃんが、好き」と言っまた泣き出した。
「俺はそう簡単には死なないよ」と白い齒を見せ笑った。
「そうよ。この鉄ちゃんのたくましい体を見て! 何があっても負けないわ。さぁ。お祝いしましょう」とおばさんが支度をして、テーブルの上に酒を持って来た。
真美が、小さい頃から哲司に好意を持っている事は薄々感じ取ってはいたが、今度の一軒により、確信に変わった気がした。また、そうなってくれる事を願いながら、久々に三人でテーブルを囲んだ。
「また手伝って良い?」と真美が鉄司を、熱く見た。
「あぁ、また頼むよ。おばさん、真美。ご馳走さま」と、言い『みなと食堂』を出た。
私は何故か、今夜は哲司と離れたくなかった。
「お母さん……! 私、鉄ちゃんを送って行く」と、言って、真美がエプロンを脱ぎ捨て哲司の後を追った。
(鉄ちゃん。真美はあなたのことが好きなのよ。真美のこと宜しく頼むわね)私は心の中で呟いた。何故か今夜は真美が帰って来ないような気がした。夜空を仰げば、満天の星が輝いていた。
父を海難事故で亡くした哲司。それを機に漁師を辞め海上移動販売を始めた。元々哲司を好きだった真美は、マサじいさんの救助を巡って、哲司への思いが一気に溢れ、抱かれる覚悟で哲司の後を追った。二人の幸せを祈らずにはいられない。
※ 読んでいただき、ありがとうございました。