その一
デクスター王国の西端ザイツハルの魔女カラミナといえば、その名を聞けば赤子も泣きやむと言われるほど人々からおそれられていた。生まれたときから強大な魔力を持ち、物心つかないうちから魔法を操り、成人する前にあらゆる魔術を極めた彼女の名声は、国内にとどまらず周辺国にも知れわたっていた。しかし、その力を脅威に感じた国王は、いわれのない罪を着せたうえ多額の懸賞金をかけて魔女を討ち取らせようとした。各国から集まった数え切れないほどの猛者が魔女の住むメーヤシュンゲン城に挑んだが、無数の罠が仕掛けられたこの難攻不落の城を攻略した者はいまだかつていなかった。しかしそれがまた魔女とその根城の名声を高める結果となり、腕試しのためこの城に挑む者は後を絶たなかった。そして今日もまた、ひとりの命知らずがこの城への侵入を試みていた。
「はぁ……」
ひとりの少女が大きなため息をついた。年は十代半ばといったところで小柄で栗色のくせ毛が肩まで伸びていた。彼女は、狭い詰所には不釣り合いなほど豪華な装飾に縁どられた大鏡を頬杖をつきながら眺めていた。
「どうかしましたか、ポルカ? ため息なんてついて」
少女の隣で書類を片づけていた白髪の老執事が優しい口調で尋ねた。もっとも、その立派な体躯と精悍な表情から、老人と呼ぶのが憚られるほどであった。
「バスチャン、見てよ、またこの人」
ポルカはうんざりしたように鏡を指さした。そこに映し出されていたのは彼女自身の姿ではなく、うっそうと生い茂った森を歩いていく戦士の姿であった。
「ああ、この青年はこの間も――」書類を机に置いたバスチャンは鏡をまじまじと見つめた。
「そう、もう今日で一週間だよ! 何度追い払っても次の日にはまた来るんだから。良い加減諦めてほしいんだけど」
「それにしても見たところ他に仲間はいないようですね。この城に単身乗り込むとはなかなか骨のある若者だ」
「感心してる場合じゃないよ! また私カラミナ様に怒られちゃうんだよ?」
いつまでたっても男を追い払うことができず前日もひどく怒られた彼女は、その悲劇が繰り返されると考えただけでもうすでに半分べそをかいていた。
メーヤシュンゲン城に侵入を試みる者が現れた際、その撃退の任務にあたっている彼女は決して無能というわけではなかった。事実二年前にこの仕事を任されるようになってから、彼女はひとりとしてこの城への侵入を許したことはなかった。しかし目の前に現れたこの男はそれまでの連中とは明らかに違っていた。襲いかかる魔獣や無数に仕掛けられた罠を退けながら城を囲む迷いの森を突破し、崖のようにそびえ立つ城壁をよじ登り、前回はとうとう城内にまで足を踏み入れてしまった。あわてたポルカはありったけの罠を駆使して男を城外へと放り出したが、次の日にはこうして再び侵入を試みていた。
「カラミナ様に良く事情を説明しておくことです。これは持久戦になりそうだと――おっと、いけない。そろそろお昼の時間ですよ。食事をお運びしないと」
「バスチャンが代わりに行ってよ。もう怒られるの嫌だよ」ポルカは甘えるそぶりを見せた。
「これは貴女の仕事ですよ。自分の仕事を全うしなさい」バスチャンは優しく突き放した。
「うう――行きたくないよ……」ポルカは口ではそう言いながらも、しぶしぶ厨房へ食事を取りに行った。