第14話 なかなか会えない、あの子。
トーマは頭を抱えていた。
さっきから大きなため息しか出てこない。
「だから、生徒会室を明け渡してほしいんだ。」
「それは出来ませんよ、むしろ学園長がこの場所を定めたのですから……」
「そんなのどうでもいいわけ!僕が交換してほしいって言ってんだから!」
その原因は目の前にいるこの紫色の髪の少年のことだった。
学園長の息子という立場を遺憾なく利用し、理不尽なわがままを言い放題なのだ。
今回は自分の私用のための研究室を生徒会の場所と交換して欲しいとのこと……。
だが私用の研究室は、水場や装置など特殊なものが多いため、移動できるわけがない。
この件に関して学園長にも相談したが、『ほっといて良い』とのことなのだが……。
ほっといても宥めても、細かく無理なことを説明しても納得することはなく、とても邪魔なのである。
しつこいぐらい毎日来て、同じ言葉を繰り返す。
流石に生徒会としての業務も滞ってきたのだ。
はぁーと大きく息を吐く。
「キアン、いい加減にしろ。
いい加減にしないと学園長に引き取りにきてもらうぞ……」
トーマの低い声に、キアンはびくりと肩を強張らせたが、ぐっと拳を握るとトーマの机の前に立った。
「絶対この場所がいいんだ。計算したらこの場所が一番アイツがよく見れる確率が高いんだよ!」
「……無理だと言っている。代々この場所は生徒会で使われ、大事な書類を入れる戸棚や金庫がたくさんある。
それぞれ家具も建て付けだし、移動は不可能だ。」
「僕だってわかってるけど、ここじゃないとダメなんだよ!!」
まるで小さな子供が癇癪を起こした様に地団駄を踏んだ。
トーマはまたため息をつくと同時に、ユウリも口から不穏な空気を漏らす。
「キアン、なんでそこまでここに拘ってるんですか……しかも計算とは?」
キアンは言いにくそうに口をモゴモゴし、尖らせる。
「……言いたいくない。」
「言いたくないんじゃ協力も出来ませんよ……?」
ユウリのなだめる声に、ますますモゴモゴと何かを言い訳する様に呟いているのだが、何一つ聞き取れないのだった。
そんなことをを繰り返していると、昼休みの終了を知らせる鐘が鳴り響く。
「殿下、そろそろ……」
ユウリが自分の胸元の時計を手に取りながら、私を見た。
「……今日も進まなかったな……」
私の独り言に、キアンがバツの悪そうな顔をした。
窓の外からは教室に戻る生徒たちの声が聞こえる。
生徒会室は二階の角部屋だった。
ここからだと食堂から戻る生徒たちがよく見下ろせる。
ふとキアンが窓の外に反応し、走っていった。
「おい、キアン。もう部屋を閉じるぞ。」
トーマが声をかけても反応がない。
キアンは恥ずかしそうに頬を染め、隠れる様に窓の外を見下ろしていた。
「おい、キアン?」
「待って!もう少し!!」
様子のおかしいキアンに歩み寄り、キアンが向けている視線の先を探す。
「……やっぱり今日はお弁当じゃなかったんだ。」
ボソリと呟くキアンを横目に、再び渡り廊下に視線が落ちる。
「……きた!!」
キアンの声が弾む。
それと同時にトーマの心臓もチクリとした。
そこには見たことのあるブラウンの髪の毛をフワフワと揺らし、なんだか楽しそうにスキップする少女の姿だった。
「あれは……。」
トーマの呟きにキアンが反応する。
「トーマも知ってるの?あの子、凄く気になって仕方ないんだ。」
キアンの言葉に再びトーマの胸が痛む。
「……この間、ぶつかってしまって……。」
トーマの言葉にキアンが振り向いた。
「え?あの子とぶつかったの?どこで?どうやってぶつかったの?わざと?」
早口にトーマを責める様に捲し立てる言葉に、居心地悪そうにトーマは口元を押さえた。
「……偶然だ。」
トーマの言葉に興味をなくしたキアンの視線が窓の外に戻る。
「あーあ、もう行っちゃった。」
窓ガラスに張り付く様に身を乗り出し、さっきの少女を目で探すキアン。
それを黙って見つめていたトーマが、深く息を吐く。
「なんでお前は彼女を追っている?」
再びトーマを見るキアンは幼い表情で無邪気に微笑んだ。
そして、窓に持たれながら、ボソボソと呟き始めた。
「……僕もぶつかったの、あの子と。
ぶつかった時、実は父さんに成果を出さなきゃ研究室取り上げられるってピンチな時で、焦ってて失敗した試薬を成功したって嘘つこうとしてたんだよね。
まぁ失敗したやつだってバレるのはすぐじゃないだろうし、それまでに成功したらこっそり取り替えればいいやって適当にごまかそうとしてたの。
でも彼女とぶつかって、その試薬は割れてダメになったわけ。
その時ほんと焦ってて、僕泣きそうだったんだけど……それを感じてか、彼女が突然変顔して僕を笑かそうとしてくれたの。
それでびっくりして、逆に凄く冷静になってさ。
だから正直に父さんに全部話したんだ。
研究はどこでもできるし、もう部屋がなくてもいいやって。」
コツンとキアンの額がガラスに当たった。
トーマも体勢を変え、腕を組んだ姿勢で窓に体をもたれさせる。
「結果さ、嘘つかなくてよかったんだよ。
父さんは成功した僕の試薬をすぐ市場に出す気だったから。
そんなことしたら、僕の嘘のせいで、うちは終わるとこだった。
あのことぶつかったのは偶然かもしれないけど、結果僕を救ってくれたって思ったら……あの子をもっと知りたくなったんだ。
この部屋はどこの部屋より一番人の通りが確認できる。
向かいのあの子の教室も、食堂の出入りも。
だから、ここじゃなきゃダメなんだ……。」
キアンの声はとても小さかったが、とても必死だった。
そんなことせずに本人に直接お礼を言えばいいのでは?とユウリが首を傾げたが、トーマはなぜかキアンの気持ちが痛いほどわかった。
自分も彼女に言いたかった。
『あの時ぶつかってしまってすまない』と。
だがベタベタとロゼリアやユウリ、カレルが側にいる自分には、そんな言葉もかけられる自由がなかった。
「部屋を譲ることはできないが、私がいる時間ならきてもいいぞ。」
後ろでユウリが『はぁ!?』と嫌な顔をしたが、トーマは聞こえないフリをした。
トーマの言葉にキアンは嬉しそうに微笑み、小さく頷いた。
「大体殿下は甘過ぎるのですよ!」
ユウリがクドクドと小言を言うのを尻目に、純粋に頬を染め喜ぶキアンに目を細める。
そしてその顔を見て、トーマの胸が再び痛む。
胸の痛みをごまかす様に、トーマは強く胸元を右手で握りしめた。
キアンに言った言葉が邪な気持ちでしかなかったのが自分で気がついた。
自分の知りたかった情報を、キアンが洩らしてくれるかもしれない。
そんな期待がトーマはうっすらよぎっていた。
「キアン、その子の名前はわかるのか?」
「セイラだよ。」
嬉しそうに微笑むキアンにトーマは微笑み返す。
「セイラ……」
「セイラ・ブラウン、男爵令嬢だね。
うちは家名に拘らないから、男爵でも父さんは何も言わない気がするし、僕的には問題ないけどね。」
キアンがぶつぶつ言う声が耳に入らなくなる。
『セイラ、ブラウン。』
あの時の彼女の表情が脳裏に蘇ってきた。
自分を見てひどく怯えた顔。
あれは自分をこの国の王子だと認識している顔だった。
彼女は自分を認識してくれていた。
それだけで顔が綻びそうになる。
思わず口元を手で隠し、キアンが呟く夢物語をニコニコと聞くフリをしていたのだった。
その様子をユウリは見逃さなかった。
『表情が出ない殿下が、なぜそんなに興味を持っているのだろう?』
たかだか男爵令嬢だ。
平凡な色の髪の少女。
今までレール通りに生きてきた殿下が、初めて『興味』を持った何か。
トーマが隠した口元から、綻びが見える。
『……セイラ・ブラウン、か。』
ユウリは心の中でそう呟くのだった。