第12話 始まった乙女ゲーム。
「……トーマ様。何故、こんなところで女性の手を握られているのですか?
……この方は?」
綺麗な切れ長の瞳が私を冷ややかに睨んでいた。
あらわにした嫉妬を隠すつもりもない視線。
蛇に睨まれたカエルの様に、相変わらずハクハクと口を動かしながら青い顔で立っていると、トーマ殿下が眉を寄せ髪をかき上げた。
「私が彼女がいるのを気がつかず、ぶつかってしまったんだ。
怪我がないかを聞いていたところなのだが……ロゼリア、君は状況だけで私を責めるのはやめてくれないかな。」
「……!トーマ様!?」
私を睨んでいた瞳はトーマ殿下を見上げた。
鋭い視線は変わらずで、キッと眉を寄せ、トーマ殿下を睨みつけた。
「ワタクシはただ、その状況だけで誤解が生じる事を理解すべきではと……!」
「……もういい。よくわかった。
君が私を信じていないことがな。」
トーマ殿下はそう言うと、私の手を離すとそのまま振り向かず立ち去った。
残されたロゼリア様は小さく肩を震わせ、再び私を睨みつける。
「あなた、ライリーの次はワタクシの婚約者である第一王子のトーマ様にまでちょっかいをかけるなんて、とんだアバズレですこと!……恥を知りなさい!!」
その言葉と同時に、左頬が熱くなった。
『パシンッ!』
遅れて聞こえてきたその音で、頬を打たれたことに気付く。
ノーマンが慌てて庇う様に私の前に立ち塞がったが、ロゼリアはノーマンを見て鼻で笑った。
「……あら、お似合いですこと。
身の丈に合う方が近くにいるじゃないの。
ともかくライリーに関しても、あなたの手が届く様な人間じゃないことをよく覚えておきなさい。」
そう言うと、金色の髪を揺らしながら、トーマ殿下の後を追いかけて行った。
打たれた頬を抑え、茫然とする。
痛みより、フラグが立ってしまったのだということに言葉も出ない。
一体何がいけなかったのか。
ノーマンに守られていたことに、あぐらを描いた結果なのだろうか。
それともやはり、これが強制力というやつなのか。
ゲームのシナリオから逃れられないものなのか。
ジワジワとする頬の痛みも伴って、ポロポロと大粒の涙がこぼれた。
目を見開いたまま止め処なく涙を溢す私を見て、ノーマンが狼狽る。
そしてポケットからハンカチを差し出してきた。
「……大丈夫か?すまない、あれほど警戒していたのに……」
それでも泣き止まない私の頬にそっと手を添えた。
それはもう、壊れ物に触るぐらいに、そっと。
私がハンカチを握りしめているせいか、私の涙を指ですくい取る。
ただ、何も言わずに。
じっとノーマンを見つめていると、ふと視線がぶつかった。
三白眼の少しつり上がった目が、少し下がった。
本当に申し訳なさそうに。
そこで何かが突然吹っ切れる。
『出会ってしまったものはしょうがない』と、何故かウーの声が聞こえた気がして。
ギュッと口を結ぶ。
思いっきり眉を寄せて。
もう泣かないように、ギュッと我慢した。
その私の表情を見て、ノーマンもまたぎゅっと眉を寄せる。
「……なんでノーマンも泣きそうなのよ。」
「……セイラにつられただけだよ。」
その言葉にひどくホッとして、涙をこぼしながら笑った。
そして。
「ノーマン、聞いてほしいことがあるんだ。
ちょっと、いやきっとだいぶ頭のおかしい話なんだけど、聞いてくれないかな?」
私の言葉にノーマンも少し笑って。
「……いつもと変わらないってことだな。」
と、言った。
それから私はノーマンと一緒に、我が家へと帰宅する。
帰宅した私をお母様とパパが口を半開きにして立ち竦む。
「……セイラ、パパ、結婚にはまだ早いと思う。」
うわ言の様にそう呟くパパにうすら笑みを浮かべ、私は自分の部屋へとノーマンを招き入れた。
相変わらず部屋で新聞を読みながら寛ぐウーを横目に、メイドのジジがお茶を運び入れてくれ、部屋には二人と一匹になった。
「……でさ、あの犬を見てほしい。」
親指をクイッとして、ウーを指差す。
ノーマンはジッとウーを観察すると、目をパチパチさせながら
「……白い、な。」
「いやそこじゃねーから!!」
思わずツッコミを入れた。
「あの犬普通だと思う?」
「……」
ノーマンは私の質問の意図がわからない様で、口元を歪めて首を傾げた。
「……私が前にノーマンに、『うちの犬が喋るんだ』って言ったら信じるかって聞いたじゃない?」
私の問いに、ノーマンはゆっくりと頭を縦に振った。
私はカップに口をつけながら、息を吐き出した。
「あれね、本当なの。
今もね、あの犬……ウーって言うんだけど、二足歩行で優雅にコーヒーカップで水を飲みながら新聞読んでるんだけど、ノーマンからはどう見える?」
一瞬『こいつ何を言ってるんだ』と言う表情を浮かべたノーマンは、私とウーを交互に見比べた。
そして一度考え込むと、ゆっくりとウーに近寄って行った。
『お?なんだなんだ?俺に用でもあるのか?』
ウーは静かにカップを置くと、毛で覆われてどこにあるかわからない目線をノーマンに向ける。
ジッとにらめっこ状態のウーとノーマン。
そんなノーマンを揶揄う様に、ウーは幾度となくポーズを決めていた。
まるでモデルが写真をとられているかの如く……。
しばらく長い事見つめ合った結果。
「……白い、大きな、普通の犬だ。」
と言う結果になった。
ガクリと私は肩を落とした。
やっぱり分かってたけど、……分かってたんだけどさ。
「やっぱダメかぁ……」
私の落ち込み様にノーマンは困った様に首元を撫でた。
「……信じてもらえないかもだけど、私の話を聞いてほしい。
多分頭がおかしいと言われるだろうけど、今から言うことは嘘じゃない。」
いつになく必死な私に、ノーマンはゆっくりと頷いた。