いにしえの魔王
和人はぼんやりと意識取り戻した。
―どれくらい意識を失っていたんだろう…頭がガンガンする…耳鳴りが酷い…吐き気がする…―
ぼやけた視界の奥の方で、なにかがしきりに蠢いている。和人は起き上がろうとするが、魔力切れと麻痺毒のせいで、指先一つ動かない。
次第にはっきりとしていく意識の中で、和人はまだ絶望が続いていることに愕然とした。
和人の全てを込めた魔法は、二人を逃がすに至らなかった。
少し離れた所には、祐司がうつ伏せに倒れている。更にその先―――遥が数匹のゴブリンに組伏せられていた。酷い耳鳴りで聞こえないが、遥は叫びながら、必死に抵抗している。
幼い頃からの思い人が、今、目の前で醜悪な化け物に蹂躙されかけている。
和人は必死にもがく、しかし、指一本動かない。
―畜生!動け!何故遥の窮地に僕は何もすることが出来無いんだ!―
和人は悔しさで涙が溢れる。その間にも、ゴブリンは、遥の衣服を引き千切ってゆく。ゴブリン・ロードがそこへ近付いて行く…
―やめろ…―
噛み締めた奥歯から血が滲み出す。
ゴブリン・ロードは、抵抗する遥の足をこじ開けようとしているゴブリンの頭を鷲掴みにし、乱暴に投げ捨てた。
―やめろ…!―
視界が赤く滲む、涙に血が混じり始めた。
一際下卑た笑みを浮かべると、ゴブリン・ロードがその下腹部から隆起する凶悪なモノをさらけ出した。遥の瞳から光が消えた…
「やめろおおおおぉぉぉぉぉぉォォォォォォォォォッッッッッッ!!!!」
和人は断腸の思いの意味を知った。全ての腸が千切れ飛ぶ思いで叫んだ。
何かが砕ける音がした
気が付くと、世界から色が抜け落ちていた。全ての時が静止した世界の中、目の前には巨大な火柱が立っていた。和人は王城の地下で見た物だと直感した。
『あの娘を救いたいか…?』
「な、何…?」
『我はスルト…その昔…世界を焼き滅ぼさんとするも…時の勇者に破れ…彼の地に封じられし…いにしえの魔王…』
和人は困惑する。
「何でそんなのが王都に…!?」
『彼の国は…我の封印を監視するために建国されたのだ…当然の事だろう…』
「そ…その魔王が僕に何の用だよ!」
和人は恐怖を堪えながら精一杯強がる。
『有り体に言えば退屈でな…そんな時…面白いスキルを持ったお前が現れた…我は分体を切り離し…お前に憑依した…物見遊山と云うやつだ…』
和人は、恐怖で押し潰されそうな心を、何とか持たせながら聞き続ける。
『そして今…退屈凌ぎの遊びを思い付いてな…小僧…我と勝負せぬか?…』
「な、何を…?」
『あの娘を救いたいのだろう?…我が30分だけ力を貸してやろう…しかし、30分を超えた時…我はその精神を喰い尽くし…その体を貰う…』
和人はたじろいだ。
「そんな約束出来るわけ…」
『嫌ならそれで構わん…しかし…その時はあの娘…死ぬまで…否…死んでも犯され続けるか…生き延びても…一生孕まされ続ける家畜になるであろうな…お前は奴隷として…それを一生傍らで見続けるわけだ…』
和人は、これから先に待ち受ける絶望の未来を突き付けられた。もう迷う事など出来ない!
「解った…例え魔王だろうと邪神だろうと構わない!それで遥が救えるなら、その勝負買ってやる!!」
『決まりだな…』
和人の体が炎に包まれる。
「うわぁっ!?」
とっさに身を竦めるが熱くない、いつの間にか痺れも消え、体が動く。
「一体どうなって…?」
何となく和人は手を見てみると、黒いグローブに手甲をはめた手があった。
「な…なんだこれ?」
『さあ…力は与えた…行くが良い…』
「え?ちょっと待ってよ!?」
和人は訳も解らず立ち上がる。
『何だ…?』
「いきなり行けって言われても困るよ!もう少し何か説明してよ!?なんか背も伸びてない!?」
『それもそうだな…お前の記憶を覗かせて貰ったが…お前は【ひいろお】と言う英雄の虚像に憧れている…そうだな?…』
「う、うん…」
何故か正座して聞く和人。
『それにしてやろうと云うのだ…分体とはいえ…我の力を纏ったお前は…既に圧倒的な力を得ている…その力を使い…戦うなり…救うなり…好きにするが良い…』
それを聞いた和人は焦る。
「え!?スルトは戦ってくれないの!?」
『我は力を貸すと言っただけだ…それ以上…それ以下でも無い…何より…お前の中の英雄は…もがき…苦しみながらも…己の力で強くなる者では無いのか…?』
「うぐっ!?」
それを言われると、ぐうの音も出ない和人。
しかし、名案が浮かぶ。
「時間止まってるんだし、今の内に倒しちゃえば…」
『お前の思う英雄とは…静止した時の中…抵抗も出来ぬ相手を…一方的に…』
和人はスルトの言葉を途中で切り捨てた。
「解ったよ!!何で魔王のクセにいちいち言うことが正論なんだよ!?」
スルトの声が嘲笑う様な響きになる。
『魔王にも矜持がある…それに云ったであろう…遊びだとな…遊びには…制約があった方が面白い…因みに…今のお前は…この様な姿をしている…』
和人の前に鏡の様な物が浮かび上がった。それを見た和人は言葉を失った。
『お前の中の英雄達の虚像と…本来の我の姿を合わせ創造した…』
鏡の中には、深夜特撮の様な、ダークサイドデザインのヒーローの様な姿があった。和人は思わず立ち上がって鏡に被り付いた。
「何コレ!?超カッコいい!!これが僕!?信じられない!!うわぁぁぁッ!凄い!凄い!」
全力ではしゃぐ和人に、スルトが呆れた声を出す。
『お前…今の状況を忘れて無いか…?』
和人は今はまだ危機的状況であり、遥が窮地にあることを思い出す。
『まぁ気にいったのなら何よりだ…それと…今後も我の力を欲するならば…この笛を吹くが良い…毎回世界を切り取っていては…魔力が持たぬ…』
和人は思った、笛の音と共に現れるヒーロー、何それかっこいい。
「スルトって、僕と同じ特オタで元日本人の転生者とかじゃ無いよね?」
思わず聞いてみた。
『バカを言うな…強いて云うなら…遊びは全力でやるから楽しいのだ…』
和人は段々この魔王に親しみを感じてきた。わりと言う事が人間染みている。
「僕横笛なんて吹いたこと無いけど…」
『魔力で反応する笛だ…曲など無くても…一定時間吹けば…我と同調しその姿になる…』
和人はずっと気になっていることを聞く。
「視界の端に何かゲージとかアイコンみたいのがあるんだけど?」
スルトはもったいつけた声を出す。
『戦ってのお楽しみだ…』
今はこれ以上何も聞けそうに無さそうだ。和人はゴブリン達に向き直る。
「解った、頑張って戦ってみるよ。」
心の準備を決めた和人に、スルトは最後の注意をした。
『それと…くれぐれも正体は秘匿とするのだぞ…』
「えー…、何で?」
和人は後で遥に自慢しようとしていた。
『魔王を内包しているなどと知れたら…この国の者は…お前の仲間は…どう考える…お前ごと滅ぼされては敵わぬからな…知られた時はお前から出る…残されたお前が…人から信じて貰えるかどうかは知る所では無いがな…』
思ったよりもずっと重かった。
『では…世界を戻す…覚悟はいいな…?』
和人は静かに頷いた。そして足下に落ちていた錆びたナイフを拾う。例え卑怯でも、最初にしなければならないことがある。
世界に色が戻ってゆく。
―その汚ないモノを遥に近付けるなッ!―
和人はゴブリン・ロードに向かって投げ付けた!