可愛いけれど……
「このまま行けば夕方までには街に入れそうだな。」
慎太郎は水筒から口を離すと、隣で双眼鏡を覗く美空に言った。
「ええ…ただ川があるんですよね…橋は弱々しい吊り橋が一つ、その他に道は無さそうです。」
そう言って美空は双眼鏡を下ろすと、未だに肩で息をし続ける遥を見た。
もともと体力低めのオタク少女には、歌いながら走るなど高望みもいいところである。
今慎太郎達は荒野を全力で駆け抜けた疲労と、棺桶……箱の中で揺すられて酔ってしまった葵の回復を待っている。
街がもう見えているのにそう何度も休憩をとる訳にもいかない。
「遥には悪いが、今回は頑張って貰うしかないか……」
慎太郎は眉間に皺を寄せ、空を仰いだ。
〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓
葵の体調も戻り、疲労もそこそこ回復した一同が進行を再開すると、新たな魔物が現れた。
体長60㎝程の頭に角が一本生えた、ロップイヤーの焦げ茶色のウサギである。
「わあ…可愛い♪」
先程迄のグロテスクな魔物達とうって変わったファンシーな見た目に、葵が目を輝かせている。
「ホーンラビットってヤツだな。ラノベなんかでは最下級のザコモンスターだ。」
「肉も食えそうだし、ちゃちゃっとやっちまおうぜ。」
そう言いながら悟と頼雅が余裕の笑みを浮かべながら前に出る。
「え…?殺しちゃうの?」
葵の悲し気な視線が二人を貫く。
「うっ?!」
「いや野口、いくら可愛いっつってもあれ魔物だぜ?」
「でも……」
葵の悲し気な瞳にたじろぐ悟。
頼雅がそんな葵を諭すが、葵はやはり気乗りしないようだ。
そんな事をしてるうちに、ホーンラビットは逃げ出してしまった。
「野口、気持ちは解るがここは異世界であれは魔物だ。見た目の可愛いさに解されて躊躇した一瞬に攻撃されるかもしれないんだぞ?」
慎太郎に注意されシュンとしてしまった葵だが、数秒後にはその考えを改める事になる。
逃げ出したと思っていたホーンラビットがUターンして戻って来たのだ。
十分な助走をつけたそのスピードは時速70㎞に到達する!
「なんだあれ?!速えぇっ!?」
「俺が防ぐ!下がってろ!!」
そのスピードに驚嘆する頼雅を押し退け、悟が前に出て大盾を構え低く腰を落とした。
ホーンラビットは悟の構えた盾に向かい飛びかかると、角を前に突き出し高速で錐揉み回転を始めた!!
「ぬえぇぇぇぇぇぇぇっ!?」
あまりの衝撃的な光景に思わず悟の口から間抜けな声が漏れる。
ズドンッ
激しい衝撃と共にホーンラビットの角は美空特製のジュラルミンの盾を貫通し、悟の頬を掠めていた。
引き吊った笑みを浮かべた悟の頬から一筋の血が流れる。
ホーンラビットは素早く身を翻し、再び距離を取り始めた。
「「ザコじゃねえぇぇぇぇぇぇぇぇ!?!?」」
悟と頼雅が絶叫する。
ホーンラビットがUターンし、再度突進してきた!
「頼雅!俺が受け止めるからその隙にお前が殺れ!!」
「おう!」
そう言って身構えた二人だが、美空の銃撃がホーンラビットの両後ろ足を撃ち抜いた。
「スパイラルホーンラビット。ザコどころか中堅冒険者でも殺される事もある魔物です。この見た目に騙されてはいけませんよ?」
そう言いながら美空は、ホーンラビットの頸動脈を掻き切り血抜きを始めた。
「「先に言えよ!!」」
「聞かれなかったので。」
悟と頼雅の抗議をさらりと流す美空。
そんな様子を葵は死んだ目で見ていた。
「その…なんだ……近付く前に倒すのが良いみたいだし、頑張ってくれるか?」
「………うん。」
言いにくそうに頼んだ慎太郎に、葵は死んだ目のまま頷いた。
それからの道のりは、先程の荒野とは別の意味で葵の心を磨り減らした。
襲い掛かってくる魔物のほとんどが可愛らしい魔物ばかりだったからである。
相手に食らい付きデスロールを繰り出すデッドリーマンチカン、上空から音もなく近付き首を刈りに来るアサシンモモンガ、異常に高い隠密スキルを持ち突然背後から攻撃してくるシノビワラビー、相手の口や肛門から体内に侵入し内蔵を食い破る悪食フェレット等々……
見た目は可愛いのに危険極まり無い魔物の数々。
しかもその全てが食用できる。食肉が増えてルンルン気分の美空に対し、どんどん感情が死んでゆく葵。
葵はいつしか無感情に弓を引き絞る機械と成り果てていた。
そして悟と英一はそんな葵を見て涙を流していた。
そんな葵に対して他の女子はというと、魔物食を提案した美空や、ドS極まる事山の如しの理亜も言うまでもなく、歌鈴は可愛いさよりもその味に興味を持っている。
ゆかりは完全に割りきっており、エイミはなんとか感情を乗り越えた。
遥に至っては、
「可愛さなんて何の足しにもならないわ。せめて変身とか合体でもしてくれたら興味も持てるわね。」
と、完全に自分の趣味を押し付けていた。
クセが強いというよりアクが強い。
順調に歩を進め、葵の速射能力と命中精度が随分と増した頃、一同は慎太郎が懸念していた川にたどり着いた。
川のほとりには60㎝程のペンギンの群れが日向ぼっこをするようにぼへーっとしており、ちらほらともふもふの子ペンギンの姿も見える。
その姿を見た瞬間、光の無い目で弓に矢を番えた葵だが、美空はそれをあわてて止めた。
「待って下さい!あれは渡りペンギンさんです。魔獣認定されていますが、性格は温厚で、こちらから危害を加えたり卵を奪おうとしたりしなければ友好的な魔物です。」
その言葉を聞いた葵は、光の無い濁った目を美空に向けた。
「でも可愛いわよ?ここまで可愛い魔物はみんな殺して来たわよ?」
抑揚の無い機械的な口調で葵は言った。
「温暖な海域を探して世界中を旅するただのペンギンさんです。おそらく旅の途中で川を渡り、ここで羽を休めていたのでしょう。もう一度言います、こちらから危害を加えない限りは友好的な魔物です。」
「もう…殺さなくていいの?」
「はい、あのペンギンさんは殺さなくていいんです。」
美空の言葉で葵の濁った目が澄んでゆく。
「そうね、私がちょっと子ペンギンを抱かせて貰えないか聞いてきてあげるわ。」
そう言ってペンギンの群れに向かって理亜が歩いて行った。
葵の目に光が戻り始めた。
「乱暴にしなければ抱っこしても良いそうよ?」
振り返った理亜が笑顔で手招きをした。
「もういい…もう終わったんです!さあ葵さん!ここからはボーナスステージです!!ただ可愛いだけのペンギンさんを思い切りモフり倒しに行きましょう!!」
そう言って美空は宝塚の男役の様に葵に手を差し出した。
葵の目に完全に光が戻り、涙を滲ませながら美空の手を取り、光輝く笑顔で駆け出した。
「ペンギンさあぁ~~~~んっ♪♪♪♪♪」
ついに笑顔を取り戻した葵の女の子走りをする背中を見守りながら、慎太郎達も涙を滲ませた。
「悟…俺少し神戸のこと見直したよ……」
「ああ、渓谷の主以来、魔物の精神破壊にしかあの能力使って無かったもんな……」
30㎝程のぬいぐるみのような子ペンギンに頬擦りする葵を見て、英一と悟は泣いていた。
そして自分達も子ペンギンをモフるべく、ペンギンの群れへと向かって歩き出した。
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「はぁ……癒されるぅぅぅぅ………」
「………なあ野口、そろそろ出発したいんだが……」
子ペンギンをモフり続ける葵に、慎太郎は申し訳無さそうに告げた。
現在彼女はその女子力(この女子力は口から溢れ出る物では無く正しい意味での物)の為せる業なのか、一大子ペンギンハーレムを築いていた。
彼女の回りには20匹程のもふもふ子ペンギンが集まっている。
「もう少し…もう少しだけお願い!!」
汗だくの葵は子ペンギンを離さないまま、慎太郎に対して土下座すれすれに頭を下げた。
ペンギンはその生態から体温が人に比べてかなり高い。そしてその子供となると更に高い。
葵は体感温度42℃を苦しむよりも、もふもふの癒しを求めた。
それは彼女がこの旅でどれだけ心を磨り減らしたのかを物語る結果だった。
ほんの2・3日共に旅をしただけだというのに、葵は慎太郎達の精神的支柱であり、御し難い美空を上手く扱える数少ない人間であり、どこか壊れた感のある慎太郎中隊の数少ない常識人だ。
慎太郎はその望みを叶えてあげたい反面、早くしないと日が暮れてしまうという焦燥感に駆られていた。
そんな決断力の足りないリーダーの隣をふいっと通りすぎ、ゆかりが葵の側に屈み込んだ。
「葵、気持ちは解るけどさ、もう行こうよ?ペンギンも癒されるけど、私はもっと違う癒しが欲しいんだ。」
その言葉を聞いた葵は、もふもふペンギンを抱き締めながらぷうっと頬を膨らませた。
「可愛いもふもふ以上の癒しって何よ?」
「シャワーとベッド。いい加減あんたも早くお風呂入りたいでしょ?」
ゆかりはいかにも「当然じゃない?」みたいな笑顔で言った。
『アメリカのドラマでありそうなシーン!!』
端からその様子を見ていた一同は一斉にそう思った。
なんか3日くらいろくに眠りもせずに護衛対象を守りきった女性刑事が言いそうなセリフをゆかりはさらっと言った。
そしてその言葉の効果は絶大だった様であり、葵は名残惜しそうに抱いていたペンギンを優しく下ろした。
「またね……ペンギンさん…… 」
後ろ髪を引かれる思いで葵が手を振ると、
『クワァ~~~~』
ペンギン達は一斉に手(?)を振った。
再びペンギンに抱き付こうとした葵の襟首を掴み、引き摺る様に吊り橋を渡り出した。
新体操部のゆかりはよほど体幹が強いのか、ギシギシと揺れる吊り橋をすいすいと進んでゆく。
「よし、野口が戻ってペンギンに抱き付かない内に俺達も渡ろう。」
みんなが順に渡って行き、ついに遥の番になった。
「ほら、みんな渡っても平気だったんだし、ゆっくり行けば大丈夫だよ。」
「うん………」
遥はきっと動けなくなるだろうと思い、最後に控えていた和人に促され遥はゆっくりと橋を渡り始めた。
一歩踏み出す毎に軋む板と悲鳴をあげる吊り縄。
「はぁッ…はぁッ…」
遥の脈拍が上がり呼吸が荒くなってゆく。それでも遥は吊り縄をしっかりと掴みゆっくり、ゆっくりと前に進もうとする。しかし、抑えきれない手の震えが縄を伝い、橋を揺らす。
「あ…ああ……ふぇぇ……」
橋の中頃で遥はとうとう四つん這いになり橋板にしがみつく様にして固まってしまった。
「大丈夫だよ、落ち着いて呼吸を戻して。ゆっくりでいいから……」
「ハァッ…ハァッ…ハァッ……!!!」
和人は優しく遥の肩や背中を擦り落ち着かせようとする。
遥は涙と冷や汗を浮かべ呼吸を整えようとするが、揺れる橋と橋板の隙間から見えるそこそこ激しい川の流れに心を乱され集中出来ない。
既に川を渡りきった慎太郎達はその様子を心配しながら見ていた。
「チッ!ったく……」
業を煮やしたのか、ゆかりが二人に向かって歩き出した。
全員があの夜の二人の激しい衝突を思い出す。
「おい、秋山……」
止めようとした慎太郎の手をすり抜け、ゆかりはあっという間に和人と遥の前に立ち、二人を見下ろした。
「ほら、手を貸しなさい。」
そう言ってゆかりは遥に向かって手を差し伸べた。
あまりにも意外な出来事に、遥の呼吸が正常に戻ってゆく。
「何ボーッとしてんの?早くしなさいよ。」
「あ、うん……」
遥が差し伸べられた手を取ると、ゆかりは遥を立たせ、後ろ手に手を握りゆっくりと歩き出した。
「余計なこと考えないで私の背中だけ見てて、後ろには和人君もいるんだから安心しなさい。」
「ありがとう……」
「別にあなたの為じゃ無いわ。聞いてたと思うけど、私はシャワーとベッドが恋しいだけよ。」
振り向きもせずそう言いながらも、ゆかりの歩調は遥に合わされていた。
あの夜ゆかりははっきりと遥を否定した。
そんな相手に手を引かれ、妙に安心している自分がいる事に遥は驚いていた。
そして無事に橋を渡り終えたところでゆかりは遥の手を放した。
「遥の為にありがとう秋山さん。」
「別に山崎さんの為じゃ……まぁいいわ、早く行きましょう。」
ゆかりは和人の言葉を否定しようとしたが、面倒になったのかそのまま後ろを向いてしまった。
遥は先程まで握られていた手の感触を思い出す。それは決して義務的な物では無く、彼女の優しさから来る物だとはっきり感じて取れた。
―秋山さんて本当は優しい人なんだ……やっぱり私はこの人の同ジャンルを見つけてあげたい!!―
遥は強く心に思いながら、残り少なくなった湊町サークへの道を歩いて行った。
次回サーク到着。
数少ないブクマ付けてる人達の為にも頑張ります。