姫と黒騎士
この世界で銃声を鳴らすのは二人しかいない。
悲鳴と喧騒と共に人波が割れ、和人達へ向かって行く。
和人が振り返ると、突如として現れた凶悪な顔の男に突き飛ばされた。
「痛ッ!何を…」
尻餅を付いた和人が男を見上げると、男はクラリスを羽交い締めにし、その白い首筋に大振りのナイフを当てていた。
「あ…ああ…」
さっきまで紅潮していたクラリスの顔が、今は真っ青になり、小刻みに震えている。
「それ以上近付くんじゃねえ!その妙な道具も捨てやがれ!この女ぶっ殺すぞ!!」
安いセリフを吐き、男は追っ手を恫喝する。
追っ手…真琴は苦い顔をすると、男の要求に従い銃を捨てた。
男はそれを確認すると、クラリスを羽交い締めにしたまま再び逃げ出した。
「和人さぁぁぁぁぁん!!」
手を伸ばすクラリスの悲痛な叫びが響き渡る。
「クララさん!!」
起き上がり走り出そうとした所を、真琴に襟首を掴まれ止められた。
「先生!何で!?」
「それはこちらのセリフだ、何故王女殿下とお前が一緒にいる?」
真琴の手には既に回収した銃が再び握られている。
「偶然としか言えません。それより何で止めるんですか!!」
真琴は鋭い目で男の去った方向を見据えている。
「相手から確認できる内に追いかけても、居立ちごっこを続けるだけだ。一度相手の視界を外れてから再び追跡する。見失ってもこれだけ人が居れば必ず目撃者がいる。よし、行くぞ!」
真琴と和人は同時に駆け出した。
「先生!あいつは一体何なの!?」
「賞金首だ!切り裂き魔、通りすがりのナイフガイ!」
「ださッ!何その名前!?何でナイスガイみたいな言い回しなの!?」
「私が知るか!!」
人混みを掻き分け必死にナイフガイを追う。
遂にその背中を捕らえた!
「クソッタレが!」
ナイフガイが和人に向かってナイフを投げつけた!
真琴は難無くそれを素手でキャッチする。
「化け物かよ!」
ナイフガイが吐き捨てる様に叫んだ。
その時、和人達の前に握り拳程の黒い塊が三つ転がった。
「ストーンウォール!」
危険を感じた和人が咄嗟に魔法でそれを囲う!
刹那、轟音と共に火柱が上がる!
「サンキュー!兄貴!」
「いいからさっさと行け…」
和人達の前に違う男が立ち塞がる。
真琴が顔をしかめて吐き捨てる。
「お仲間だ、爆弾魔、燃える男のマイトガイ!」
「だから何なのその名前!?この世界に赤いトラクターでもあるの!?」
「私が知るかと言ってるだろう!!何でお前もそんな事知ってるんだ!?」
そんな二人に、マイトガイは更に三つ、爆弾を投げつける!
真琴はその全てを上空高く蹴りあげた!
屋根より遥かに高い位置で轟音と爆炎が起こる。
「化け物め…」
マイトガイはナイフガイと別方向へ逃げ出した。
「駿河!お前は王女を追え!私はマイトガイを追う!」
「解りました!」
対人一対一なら真琴はステータス一万超えだ。心配する必要は無い。
和人はナイフガイが逃げた先、貧民街の奥へと走りだした。
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貧民街の最奥、打ち捨てられた教会。
ここは王都の闇、人拐い、人身売買組織の根城だった。
朽ち果てた聖堂には、据えた臭いと酒の臭いが立ち込めている。
柄の悪い男達が酒を飲み、博打に興じている中、ステンドグラスの女神像が、もはや誰も祈ることの無い祭壇を、悲しげに見下ろしていた。
その祭壇に座った一際柄の悪い男が、ナイフガイの拐って来た獲物を品定めしていた。
「こりゃあとんでもねぇ上玉じゃねえか、こいつは高く売れるぜ?よくやった!ほれ、小遣いだ!」
男は金の詰まった袋をナイフガイに放り投げた。
「放しなさい!私はクラリス・エル・ステラ・シーロブルト!この国の王女です!こんな事をして許されると思っているのですか!!」
手首を縛られたクラリスは、毅然とした態度で言い放つが、無法者には逆効果でしかない。
「おうおう、この国の姫様たぁ嬉しいねぇ!益々高く売れるなぁ!」
男達が一斉に汚い笑い声を上げた。
その様子を和人はひび割れた窓から覗いていた。
敵の数はおよそ三十人、対するは後衛職一人。
普通であれば一度引いて増援を呼ぶだろう。
しかし、和人にはこの状況を打破する手段があった。
「まさか遥より先に王女様に名乗る事になるとはね…」
和人は懐から魔笛を取り出した。
「カシラぁ、売り物にする前にちっと味見しませんか?」
ナイフガイが下卑た笑いをうかべる。
「そうだな、王女殿下を抱く機会なんざぁこの先無えだろうしなぁ?」
そう言ってカシラは下卑た笑みを浮かべながら、クラリスに近付いた。
後退ったクラリスは、壁際まで追い込まれた時、思わず小さく呟いた。
「助けて…和人さん…!」
その時、朽ち果てた聖堂に美しい笛の音が響き渡った。
何処か寂しげで、神秘的なその音色は、その場にいる者達の心を強烈に惹き付けた。
もし、一人でも日本人がいたのなら気付いただろう、その曲は【炎のたからもの】だった。
「何だ!この音は!?」
「追っ手に嗅ぎ付けられたか!?」
男達が騒ぎだし、一斉に聖堂の入口に注意を向けた。
刹那、祭壇の上のステンドグラスを突き破り、何者かが侵入してきた!
キラキラと舞い散るステンドグラスの破片が放つ七色の輝きの中、焔の様な紅蓮のマントをたなびかせ、舞い降りてきた漆黒の騎士。
その姿はまるで、幼い頃に読んだおとぎ話に登場する英雄の様で、クラリスの目にはその光景が、幻想的でゆっくりと流れる様に映った。
騎士は空中でステンドグラスの破片を一つ掴むと、クラリスに向かって投げ放った。
その破片はクラリスの手首を掠め、蝕んでいた縄がはらりと落ちる。
そして騎士はクラリスを護る様に着地し、男達の前に立ちはだかった。
「何者だてめぇ!邪魔すんじゃ無ぇ!」
「たった一人で何しに来やがった!」
男達が次々と叫ぶ。
そんな男達に騎士は静かに言った。
「貴様等に名乗る名など無い。何をしに来たと言えば、悪党に囚われた姫君を救い出すのは騎士の務め、その務めを果たす為に来たまでだ。」
騎士の言い放ったキザなセリフに男達は一気に逆上する。
「ふざけた事言ってんじゃねえ!相手は一人だ!フクロにしちまえ!!」
「死ねやぁぁぁッ!」
先手必勝とばかりに、ナイフガイが両手に五本ずつナイフを手に取り投げつけた!
騎士はナイフガイの動きをなぞる様に動くと、その両手には五本ずつ、ナイフが収まっていた。
「ひぃっ!」
「ば、化け物だ!」
早々に逃げ出そうとした者達に向かって、騎士はナイフを投げつける。
「ギャア!」
「痛ぇ!」
「ぐおっ!」
十本ほぼ同時に放たれたナイフは、全てアキレス腱や膝裏の腱を切り裂き、十人の動きを奪った。
騎士が男達に向かってゆっくりと歩き出した。
「畜生がぁぁぁぁッ!」
次々と襲い掛かる男達を、騎士は枯れ枝でも手折るかの様にいなして行く。
大振りに下ろして来た剣を、腕を掴み投げ飛ばし、同時に斬り掛かって来た三人の攻撃を、すれ違いに一人の鳩尾に拳を入れ、抜け様に二人の首裏に手刀を当てる。まるで力を入れていないかの一撃に、屈強な男達が次々と意識を飛ばされて行く。
気が付けば、立っているのはカシラとナイフガイだけだった。
「この距離ならさっきのも出来ねえだろ!死ね!」
ナイフガイが再び十本のナイフを投げる!
騎士は確かに今度はナイフを受け止めなかった。しかし、その拳で全てのナイフを打ち返した!
「ぐえあぁぁぁぁぁッ!?」
ナイフガイは両肩、両腕、両手首、両膝を撃ち抜かれ崩れ落ちた。
残る二本のナイフがカシラに向かう。
カシラは片手でナイフを掴み、握り潰した。
「やってくれたな…てめぇ、八つ裂きじゃあ済まさねえぞ!」
カシラの体がみるみる内に灰色の毛に覆われ、筋肉が盛り上がり、顔が獣の様になって行く。
「人狼か…」
「シニヤガレェェェェェェッ!」
飛び掛かった人狼の刃物の様な爪が騎士を襲う!
騎士はその腕に軽く手を添え外に受け流すが、人狼は逆にそれを勢いに変え、鋭い後ろ回し蹴りを騎士に放つ!
騎士はその踵を左手で受け止め、ねじ切る様に体ごと回転する!いわゆるドラコンスクリューだ!
「グッ!!!」
人狼は一拍遅れて回転を合わせ難を逃れるが、その膝には確実にダメージが残った。
ほぼ同時に着地した両者だが、先に動いたのは人狼だ。
鋭いアッパーが騎士を急襲するが騎士はそれを紙一重で見切る!
「コレデオワリニシテヤル!!」
人狼が両拳で怒濤のラッシュを放つ!
しかし、騎士はその一瞬で数十発放ったラッシュを全て両手で受け流した!
「ナ…ナンダト!?」
人狼の声に困惑が混じる。
「こちらの番だ!」
そのラッシュをはるかに上回る、騎士の放った拳の弾幕が、人狼の全身に降り注ぐ!
「ウボォオォオォウアァアァァァァァァァッ!?」
更に騎士は左のフックで人狼の顎を打ち抜き、溝尾を掌底で突き上げる!
「ゲブファッ!?」
肺の空気を全て吐き出し、宙に浮いた人狼を、騎士は後ろ回し蹴りで吹き飛ばした!
「コォアァァァァァァァッ!?」
肺に空気が無いために、声に成らない叫びを上げながら、長椅子や燭台を巻き込みながら吹き飛ぶ人狼。瓦礫の中から立ち上がろうとするが、片膝立ちから動く事が出来ない様だ。
騎士が人狼に向かって手を振り翳す!
「獄炎の剣!!」
騎士の前に炎の極大魔法陣が浮かび上がる!
「タアッ!」
飛び上がった騎士が、宙で一回転しながら蹴りの姿勢を取り魔法陣に飛び込むと、その体は紅蓮の炎に包まれ一振りの大剣となり、人狼の体を貫いた!
「ガアァァァァァァァァァァァァァァッ!!!!」
人狼は断末魔の叫びを上げ大きく仰け反ると、ゆっくりと後ろへ倒れ、爆炎を上げた。
ゆっくりと騎士は立ち上がり、爆風にたなびくマントを振り払うと、クラリスへ向き直り歩き出した。
そしてクラリスの五歩手前程で跪いた。
「お怪我は御座いませんか?王女殿下。」
その姿は、騎士物語の英雄その物だった。
「はい…ありがとうございます。」
クラリスはその美しい所作に見惚れながらも騎士の言葉に応えた。
「勿体なきお言葉…申し遅れました。私はイオと申します身分無き者、この顔には、人には見せられぬ大きな傷があります故、仮面を外さぬ事、御容赦願います。」
「解りました、許しましょう。」
「では王女殿下、本来殿下に手を差し伸べる事など叶わぬ身分ではありますが、よろしければ、王城迄の道程をエスコートさせては頂けませんか?」
そう言って、イオと名乗った男はクラリスに手を差し伸べた。
「はい…宜しくお願いします。」
クラリスは差し伸べられた手に、その手を重ねた。
教会を出た所で和人は探知スキルを拡げる。
真琴が増援を連れて来るのが感じられた。後は真琴が処理してくれるだろう。しかしこのまま行けば鉢合わせする事になる。
「王女殿下、少し散歩をしましょう。しっかり掴まって下さい。」
イオはクラリスを横抱きに抱え上げた。クラリスは、肩に回されたイオの手の温かさに覚えがあった。
『あれ?この感じは…』
その瞬間、イオは空高く飛び上がった。
「きゃあっ!?」
思わず目を瞑るが、頬を撫でる風を受けゆっくりと目を開く。
空を飛んでいた
イオは超人的な跳躍力で屋根伝いに跳躍していたのだが、その動きは重さなど全く無いかの様に、ふわりふわりとして、まるで空を飛んでいる様な錯覚をしたのだ。
「きれい……」
流れて行く屋根の色、町の外に広がる草原と森、遠くに輝く湖、空を飛ぶ様な感覚の中で眺める景色は、一度見たことがある筈なのに、全く別の世界に見えた………
イオはクラリスを抱いたまま、王城の一番高い塔の上に立った。
「ご覧下さい、王女殿下。貴女の国が治める町を…」
「はい…」
クラリスはイオの首をしっかりと抱き締め、眼下の町を見る。
「あの屋根の数だけ家族があり、家族の数だけ生活があるのです。」
イオは少しだけ哀しそうな声になった。
「残念ながら、私には目の前の者しか護ることが出来ません、手の届く物しか支えられません。」
イオはクラリスを見て続けた。
「しかし、貴女はこれだけの人達を護ることが出来る、支えることが出来る。」
「…はい!」
クラリスの瞳に強い光が宿る。
「悲しい事ですが、どれだけ善政を敷いても、先程の様な輩は現れます。貴女はそんな悪から、弱き民を、正しく生きる者達を護り、より良き方向へ導くと、この私めと約束して頂けますか?」
クラリスに向けられた表情の解らぬ仮面に、あの人の優しい笑顔が重なる。
クラリスは力強く頷いた。
「約束しましょう、誇り高き騎士イオ。私はこの国の未来を護ります。貴方はその手の届く物を溢さぬ様、護り続けて下さい。」
イオも力強く頷く。
「有り難きお言葉、しかとこの胸に刻みましょう。それでは、名残惜しいですが空の散歩もここまでと致しましょうか。」
そう言うと、イオはふわりと飛び、王城のテラスへ舞い降りた。
クラリスを優しく降ろすと、イオは再び跪く。
「では王女殿下、貴女とこの国の善き未来をお祈り致しております。」
そう言うとイオは立ち上がり、背を向けて歩き出した。
その背中をクラリスが呼び止める。
「騎士イオ!約束して下さい、この国の有事の際は必ず駆けつけると!」
イオは肩越しに振り返る。
「約束はしましょう。しかし、その様な事が起こらない事を祈っております。」
そう言い残し、イオは城下へと飛び去って行った。
クラリスはその背中を見送ると、和人が貸してくれたハンカチを胸に強く抱きしめた。
「ありがとうございます…和人さん…」
スルトにバレなきゃOKです。
ちなみにカシラの賞金首名は当然、ウルフガイ。
誘拐魔、暁に吠えるウルフガイです。
ナイフガイ 賞金金貨10枚
マイトガイ 賞金金貨15枚
ウルフガイ 賞金金貨30枚
です。