羽化
「―か…、―るか…、遥!」
遥はぼんやりと目を覚ますと、心配そうに自分の顔を覗き込む和人がいた。
―何で私寝てんだっけ…?―
寝惚ける頭でゆっくりと思い出す。
ガバッと勢いよく遥は起き上がると、辺りを見回した。
「わわっ!ちょっと、遥!?」
何故か和人が慌てるが、遥は少し遠巻きにこちらを見る仲間達しかいない事を確認すると、和人に尋ねた。
「あの人は!?黒騎士様は!?」
何故か目を反らしている和人が答える。
「あの人は、僕が起きたら、時間が無いから、申し訳ないけど後は頼むって言って、行っちゃったよ。あと、遥に、君が起きるまで居て上げられなくてごめんって。」
「そう…」
遥は彼が置いて行ったマントを撫でた。
―大丈夫、きっとまた会える…そんな気がする…―
「所で遥?」
「ん?」
和人は相変わらず目を反らしている。
「みんな目のやり場に困るから、マントの下にも何か着て…」
仲間達は目を片手で隠しながら、自分の衣服の無事な部分を差し出していた。
遥は改めて自分の姿を確認すると、マントの正面が開いて、ギリギリ見えそうで見えないラインをキープしていた。
………………
「ふにゃあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!?」
遥の悲鳴が森に響き、鳥達が一斉に飛び立った…
王都に帰還した一行だが、遥はそのまま倒れ込んでしまった。無事に帰って来た安心感から、溜め込んでいた精神的疲労が溢れてしまったのだろう。
遥を寝かし付け部屋を出た和人に、話を聞き付けたらしい慎太郎と美空が駆け寄って来た。
「大変だったんだって?大丈夫か?大きな怪我とかないか?」
「そんなに頬を腫らして…さぞ、苛烈な戦いだったんでしょうね…」
「あ、うん…大変だったよ…」
腫れた頬は、遥のビンタだ。和人はばつの悪い顔で目を反らす。
「ともあれ、生きてて本当に良かった!」
「ええ!今夜の食事は更に腕に頼を掛けますからね♪なんでも言って下さい!」
美空が胸を叩いて言うが、何か料理番みたいになっている。
「ありがとう美空、でも今日は遥に付いててあげられないかな?ゴブリンに…その…あれされかけたから、凄く参ってると思うんだ。男ではどうしても解ってあげられない所があるし…」
それを聞いた美空は、珍しく神妙な顔をした。
「解りました。遥の親友として、同じ女の子として、遥の心の傷に寄り添うとします。」
そう言うと美空は、ドアをノックし、遥の部屋へ入った。
二人きりになると、慎太郎は和人に静かに尋ねた。
「目の前でか…?」
和人は目を伏せて答える。
「うん…」
「その時お前は?」
決してその声は和人を責めていない。ただ、静かに尋ねている。
「麻痺毒と魔力切れで何も出来なかった…」
男だから解る事もある。
ずっと好きだった女が、目の前で化け物共に犯されるのを何も出来ずに見ているなんて、想像を絶する地獄だ。
「お前も辛かったな…」
結果、遥を守る事は出来た。
しかし、和人はあの時の悔しさ、情けなさ、惨めさ、怒り、いろいろな事を思いだし、涙が出てきた。
「うん…」
慎太郎は、和人の肩に腕を回し、歩く様に促した。
「強くなろうぜ、一緒にな。」
「うん…!」
「とりあえず、飯食って寝ようぜ。後は美空が何とかしてくれるさ。」
和人は涙を拭うと、笑顔で言った。
「そうだね!美空は天才だもんね!」
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「ん…」
遥が目覚めると、息がかかるほど目の前に美空の顔があった。
「うわぁ!?」
思わず後退りベッドから落ちそうになる。
そんな遥に、美空は開口一番、
「遥、あなた恋をしましたね?」
と言った。
「ふえぇぇぇっ!?」
遥は真っ赤になりながら、目を白黒させる。さらに美空は詰めよってくる。
「感じますよ、あなたの中に今まで居なかった女を!やっと現実に目を向けたんですね!!」
最早壁まで追い詰められた遥が頭から湯気をだす。
「な、な、何でそう思うの!?」
「あなたの寝顔、ゴブリン共に犯られかけたと言う割には安らか過ぎます!まるで何かに護られているかのように!その理由はこのマントとお見受けしました!出ていく時には身に付けていなかった、この明らかに最上級のマントの持ち主こそ思い人なのですね!?」
まるで見ていたかのように言い当てる美空。
―怖い!天才怖い!―
「聞かせて下さい!どんな方です?何て名前です?あなたが初めて恋心を抱いた殿方、とても興味があります!」
遥は観念し、詳細を語った…
「:……確認しますが、遥は現実の話をしているのですよね?」
美空は米噛みに手を当て、眉間に皺を寄せている。
「そりゃ信じられないかも知れないけど、本当の事だもん……」
簡単には信じて貰えないと思っていたが、遥は枕を抱いて拗ねていた。
「決してゴブリン共に輪姦された記憶から、精神を防衛するために脳に捏造された、偽りの記憶では無いのですね?」
「……シバくぞ……」
遥の本気の殺意を受け流し、美空はベッドから降りて遥に向き直った。
「冗談です。現にこうしてマントがあるのですからね。所で遥、この際、女を磨きませんか?」
「は?」
遥が、何言ってんだコイツ?って顔をする。
「遥が本気を出せば、そこらの十把一絡げで売り出してるアイドルなんか相手になりませんよ?素材は元々極上なんですから!」
美空が畳み掛けてくる!遥はそれを何とかかわそうとする!
「必要性が解らない!オタの金と暇と情熱は、その誇りに捧げるためにある!」
遥が謎のプライドを掲げる!
「この世界にそれを捧げる趣味は無いのです!ならば情熱だけでも初恋に捧げなさい!親友を正しい方向へ導き、応援するのが私の情熱です!!」
この世界に生き様は無い、その言葉で遥の防壁はあっさりと崩れ去った!
「そだね…ケルベライガー様も、セイレイジャーもいないもんね……」
美空が勝ち誇った顔で続ける。
「正しくはその方々も実在しないのですが、それはさておき。女を磨き、美しくなって、次にその方に逢うときに備えましょう!」
美空は机の上にあった、遥の眼鏡をスチャッとかけた。
「このまま3日休みましょう。全て私に任せて下さい。劇的にbefore・afterして見せます!」
デキる女風にクイッと上げる。
「おおぅ?」
思いの外、眼鏡の度が強く、美空はフラついた。
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3日後の朝、朝食をとっていた召還者一同にどよめきが起こった。
まず、この時間には絶対に起きてこない美空が来たこと。
そして、その美空が、見たことあるような無いような美少女を伴っていたことである。
艶があり、絹の様な光沢を放つ黒髪は、ゆったりとした一つの三つ編みに纏められ、歩く度にふわりと揺れる。
白く潤いのある肌は、まるでつきたてのお餅の様で、遠目に見てもその張りと柔らかさがわかる。
淡く化粧が施された頬は、薄桃色に染まり、桜色の唇と相まって、まるで春の妖精の様だ。
顔の造作を邪魔しない細いフレームの眼鏡の下には、恥ずかしそうに辺りを見回す薄茶色の目がくりくりと動いていた。
二人はカウンターで食事を受け取り、既に食事をしている和人と慎太郎の席へ近づくと、気付いた和人が挨拶した。
「おはよう、遥、美空。やっと元気になったんだね。」
「おはよ、うん、もう大丈夫。」
遥は少し膨れっ面で答えた。少し違う反応を期待したのに、和人がいつも通り過ぎたからだ。
周りでは、遥の事をモブのオタ位に思っていた者達が、完全に石化している。
少しポカンとしていた慎太郎が口を開いた。
「天才の手に掛かるとここまで変わるか……」
それを聞いた美空は、
「遥は変わってませんよ、在るべき姿に戻しただけです。実際、生活改善しただけですからね。」
と、誇らしげに言った。
「でもまぁ、和人君は最初から、遥の見た目なんか気にして無かったみたいですけどね…」
ど、どこか残念そうに呟き、今まで通り、たのしげに話ながら食事をする二人を眺めた。