売れっ子万年魔女とアシスタントの魔女
ニコールだって、根っからの悪ではない。
なぜなら、ほぼ毎日、仮面舞踏会へ行き2日酔いが途切れることのない、妻のメアリーヌ(本当の妻でなくてよかった)は、
「ニコール、小さい頃は優しい子だったから心配したけれど、余計な心配だったわ」
と話していた。
それに、ロバートにクリストファー・ラーマン伯爵について調べさせたとき、
「小さい頃は優しい子だった」
と語った庶民が数名いたことの報告を受けているからだ。
クリストファー・ラーマン伯爵も、ニコールも小さい頃は優しい子だった。
時間とともに自然と悪人になったのか?
俺はそうは思わない。
何かきっかけがあったはずだ。悪業に手を染めても何とも思わないようになってしまった決定的な出来事が……。
万年魔女のオフィスは、街中の一等地にあった。しかも最上階だ。
この世界の魔女はかなり儲かっているみたいだ。
街頭では、少年が軽快なリズムでバイオリンを演奏していた。大勢の人が手拍子をしてノリノリで聴いていた。
騒ぎを聞きつけた騎馬警官隊がやって来るが、俺がシッシッと手で帰るように促すと、即座に引き返して行った。
こんなに素晴らしい演奏の邪魔をしようとするとは、むしろそっちのほうがよほど罪深い。
バイオリンを弾いている少年は、俺の行動に気づいたようで、軽く会釈した。
俺は少年のバイオリンケースに、財布に入っていたお金を全てドバッと入れた。一度こういうことをやってみたかったし、少年の演奏はそれに十分に値した。
「さすが、伯爵様だ」
「素敵なお方だ」
とか言われるのかなと思っていたが、皆驚いてポカンとしている。
しまった! 本物のクリストファー・ラーマン伯爵が、こんないい人っぽいことするわけないっ!
大勢の人になりすまし犯だと疑われてしまう!
「おおー! さすが、伯爵様だ!」
「少年、伯爵様に感謝するんだぞ!」
俺に向かって拍手が沸き起こる。
少年は深々と頭を下げる。
焦ったー! リアクションまで時差ありすぎじゃないか! なるほどな。クリストファー・ラーマン伯爵は、ずる賢くこんな感じでチップをやって、優しさと権力をアピールしていたのだろう。
俺は万年魔女のオフィスがある建物に入ると、地下でゴブリンどもが引っ張って動く仕組みのエレベーターに乗り、最上階まで上がる。
少年の演奏に聴き入っていたので、5分ほど遅れてしまった。
トントン、とノックをしようとすると、見るからに重そうな鉄の扉が開いた。
中に入ると、趣味の悪い彫刻があり、アシスタントの魔女が受付にいた。アシスタントと言っても軽く100歳は超えている
「お待ちしておりました。先生は奥のお部屋でお待ちです。時間は30分ですので必ずお守りください。1秒でも過ぎてしまいますと、先生の魔法で石にされてしまいますので。さあ、どうぞ」
この趣味の悪い彫刻は、時間を守らなかった人たちだったのか。石になるのも嫌だが、ここに飾られて、アシスタントの魔女と同じ時間を過ごすことに恐怖を感じる。
ニコールには悪いが、話の途中でも5分前には出て行くことにしよう。
俺は奥の部屋の前に立つ。
これまた重そうな鉄の扉があるが、なかなか開かない。
「何をしているのです? 礼儀正しくノックをして、中にお入りください」
とアシスタントの魔女が言う。
何だここは、魔法の力で扉が開かないのか。それに、魔女が礼儀を気にしていることを始めて知った。
トントン、とノックをしようとすると、鉄の扉が開く。
「アヒヒヒヒャッ。アヒヒヒヒャッ」
アシスタントの魔女が大笑いしている。
中の部屋からも、
「チュチュチュチュー、チュチュチュチュー」
と妙な声が聞こえてくる。
どうやらこうやっていつも、来客をからかっているようだ。礼儀なんかやっぱり気にしていないではないか。
ちょっと不快に思いながら、中に入るが、誰もいない。
「チュチュチュチュー、チュチュチュチュー」
と妙な声があいかわらず聞こえる。
俺が声がするほうに近づいていくと、革張りのイスからヒュッとジャンプしたネズミが、5回転してデスクに着地する。
立派な生地のスーツを着ている。
「チュチュチュー、ひっかかったでちゅねー。チュチュチュチュー」
おいおい、こんなくだらないことで時間を使うなよ。どうやらこのネズミが万年魔女のようだ。
「ではまず、約束の物をいただくでちゅ」
俺は胸ポケットに入れてきた、つまようじくらいの大きさの杖を渡した。
俺には普通の杖を、小さくしただけのものにしか見えない。
「こ、これでちゅ。本物でちゅ。この古代の杖があれば、魔力大幅アップでちゅ」
そうなのか、それはありがたい。
「で、何が望みなのでちゅか?」
「まずは、娘のニコールがどうして、冷徹で卑怯な人間になってしまったのか、そのきっかけとなった出来事を教えてくれ」
「チュチュチュッ。おやすいご用でちゅ。この鏡をみるでちゅ。チュチュイのチューイ!」
すると、デスクに置かれていた小さな鏡に、まだ9歳か10歳くらいのかわいい女の子が映る。ニコールだ。小さい頃からこんなにかわいかったのか。俺は小さな鏡に顔を寄せる。もっと大きな鏡で見たかったが仕方ない。