悪役令嬢は結婚式を襲撃するおつもりです
俺の名前は、クリストファー・ラーマン。そう、悪事をいともたやすくもみ消せる権力を持ったクリストファー・ラーマン伯爵だ。
といっても、クリストファー・ラーマン伯爵歴はまだ2ヶ月弱だけど。
「クリストファー・ラーマン伯爵、クリストファー・ラーマン伯爵、クリストファー・ラーマン伯爵……」
朝起きたら、まず俺はこの名前と称号を小声で10回復唱する。クリストファー・ラーマンになりきるためだ。執事のロバートに「伯爵」と呼ばれて返事をしなかったとき、かなりあやしまれてしまった。
隣で寝ている妻のメアリーヌは熟睡している。また昨晩も仮面舞踏会に行っていたようだ。かなり酒臭い。
トントン。
「お父様、お母様、起きておられますか?」
「ああ、私は起きているよ」
俺が返事をすると、
「お父様、おはようございます」
と一人娘のニコールが入って来る。
「おはよう、ニコール。今日は一段と素敵だよ」
おべっかでも何でもない。ブロンドの髪、ブルーの大きな瞳、9頭身のスタイル。ニコールの外見は完璧だった。
「ありがとうございます、お父様。今日は特別な日ですもの」
ニコールはメアリーヌが寝ていることを確認すると、
「ちょうどよかったですわ。お父様に一生に一度のお願いがありますの」
毎日聞いている言葉だが、ニコールのわがままをいちいち気にしていたら、それだけで1日が終わってしまう。
「わかった。ニコールの一生に一度のお願いなら断るわけにはいかないな」
「ありがとう、お父様大好きっ!!」
ニコールが飛びつくように抱きついてくる。さすがだ……。
以前、ニコールがこの抱きつき方をメイド相手に猛練習しているのを目撃したことがあった。
ある意味、努力家ではあるのだ。
「それでね、お父様。お願いというのは、お父様の護身用の銃を、今日だけお借りしたいのです。フィアンセに婚約破棄された世界一不幸な娘が、元フィアンセが結婚式を挙げる今日という最悪の日にするお願いですから、選択肢は一つだけですよね」
雄弁でもある。
「わかったよ。おもちゃではないから、取り扱いには注意するのだよ」
「はい、お父様」
本当は銃の取り扱いについて心配などしていない。婚約破棄されてから、ニコールは庭で狙撃の練習に明け暮れていた。
さらには、モンスターが潜む森に入り込み、ガーゴイルを仕留める実践練習も行っていた。
俺は机の引き出しから銃を取り出すとニコールに渡す。
「お父様、ありがとう」
ニコールはそう言って、寝室から出て行く。
俺は知っている。ニコールが先ほど渡した銃で何を企んでいるのかを……。
窓から庭を覗くと、銃で武装した傭兵どもが15人ほど集まっていた。
ニコールは庭に出ると、その傭兵どもを従えて外出する。
婚約破棄された元フィアンセ、ウイリアムと、そのウイリアムを奪ったエマの結婚式を襲撃する気なのだ。
しかも、わざわざ俺の銃を持って行くということは、現場にその銃を置いて、犯人を俺に仕立て上げようとしている。
“婚約破棄された愛する娘の復讐”という立派な動機をつくることができる。
もし、もみ消すことができなくても、自分が捕まらないように最悪のケースも想定している。
極めて賢い子だ。
もちろん、俺は絶対的な権力をつかって、赤く染まるであろうその結婚式場を真っ白にすることができる。
事件など何もなかった。ウイリアムとエマは失踪した。誰もそれ以上のことは追及してこない。
ウイリアムの父親であり、騎士団長のトムが多少、騒ぎ立てるかもしれないが、本気になればすぐに黙らせることができる。この時代では、階級が絶対なのだ。
エマは靴屋の娘だから、そういった意味では何の心配もいらない。
ではなぜ、ニコールはウイリアムに婚約を破棄されてしまったのか……。
執事のロバートに調べさせた限りでは、ニコールは他の国にもそのイケメンっぷりが知れ渡っている元フィアンセ、ウイリアムと是が非でも結婚しようと、ウイリアムに近寄って来る女は片っ端からいじめ、その家族までも「どうなってもしらないわよ」と脅していた。
実際、花屋の娘がちょっとだけニコールに反抗したとき、その日中に花屋を閉店に追い込んだことはもちろん、その親族の仕事もすべて奪ってしまったそうだ。
さらには、剣や鎧、馬など、ウイリアムが欲しがった物は何でも買い与えていたし、金をバラまいて街中の者に「ニコールお嬢様は世界で一番美しい」、「ニコールお嬢様とご結婚される方は世界一の幸せ者だ」、「大きくなったらニコールお嬢様のようにお優しい方になるのよ」と噂させていた。
これらのことはあくまでもロバートが調べて入手できた情報にすぎない。ニコールがウイリアムと結婚しようと、他にも手段を択ばずに、あの手この手を使って、婚約に至ったことは容易に想像できた。
とにかくハートが強い。
しかし、ウイリアムは、この街に引っ越してきた絶世の美女、エマに一目惚れしてしまう。
ニコールは努力の甲斐虚しく、一途に尽くしてきたウイリアムに婚約破棄されてしまったのだ。
俺がクリストファー・ラーマン伯爵と入れ替わったのは、その翌日のことだった。