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「かっわい~それなあに?」
梨花は作業の手を止めた。
「ロゼッタリボンだよ。拾ったどんぐりでも葉っぱでも花でも記念になるものを真ん中にくっつければ、簡単に記念バッチになるよ」
「メダルだと引っかかって危ないって、最近言われるから助かるよ」
「デイキャンプは汚れてもいい格好で来てって言ってあるから、バッチの穴を気にする人はいないよね?」
「じゃーん。そんな人のために両面テープー」
タラララっタラーとおどけてテープを掲げる。
「さすが!」
パチパチと拍手が鳴り響く古民家の縁側。
梨花は1年ほど先に会社を退職した元同僚山本夫婦が手がける、ボランティアグループの野外活動の手伝いに来ていた。
里山体験をメインに扱っているグループで子供達に人気がある。
山本家の長女は6年生。おしゃれに敏感な時期。
ロゼッタをとても気に入ったようだ。
「その深緑色のリボン。勲章みたいで男の子にもいいよね」
勲章……手にしていた見本用を改めて見る。着なくなったブレザーのボタン。ツタ草とライオン模様も相まって、前世で叙任された時の勲章と似ていた。こんなところまで無意識……か。
「ピンクのはパチンコ屋の花輪みたいだねー」
山本家長男は小3で、まだ空気は読めないようだ。
そうだね、でも声にだしちゃいけないやつだねそれ。
梨花は引きつりながら話す。
「それにしても1年でずいぶん活動しているんですね」
「まあねー。子供達の為にって田舎に帰ってきたはいいけれど、田舎すぎると公園もないのよね。集団登校が義務化されているから放課後寄り道したりしないし、かといって毎週不審者情報のメールがくるからか、子供同士待ち合わせて神社で遊ぶ事も無くなっていたし。子供会はお祭り以外活動していないしで、なんだかなーって思ってさ」
田舎はどこでも自然が一杯というのは幻想だ。住宅以外は農地などになっている。空き地は減反された水田で草木が茂っている。大自然とふれあえるなんて限界集落や離島までいかないと無理というものだ。
高速が張り巡らされているが故、1時間で街中あるいは郊外の大型ショッピングセンターに行けるため、普段使いの商店街や個人商店は壊滅状態。
「これでも昔は小さな商店とか、御用聞きの車回っていたのよ。診療所レベルの個人病院は夜中でも先生を呼びに行けたから、不便は無かったの」
山本夫婦が大学上京以来30年ぶりに帰ってきた田舎は田舎ならではのネットワークが崩壊し、ただの人気の無い郊外でしかなかった。採算の取れないバス、電車はすべて廃線。平成の大合併で名前だけ市になり税金だけが上がっていた。
「習い事ひとつとっても送り迎え必須でさぁ。運転手として子供が巣立つまで生きるしかないって、帰ってくるまで知らなかったのよ。この子が好きだったボーイスカウトも街中までいかないと無かったし」
山本妻の愚痴は止まらない。よっぽど溜まっていたのだろう。
「それにしても、よく手入れされた古民家だね」
山本夫があわてて話題を変えた。
「ええ、両親が古民家の味を活かしてリフォームしたはいいけれど、結局暮らすには不便すぎて」
梨花が相続した祖母の家は、築100年越えの養蚕農家だった。
山本夫婦が移り住んだ場所を見下ろす山の中腹。山本家から車で30分ほどで着く。
養蚕は山本夫婦が小さい頃から廃れ始めていたので、この辺は空き家だらけだ。
段々畑は痩せていて桑以外育たない為、新規に農業を始める人もいない。
土間や高い天井に太い梁。庭には五右衛門風呂の小屋。
父親が趣味で作ったピザ釜やバーベキュー台。2、3回親戚でパーティーしただけで二人とも他界してしまった。
別荘にするなら素敵だと思う。しかし一人でこれは掃除も大変だし、庭の草刈りも大変だ。
別荘地ではないので、需要もなく売ることも出来ない。正直持て余していた。
「活用できて、こちらとしても嬉しいです」
子供達の声がこだまする古民家キャンプのお世話は、とても楽しかった。
小さな畑で収穫作業、裏山で野草取り、小川に仕掛けたペットボトルで小魚取り。
子供達の親にも、遠くの本格的なキャンプ場に行かなくて体験できると好評だった。
30年前の遊びが、今の親子には新鮮なのだ。
年賀状で近況を知って、自分から連絡を取った。
自分も子供が居れば、こういった生活があったのだろうか。
好きな俳優、気になっていた男の子。物静かで優しくて……みんなマドーニに似ていたのだ。
今一本気で誰も好きになれなかったのは、存在意識がマドーニを求めて居たからだったと漸く理解できたが、どうしようも無い。
一人でここに住んで、週末ボランティアを受け入れる。
悪くは無いが、無職としてはいずれ立ちゆかない。
飛行機で1時間、更に車で2時間。祖母が生きている頃は小学校の間は毎年泊まりに来ていたが、近所づきあいはない。祖母が生きている頃でさえ、人が少なすぎて自治会の役が二、三年おきに回ってきて辛いと言っていた。今更ここに引っ越すのは現実的では無い。
1週間泊まっているが、明日の2回目のキャンプが終わったら一旦帰る。
今後の人生そろそろ真剣に考えないといけない。
庭の桜を見上げる。春風が最後の花弁を散らす。あの国に咲いていた花は桜によく似たサクヤビーメ。あの日も散り始めていたっけーーー
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
夜風に散りゆくサクヤビーメ。ユリは女性王族が暮らす後宮の庭を静かに進む。出発前にどうしても会いたいと、ジルノミア王女から秘密裏にメッセージを受け取っていた。夜明け前に予告通り侍女が迎えに来た。春の気配も終わりそうな暖かな夜風に舞い散る花弁が幻想的で夜が明ければ死線へ赴くとはとても思えない。きっと油断していたのだろう侍女が立ち止まったのに気づくのが遅れた。
「すまぬ」
「お静かに」
侍女の視線をたどれば王女の部屋から人影が出ていくところだった。
遠くの後ろ姿が月明かりに浮かぶ。
「っ!」
それはユリが間違える筈の無い、マドーニの背中だった、
男子禁制の後宮から、それも王女の部屋から……それの意味するもの……
「かッ彼も王女に呼ばれ……」
「他言なさいますな」
ユリの無意識の願いは侍女によってすばやく打ち砕かれた。詮索無用……ということか。
どうにか頷くと、侍女も満足そうに頷き歩みを再開させた。
その後の記憶はあまりない。王女の親愛の印とかなんとか……心がマドーニの事でいっぱいだったから。
子供の頃からマドーニに頼り切りだった。再会してからは身分の違いがあってもずっと支えあって行けると信じていた。
思えばマドーニが王都へ来てからの事はあまり知らない。
年齢が同じだからと第三王子のご学友、付き人として学園に通いそのまま近衛騎士となり仕えていたとしか聞いていない。
マドーニから王女の事など聞いたことがなかった……否、言えるはずなどない。
未婚の王女のスキャンダルなんて御法度だ。
自分が想っているよう想っていてくれていると、信じて疑っていなかった。
それとも無理して合わせていたのか。言えない想いを隠して。
自分は領民の為、家族の為、国の為、高潔に生きてきたつもりだった。
おかしくもその前提がすべてマドーニに想われ支えられている事によってだとは、今の今まで気がつかなかった。愚かだ。なんて傲慢で慢心していたのだ。
「私はなんて大馬鹿者なんだ」
震える手をギュッと握りしめた。
出発前に解っただけでもよかった。
きっと知らなければどこまでも彼に頼っていただろう。
この散るサクラビーメのようにすべてこの想い散ってしまえ。
明日からは神の御心のままにこの世界の為だけに命をかけよう。
ユリはあたりが白むまでサクヤービーメの下に立ち尽くしていた。