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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

暗黒という闇の淵から

作者: c.a


 鍵のかかった、暗闇の部屋の中、少女は死にたくて困っている。首はカッターによる自傷で流血している。切りどころが良かったらしく、血は蛇口を軽く捻ったように絶え間なく流れ、首から下の服は血で濡れている。床には小さい血溜まり。血は少女の服と皮膚をつなげようと、やわらかく固まり始め、全身にまとわりつく。自慢の艶のある髪も血でぱりぱりになっている。少女は、赤黒い別の生物のようだった。この血に濡れた状態にも、外にも、少女は疲れている。疲れた。はやく死にたい、と。

「えっ、死にたいの?」

 部屋の、暗闇の奥から声がした。完全に密室だと思い込んでいた少女は、短く悲鳴をあげた、誰もいるはずがない奥に、誰かいる。貧血で幻聴を聞いたのかもしれないと思った。

「……だれ?」

 いるはずのない空間に声を出してみる。声はすぐ返ってきた。

「私? 私はね、暗闇の概念、暗闇ちゃん」

 暗闇から姿を現したのは、黒いセーラー服を着た少女。


「だれ!」

 少女は“暗闇”に向かって叫ぶ。

「だから、暗闇ちゃんだって言ってるじゃない」

 黒いセーラー服の少女……暗闇ちゃんは、自身が暗闇ちゃんであることを繰り返す。癖っ毛のついた真っ黒の長髪、黒いカーディガンに黒いスカート、黒いタイツ、黒いローファー……萌え袖からつま先まで全身真っ黒。ただ、肌は雪のように白い。

「いや! そうじゃない、どこから入ってきたの!」

「暗闇から」

「意味が、わからないんだけど……」

「ねえ、その傷じゃ死ぬことなんてできないよ?」

 少女の首にあるものを指して、暗闇ちゃんが言う。少女はうつむいた。

「そんなの、わかってる……」

「切り直したくても、力も、気力もないんだね」

 少女は黙った。暗闇ちゃんは知っている、死にたい人に死ねないことを告げると、揃って同じ反応をする。暗闇ちゃんは、その当然を楽しんだ。

「私、力を授けるとか、そういう類のものじゃないしなあ」

 暗闇ちゃんが、俯いた少女の目線に合わせて座り込む。少女の視界の端、暗闇ちゃんのスカートが床の血で濡れた。

「ねえ、貴方はどうして死にたいの?」

 光のない瞳が、少女を覗く。ずっとこの光のない瞳で話していたのだろうか。

「……なんで、だったっけ」

 少女はもう、傷の痛みによる忘却の作用で思い出せないでいた。

「じゃあさ、思い出したらまた教えてね」

「また……えっ」

 顔を上げた先に、暗闇ちゃんはもういなかった。また来るよ、その言葉を残して。



「また絵が増えてる……」

 次に暗闇ちゃんが訪れたのは、絵を描き続ける少年の部屋。夜になっても、小さいランプの下で描き続けている。そちらのほうが、落ち着くという。

 野良犬のようにボサボサ髪の少年は、暗闇ちゃんを横目に睨みつける。

「またお前か……」

 少年にとって暗闇ちゃんは話しかけられる幻覚でしかない。数ヶ月前から部屋に現れるようになったのだ。そう、ちょうど部屋をアトリエにした辺りから。

「貴方が描くのはいつもこの人だね、あーあ、あーあ今日も熱心」

 暗闇ちゃんの話してる横で少年は、キャンバスに絵を描く。

 部屋には、無造作にキャンバスが置かれている。どれもこれも油絵の具による絵画だ。何度も描き重ねしたように見える。全て、長髪の女の子が描かれていた。

「だけど、私じゃない……ねーたまに私も描いてよ」

「嫌だよ、僕は美しいものにしか興味がない」

 少年はキャンバスから目を離さない。

「見る目ないなあ」

「この絵、どう思う?」

 暗闇ちゃんが「んー?」と覗き込む。長髪の女の子が林檎を頬に寄せていた。

「どこかで見たことのある構図だね」

「……いや、構図はそんな重要じゃ」

「はい、今嘘ついた。構図、気に入らなくて私に意見聞いたんだよね?」

 暗闇ちゃんに、嘘はつけない。少年はようやく暗闇ちゃんを見る。暗闇ちゃんは腰に手を当てていた。黒に身を包んだ白、光のない目。人間じゃないなと、少年は思った。

「まあ、でも、貴方の絵は嫌いじゃない。綺麗、としか言えないけどね」

 暗闇ちゃんはそう言って、暗闇の奥へと消えていく。きっとまた来る、と少年は予感する。彼女は、数少ない少年の理解者だった。



 バーのマスターは、今日の深夜も暇をしていた。ついさっきお客さんが帰ったばかり、あと十五分の間に誰も来なかったら誰も来ないというのは長年勤めてわかっている。そうしたらいつもみたいに、趣味の執筆でも……そう思った時、店の電球が一瞬切れかかった。

「仕事しろ、ってことかな」

「ねえ」

 カウンターの端から声がする。一瞬背筋が冷え、落ち着いて振り返る。黒いドレスを身に纏った、色白の……暗闇ちゃんが座っていた。いつの間に? いや……驚くよりも、プロとして接客せねばとマスターは立て直す。

「いらっしゃいませ、何かお決まりで?」

「んーモヒートが飲みたい」

 モヒート、モヒートね。と作る。

「どうして、人は死にたがるのかなあ」

「突然どうしたんだいお客さん」

 色白の女性、暗闇ちゃんは光のない目を瞬きすることなく話す。

「友達にね、死にたがる人がいるの。それも結構」

「きっと現実から逃げたいんじゃないのかな」

「現実ってそんな、逃げるほどのことかなあ。あっそれとね、ずっと一つのことに夢中になってる人もいてね」

 マスターは話を聴きながら、グラスにミントを詰めている。

「つまり、何が言いたいかというと……」

「はい、どうぞ」

「ありがとう!」

 飾り付けのミントがちょこんと上に乗った、ストロー付きのモヒートを受け取る。

「貴方は何か飲んでるの?」

 マスターは珈琲が入っているであろうマグカップを掲げた。乾杯をして、暗闇ちゃんはストローを咥える。

「……これ、ノンアルコール……?」

「少女にアルコールを出すほど、うちの店は落ちてないよ」

 むっとなった暗闇ちゃんに「美味しいだろ?」とマスターが聞くと、暗闇ちゃんは黙ってずずっと飲んだ。



 首に包帯を巻いた少女は、本を読み終わり部屋の電気を消してベッドに潜る。首の傷が膿み、臭いが鼻を刺す。少女は今日も眠れそうになかった。

 寝返りを打って、暗闇のほうを見る。今日も来ないやと、再び壁に寝返りしたとき。

 「ねえ、理由聞かせてよ」と声がした気がした。

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