リス・ジェラルドに会いにいく - 2
広葉樹層の樹皮には外側から中心に向かって、複数の深くて大きなヒビが入っている。ぽつりぽつりと飛び出している枝は、それそのものが一本の樹木のように逞しい。緑色をした拳大の果実は自然が生み出したとは思えないほど真ん丸な形をしていた。しかし、ちゃんと実っているのはそれひとつだけで、他の枝には干からびた花の蕾やドロドロに溶けて黄色い汁が垂れている腐った果実ばかりだ。
バンネン樹の果実は暑い時期から涼しい時期にかけて熟し、リスが冬眠に入る晩期に頃合いとなる。このままではこのバンネン樹に住む大所帯は、凍える寒い季節を越せないかも知れない。
バンネン樹を見たところまだ寿命はありそうだし、変な奇病にも罹っていなさそうだ。もしかするとたまたま不作だったということも考えられるけれど、もしそうだったとしたら、あのリス・ジェラルドが事態を放っておくはずが無い。彼なら必ず、なんやかやの対策を講じるはずだ。
黒い羽の彼女は頭上に実っている果実を顎で指すように観察する。疲れがきているのか、目が座っていた。けれども、もしかするとお腹が空いているのかも知れない、とも思った。
広葉樹層の上は暴力的に起伏の激しところと、そうで無いところがある。起伏の形状は点でばらばらに丸みを帯びたなだらかな瘤や、鋭角的だったり螺旋を描いたような突起、リング状に盛り上り外側に向かって反り返った奇妙なものまで様々あった。
広葉樹層のちょうど真ん中から伸びた、一本背筋の通った針葉樹は近くで見ると感嘆の息が漏れるほど立派に聳え立っていた。
彼女は休憩することも忘れて辺りを探索している。心なしか羽の艶が無くなっているように感じた。
「ちょっと君、疲れていないのか?」
「疲れているわよ、当たり前じゃない」
そう言ってからも、僕の周りを軽い足取りで、ぐるぐると歩き続けた。彼女はいつも何かを観察している。バンネン樹にしても特段珍しい木というわけではない。もちろん、ここまで立派なものは数も少ないし、こんなに近くで見る機会も多くないのだけれど、それにしても彼女の観察癖は僕にしてみれば些か行き過ぎている気がした。
他にも「なに?」や「どうして?」と言った、言葉の尻にハテナが付くような言い方をよくしている気もする。彼女自身、意図してやっていることでは無いのだろうけど、これが彼女の生まれ持った質だとしたら少し厄介だと感じる。
「ねえ、ハンス。 リス・ジェラルドとかゆうのはどこにいるの?」
「わからないよ、僕だってここに来たのは初めてなんだ」
「準備が悪いのよ、あなた。 ヒトに会う時は準備が大事なのよ」
「無理言うなよ、僕は君と会う準備だってしていなかったんだぞ」
「ねえ、ハンス。 あの木の下に大きな穴があるように見えない?」
彼女がゆび指した中央の針葉樹に視線を向けた。よく見てみると樹木の足元の影が全体的に濃くなっている。聳える針葉樹を支点にして、足元をすっかり円形にくり抜いたようだった。穴が開いていると言われれば確かにそう感じる。
僕はその言葉に促されるように立ち上がった。彼女は既に件の場所へ歩みを進めている。多少の凹凸は気にも留めず、瘤があれば四又をついてよじ登っていく。僕も彼女の真似をして同じように進んだ。
穴を目前にして、彼女は急に歩く方向を変えた。僕は気にせずに穴に向かって進む。
「高いところの方がよく見えるわよ」
彼女は誂えた監視台のような瘤の上に立っていた。
「そんなに変わらないさ、それに近くから覗いた方がわかりやすいだろ」
思っていなさそうに「残念だわ」と呟いて、瘤の上に腰を下ろす。
穴の真上まで来た僕は、上半身を乗り出すようにして暗い穴ぼこを覗いた。何かが居るような気配があった。それになにか甘い匂いもする。メイプルシュガーのような人が作った加工品が発する能動的で押し付けがましい甘味では無く、より自然的でもったりと鼻の奥に溜まる匂いだ。
「おい、なにかが居るようだ!」
「なにかってなによ」
「知るもんか! でも、なにか居るんだよ。 穴ぼこの中で蠢いているぞ!」
「リス・ジェラルドかしら? 顔を上げてハンス、危険だわ」
振り返って彼女を顔色を一瞥しようと思った時、穴の奥でざわざわと蠢いていた無数の気配が這い上がって来る。茶褐色の小さな物体は、五列縦隊の細長い隊列を組み、穴の四方から飛び出した。足元から出てきた隊は、地に突いていた僕の手足を躱すように、幾つかの列に分かれ、僕の体を過ぎると、またひとつの細長い隊列に纏まった。
「この小動物あたしを狙っているわ!」
僕は穴ぼこに向かって大声で叫ぶ。「ジェラルド! リス・ジェラルド! 待ってくれ、休憩しているだけなんだ!」
隊列を組んだ軍隊リスは蛇行しながら瘤を登っていく。リスは暗い穴の中から次々と湧いてくる。
僕はその時やっと立ち上がって、目前の異常な出来事に合点がいった。
「きみ! いいか! 今すぐヤヌザイのところに向かうんだ! ひとりなら長く空を飛べるだろ、わかったね!」
「あなたはどうするってゆうのよ?」
「僕は大丈夫だよ! きみだけが襲われているのは、リス・ジェラルドが僕に借りを返しているからだ!」
「借りを返しているですって? ただのリスの気まぐれじゃないの」
「とにかく行くんだよ! 僕は今からリス・ジェラルドに会いに行くよ! 運が良ければもうリスたちがきみを襲うことも無くなるさ」
僕はそう言って彼女の返事も聞かずに穴ぼこの中へ飛び込んだ。
椀状になった穴の中心に針葉樹の太い幹がある。穴の一番下で放射状に広がる木の根っこは幾十と枝分かれして、広葉樹層と自らの自重を引き合いながら、張力を巧みに利用して体を宙に固定している。
僕は頭を守りながら穴ぼこを転がり落ちた。針葉樹の根っこの間を縫って中心に向かって進んだ。
自然的な甘い匂いが強くなる。初めに感じた時よりも洗練された匂いだった。
針葉樹の根の下により暗く小さい穴があった。僕の体なら余裕を持って入れそうだ。縁に腰を下ろして穴ぼこの中に足を投げ出した。僕に恐怖の感情は無かった。甘い匂いに誘われるような心地で虚空の中に身を投じた。




