ハンスと女の子 - 2
根は長いが細く頼り無く、葉柄からツルギの刀身のようなエナメル質の堅い葉っぱが掌状に連なっている。太い茎の突端に放射状に広がる産毛の生えた萼片があり、それに包容されるように花柱と腹が繋がった毛むくじゃらの塊がある。プランタ水ウサギは動物とも植物とも取れる特異な姿をしており、水中の微生物と自分の葉っぱを食糧にしながらほとんど身動きせずに生きている。
ウサギは本来、野を駆け回る生き物であるけれど、水中で身動きがとれないプランタ水ウサギは、これといって不幸な生き物というわけではなかった。
腹を壊していた怠け者のウサギは胃で消化しきれなかった植物の茎が肛門から飛び出していることに気が付いた。気が付いていながら事態を先送りにし、茎はいつか全身を覆った。それでも尚、明日考えよう、と緩慢に考えていたウサギは、やがて植物と同化し地上に根を張ることになった。
それが水中に移動するに至ったのも怠惰であるが故のことだ。足が無くなったウサギは猛禽類や肉食獣の獲物にされやすい。となれば腹から生えた茎を食い千切って逃げればいいものの、怠惰なウサギはそれすらも面倒くさがり、天敵の少ない水中に逃げていった。
僕はヤヌザイから聞いたプランタ水ウサギのことを彼女に話した。彼女は興味が無さそうにプランタ水ウサギの腹を棒切れで突いていた。僕が途中で話をやめると、腹を突く手を止めてジッと動かなくなり、再び僕が話を始めると、棒切れで腹を突き始める。
彼女は元々、興味が無さそうに話を聞く質なのかもしれない。
「あなた詳しいのね」彼女は僕の目を、取り分け目の奥の方を覗きながら言う。その茶色の瞳は僕の居心地を悪くさせる。
「ヤヌザイから聞いたんだ。 ヤヌザイはクレヴァリー動物創生記で読んだと言っていた」
「ヤヌザイ? 知らない名前ね」
僕は、当然だろう、と思ったけれどそれは言わないでおいた。彼女はヤヌザイについて僕になにかを聞く事はしなかった。その代わりに言葉を促すような間を開けて、退屈そうに棒切れを弄んだ。
「ヤヌザイはこの辺りの山を使役しているデミだ」
「やっぱり知らないわ、そんな人」
「この山に入るには彼の許可が必要なんだ」
「そうなの? でも、あなたも見ていたでしょ? あの鳥が急に暴れ出したのよ、仕方がないことよ」
彼女はそう言って畏まる様子もなく伸びをする。
でも僕にはあべこべのように思えた。彼女の心の声が舌の先で裏返って、まったく逆の事を言っているように。ヤヌザイとは異なる清潔さを彼女は有している。
「あなたはこんなところで何をしていたの?」
「僕は…… プランタ水ウサギを獲っていた」
彼女は「へえ」と言う。やはり次の言葉を促すように。
予期せぬ事態に僕は大事な事を忘れていた。
望まないこと、よく働くこと。それを思い出した時にはもう、彼女に感じた好感や少しの興味も消え失せていた。
僕の目をジッと見つめる彼女の存在が煩わしく思えた。喉の辺りで疲労感を凝縮した、ねばねばした液体のようなものが絡んで僕を窒息させようとしている。
「僕は仕事があるから行くよ」
「なんの仕事なの? 猟師? 山賊? 山賊には見えないわね。だってあなた楽しそうじゃないもの」
「うるさいな! 楽しそうじゃない山賊だっているだろ!」
僕はプランタ水ウサギを乱暴に持ち上げて、オリの実を入れている樽の中に放り込んだ。プランタ水ウサギはオリの実を一口齧って直ぐに吐き出した。
「あなた山賊なの? 山賊は嘘よ。 では、木こりかしら? あなた何かに使役されているでしょ? なんだかそんか感じがするわね」
僕は肩に樽を担いだ。彼女のせいで余計に食った時間は、取り返しのつかない時間のように思える。
ヘイグとふたりして、山の中で過ごした時も同じようなことを思った。彼はよく「俺から離れるなよ」と言っていたけれど、僕は君の手下じゃないんだ、って言い返してやりたいといつも思った。僕はいつだって奴隷の教義と共に生きている。僕は誰にも指図されない。本当は奴隷だって好きでやっていることなんだから。
「ねえ、どの道を行けば山を出られるの?」
「出られないよ」
「どうして?」
「きみが無許可で山へ入ったからだ」
「じゃあ、ヤヌザイとかいうのはどこにいるの?」
「西の方に行けば会えるよ」
「西ってどっちよ」
僕がゆびを指すと彼女はその方向を見た。
空を隠すほど鬱蒼としている山。背の高い樹木や巨大な羊歯植物や、太くて長いツル性の植物、腐った肉の臭いを放つ食虫植物や多肉の全寄生植物が生息している。
迷いやすい道ではあるけれど特別危険と言うことはない。
「そのヤヌザイとかいうのは西のどこにいるの?」
「畑だよ」
「畑で何をしているの?」
「畑仕事以外になにがあるって言うんだよ? ダンスでもしてるって言うのか? しつこいぞ、きみ! 僕は忙しいんだ!」
「あなた名前はなんていうの?」
「ハンスだよ、もういいだろ」
「そう、ハンス。 わかったわ」
彼女はそう言って立ち上がると、尻についた砂利を手で払った。尻を払い終えると、僕の目の奥を真っ直ぐ覗いた。今度は居心地が悪くなるということはなかった。僕の居場所は教義の中にあった。
彼女は背を向けて生い茂った山道に入っていく。足下を確かめるようにゆっくりと。
彼女は空を飛べないのだろうか。僕は背中の黒い羽を見てそう思った。




