やれやれ
アネモネは空に飛んで行って、シャキリはカバンの中に入って行ったまま出て来なかった。
僕は気狂いのハンバーグに睨まれて、思うように体が動かせなかった。ハンバーグはそんな僕を見てヘラヘラと笑いながら近づき、鼻が触れ合うぐらい顔を寄せた。彼は口を開けて呼吸し、僕の顔に生暖かい息をかける。
「ルナールの手先め、奴の居場所を吐いて貰うぞ」
「すみません、知りません。ええ、どうもどうも」
そう言ったのに、ハンバーグは嘘を吐いていると思っているのか、僕の顔を舐めるように観察し、まったく煮え切らないと言った表情で舌なめずりをする。
ハンバーグを狙っていた賞金稼ぎたちは、遠巻きに僕とハンバーグの様子を伺っていて、誰も僕を助けようとしないどころか、モクを始める者や賭けを始める者までいた。賭けとはつまり、僕が殺されるかどうかだ。
とどのつまり、彼ら賞金稼ぎたちは、ハンバーグには勝てないと諦めてしまっているのだ。その事実に気付いた僕は、もう青ざめるしか無い。こんな状況になってしまっては、彼から逃れられる術は皆無と言っても過言では無く、八つ裂きにされることは請け合いだ。
僕は物流ターミナルからモノクルが飛んで来る光景を夢想する。しかしそれは無想でしかなく、このような状況になってまた改めて思ったのは、不幸に直面すれば良いイメージどころか悪いイメージも出来なくなると言うことだ。
「さあ、吐きやがるんだ。ルナールの居場所をなあ!」
「すみません、知りません。ええ、どうもどうも」
気狂いのハンバーグは僕のを胸倉掴んで、鼻に噛みつこうという勢いで怒鳴った。
「知らないわけが無いだろう、ええ! そうだろ、ええ! ええ! てめが俺のナッツを砕こうとしやがったんだからなあ! どういう了見だ! ええ!」
僕は気狂いのヒトたちは何故こんなにも記憶の捏造を始めるのだろうと考えた。僕は別にハンバーグの股間を潰そうだなんて思ってもいなかったし、蹴り上げたのもアネモネで僕はまったく関係ない。
それにアネモネがハンバーグの股間を蹴り上げたのも、元はと言えば彼がアネモネの立派な羽を切り落とそうとしたからで、もちろん僕個人の至って主観的なモノの言い方になるのだけれど、僕ましてやルナールとかなんとか言うヒトはまったく関係ないでは無いか、と僕は思う。
「すみません、知りません。ええ、どうもどうも」
僕はアントンファマァの飼い主だった中年男のことを思い出して、ハンバーグに対して出来るだけ真摯に対応してやろう、なんてことを考える。
けれど、もしハンバーグが僕の体に指一本でも触れれば、やはりあの中年男のように地面を這いずり回って助けを乞うことになるかも知れない。幾らか格好悪くはあるけれど、命より大事なモノは何も無いのだから。
ハンバーグは僕の頭の先から爪先までを精察する。彼のそういった行為は、僕を不安な気持ちにさせる。もしかした自分の体に何かしかのささくれのようなモノがあって、彼は僕のささくれのようなモノを捲ることでルナールに関する情報を引き出そうとしているのかも知れない、と。
けれど僕は本当に知らないのだ。ルナールなんてヒトは本当に知りやしない。でもハンバーグからは、僕のささくれを血が出るまで毟ってやろうといった気概が伺える。
「俺は騙されんぞ、ルナールの手先めが!」
「知りませんとも、ええ。僕は本当に知りやしませんので、ルナールとかなんとか言うヒトのことは他を当たってください」
僕が言うとハンバーグは訝しむように眉を顰める。
訝しむと言うのは僕の当て水量なのであって、もしかするとハンバーグはいよいよ僕がうんざりし掛けていることを察知したのかも知れない。そう考えてみれば僕にも思い当たる節があって、先程から確かに恐怖などの感情は微塵も無く、寧ろ度重なる狂人との出会いに疲弊していると言った方が要領を得ている。
ハンバーグは鼻の頭を掻いて「最後にもう一度聞いてやる。ルナールはどこだ?」と僕に問う。
僕はなんとなく、であるけれど、もう殺すなら殺してみやがればいいさ、くらいの気持ちになっている。そして心なしかハンバーグも、そんな僕を殺すのは忍びないと言った風なのが少し可笑しかった。
ハンバーグは言う。「本当に知らないのか?」
「知りませんとも」
「そうか、それはすまなかったな」
「いえ、いいのです。なにせあなたは股間を潰されそうになったのですから。痛みが酷ければ卵の卵殻膜に唾を塗って貼り付けておくと良いかも知れません」
ハンバーグは己の股間を何度か揉んで「大丈夫だ」と言う。僕は「それはよかった」と言う。
そして、僕はこのまま大過無いことを願って、出来るだけ穏やかにお別れの挨拶が出来るよう努めるつもりだった。
「ところでルナールと言うヒトは何者なんです?」
「カネだ」ハンバーグは言って、人差し指の爪でこめかみを擦った。「俺にとっては……だが。簡単に言うとだな、ヤツの首には一生遊んで暮らせる賞金が掛かっているわけだ」
「へえ、それはそれは。では、オッカムの賞金稼ぎのヒトたちは皆挙って、そのルナールとかなんとか言うヒトを狙っているのですね」
「それは間違いだぜ。正しく言うとだな、俺みたいな賞金稼ぎはヤツを狙っている、だな」
「なにか違いが?」
ハンバーグは舌をベロベロと出して、目を剥いた。今となっては彼の悪人面も幾分か滑稽に思える。
僕はアネモネがそうするように、彼の目の奥を覗いて先を促した。しかし、ハンバーグはその意図が分からないようで、何時まで経っても言葉を紡ごうなどとはしなかった。僕は仕方無く、教えを乞う従者のように「ほえぇ、それはなぜです!?」と、大袈裟に声に出した。
ハンバーグはどこか満足気に口の端を曲げた。「ヤツを狙うのは死ぬ覚悟があるヤツだけだ。この国で内乱が起きているのは知っているなあ? 知っているだろ?」
僕は首肯する。「理由はわかりませんけど」
「国は力を誇示したい、反乱軍は過ちを正したい。過ちと言うのは大陸ロゴスのことで、アダムスとデフォーのことさ」
「僕はそのロゴスがイマイチなんです」
「簡単な話さ、黒い鳥を因果から引き離したいヤツらと白い鳥をぶっ殺したいヤツらのぶっ殺し合いだぜ」
「それは西の小国アポロンの話でしょう? なぜこの国と関係があるのです?」
「クレヴァリージジイの罪だぜ、ヤツがロゴスを叩いて薄く引き延ばしたせいだ。ロゴスは今や誰でも羽織れる軽くて立派なベールに大変身を遂げたのさ。反乱軍の連中も本当のところはアダムスもデフォーも取るに足らないおとぎ話だと思ってんだ。反乱には何かしらの理由が必要になるからなあ」
「大陸創世記」僕は言う。
「大陸創世記」ハンバーグも言う。そして彼は言葉を続ける。「単純に説明するとアポロンにあった大陸ロゴスは教会に……ぬん、これも簡単に言うが国の元にあった……らしい。それがいつかアストロ派コウルス派、そして飽くまでも中立姿勢を取った教会シグナス派に分離した……とかなんとかあって、しっちゃかめっちゃかとして……最後はその……殺し合うんだ。後にコウルス派は消滅。教会はアストロ派に染まり、数十年の時を経た。そこでクレヴァリーの大陸創世記のお出まし……うん。ヤツがそれを出した途端に、思い出したようにコウルス派の残党が息を吹き返した……と言っても金や地位欲しさにベールを羽織った似非狂信者共だぜ。皆本当のところなんて知っちゃいないのさ」
僕は彼の言ったことが、理解出来ないやら、なんとなく理解出来るやらで、自分でもよく分からない方向に思考が飛んだ。それは例えば、ヤヌザイのことであったり、リスたちのことであったり、ヘイグや親方も、一番は羽馬に顔面を蹴り上げられたカーヴァーは無事なのだろうか、と言うことだった。
「アダムスというのは黒い鳥のヒトでしょう? ハンバーグさんの股間を蹴飛ばした彼女と何か関係があるんですかねえ?」
僕の問にハンバーグは頭を捻った。もちろん彼は知らないだろう。なぜかと言うと僕も知らないからだ。なんとなく気にはなっていたけれど、まさか、と言う気持ちの方が強い。それに多くはないけれど、鳥のデミなんて殊更珍しい存在ではない。ヤヌザイからアダムスとエヴァアの話を聞いた時も、彼は「ロゴスとしてでは無く、読み物としては必要な修飾だ」と言っていた。要するにクレヴァリーのインチキだって見方が妥当と言うことらしい。
ハンバーグはブロードの剣を固く握って「鳥のデミなんて多くは無いが少なくも無いしなあ……」と歯に詰まった粕を気にするような歯切れの悪い口調で言う。
そして彼は僕が思っていても有耶無耶にしていたことを口に出しそうにしていた。だからと言って何なのだって話なのだけれど、疑問を表に出すことで憂いがひとつ増えてしまいそうな気がする。彼女と会ったヒトたちは皆感じていたはずだ。
「そもそも、あれは……」
ハンバーグは言いかけて口を噤んだ。なにかを口から絞り出そうと喉を痙攣させている。なのに原因と結果の過程が消失したみたいに、彼は思っていることを上手く口に出来ないようだった。
「そもそも、あれは……」彼は再び言う。
僕は心の中で彼の言葉を継ぐ。ヒトなのか、と。
ハンバーグも恐らくそうしたことだろう。ヒトなのか。或いは、鳥なのか、と。
「話を戻しましょうか?」
ハンバーグは曖昧に返事をして頭を掻いた。ブロードの剣を口元に近付けて凝視する。
僕はなんだか嫌な予感をひしひしと感じる。いくら因果が捻曲がったとしても、ハンバーグは狂人なのだ。
「元の話ってのは何だったか……」いよいよ剣を舐り始める。いつか見た時よりも情熱的だった。ぺちゃくちゃと音まで立てて銀色に光る刀身は粘着質の泡に塗れている。
「いやあ、なんの話でしたっけねえ。僕も忘れてしまったようです。ええ、大変楽しいお話でしたよ。では、そろそろお開きにしましょうか」
僕は踵を返して、如何にも自然体でゆっくりとハンバーグの元から遠ざかる。ハンバーグがブロードの剣を舐るぺちゃくちゃと言う音は未だ続いていた。
「まて、小僧!」
「はい、なんでしょう?」倒伏寸前だ。
「思い出したぞ! 俺の股間を潰そうとしやがったヤツの話だ! そうだろ、ええ!」
僕はルナールの話だよ、と思いつつ、今度こそは例の言葉を口に出して言った。
「やれやれ」




