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マルシェ!マルシェ!マルシェ!

 アネモネは棘飾り大男の股間を蹴り上げて「おっかない!」と叫んだ。けれど、僕としては躊躇なく股間を蹴り上げた彼女の方がよっぽどおっかないと思えた。

 うつ伏せに倒れていた僕は、股間を押さえながらもんどりを打っている棘飾り大男を注視する。彼が着ている革の上着はトラバーチンの粕に塗れて白く汚れている。しばらく地面を転げ回ってから膝立ちになって、眉間に青筋を浮かせるとズボンを捲って股間を確認した。

 アネモネは二、三歩退いてから「わッ!」と声を上げ、勢い良く振り向いて走り出した。

 僕もようやく立ち上がって、手の甲で鼻を拭いた。血は出ていないようだったけれど、鼻の周りの皮膚がヒリヒリと痛んだ。


 棘飾り大男は「この腐れアマが! 誰に頼まれて俺の股間を蹴りやがった!」と表情を凄ませる。


 シャキリはやっとカバンの中から出て来ていつものように「うむ」と言って頷いた。彼は手には弩を握っていて、小慣れた手つきでハンドルを回していく。目一杯弦を巻いて、拳大の礫を臂の上に置いた。

 シャキリは棘飾り大男に狙いを定める。大男は一瞬怯んだが、ブロードの剣を再び構え直した。


「どうする、逃げるのか?」シャキリは棘飾り大男から視線を逸らさない。


「シャキリ撃ちなさい! それを撃ちなさい!」


 アネモネはシャキリに向かって叫んで、僕の後ろに隠れた。

 なんで彼女はこうも誰かとトラブルを起こしたがるのか、僕にはどうもわからなかった。それに僕自身も何故こんなにトラブルに巻き込まれてしまうのかわからない。 


 棘飾り大男は、それが彼特有の癖なのか、それとも彼みたいな人種の性質なのか、ブロードの剣を執拗に舐っていた。レロレロと動かす舌の速さを変え、首の角度を変え、様々にバリエーションを加えている。目だけが常に僕らを捉えていて、今にも斬りかかってきそうに思えた。

 白濁した唾液が幅の広い刀身を伝って、ゴツゴツとした岩のような手に流れた。棘飾り大男は気にも留めずに、夢中になって剣を舐める。


「おい、てめえら! 誰に頼まれて俺の股間を潰そうとしやがった! 言ってみな!」


「誰にも頼まれていないわよ! この気狂い!」


 棘飾り大男はニヤニヤと笑いながら、股間を弄繰り回した。上下に動かし、左右に動かし、正常な位置を確認しているような動作だった。


「この俺の二つ名を知っているとはな。そう、俺こそが気狂いのハンバーグ様だ! お前らやはり依頼を受けているな? ルナールの野郎か? ええ!」


 我々の辺りは騒ぎを聞きつけた野次馬で溢れていた。野次馬の全てが、気狂いのハンバーグと同じような人種だと思うと胃が痛くなった。

 野次馬は「ハンバーグハンバーグ」と何やら囁いている。どうやらハンバーグは結構な有名人なのかも知れない。そして時々「ルナール」と言う声も聞こえて来て、その声は「ハンバーグ」の時とは違って、なにやら噂めいた響きが込められていた。


「ルナールですって? 知らないわ、そんなヒト。気狂い、気狂い! くたばるといいのよ!」


「おい、アネモネ! 本人の前で悪口を言うんじゃあないと言ったはずだぞ!」


 アネモネは「気狂い気狂い」と繰り返した。

 ハンバーグは薄く目を瞑り、音を集めるように左耳に手を添える。顎を前に出したり、引いたりしながらリズムに乗ってステップを踏んだ。


「さいっこうの褒め言葉だぜぇ!」


 野次馬の輪はどんどん小さくなって、僕らを取り囲む。僕は覚悟する。つまり、なぶり殺されることをだ。ほんの四、五日の人生だったけれど悪くなかった、と無理やり妥協した。

 僕は短い人生を思い返した。初めに思い出したのは、維管束を毟ったことだ。僕は維管束を毟ったことを事細かに思い出す。そして舌の上で儚く溶けていく果実を思う。


「さあ、死んでもらうぜルナールの手先!」


 ハンバーグは大股で走って、僕らとの距離を詰めた。巨体が地面を踏み込む度に、トラバーチンが削れて白い埃が散った。

 シャキリが飛礫を放ったが、ハンバーグは軽やかに体を逸らして避けた。シャキリは舌打ちをして、弩のハンドルを巻いた。


「おい、シャキリ! 悠長に巻いている暇はないぞ!」


 ハンバーグはシャキリに向かって突進する。糊に塗れた舌を出して「踏み潰してやるぜぇ!」と吠える。

 シャキリは諦めたように「うむ」と言って、カバンを頭から被った。カバンは、はらりと萎れて、地面の上で項垂れる。


「ふん、ふん、ふん!」ハンバーグがシャキリのカバンを踏みつける。「潰してやったぜ、ルナールの手先めが!」


 輪がハンバーグを中心にして小さくなった。僕は背後から肩を掴まれる。僕は仰ぎ見た。モノクルを着けた騎士のようなヒトがハンバーグに視線を据えていた。彼だけで無く、輪をつくっている野次馬は、それが当然であるかのようにハンバーグだけを見ている。

 僕とアネモネはどんどん後ろに追いやられていった。


「なんだあ? てめえらもルナールの手先か?」


 モノクルは刺剣を胸の前で構えて「これはたまげた。一〇〇〇スペンスが口を聞いたではないか」と、冗談交じりに言った。


「誰のことだ?」ハンバーグは首を傾げる。


 野次馬たちは一斉に抜刀する。そして皆ハンバーグと同じように、それぞれの武器に舌を這わせる。


「てめぇのことさッ!」誰かがそう叫ぶと、野次馬たちはハンバーグに飛び掛かった。ハンバーグを中心に人混みが出来て、それぞれが押し合い圧し合いながら武器を振るっている。

 ハンバーグは力を滾らせるように身を屈めて、解放するように立上がった。「ガーッ!」と咆哮して両腕を広げると、彼を囲んでいた野次馬たちは四方に飛ばされた。


 モノクルは一人だけでハンバーグと対峙する。彼だけは武器を舐ったりなんかはしなかった。例の格好で静かに呼吸をしている。そんなモノクルを見て僕は少し安心する。


「さあ、差しの勝負だ。私が相手をしよう」モノクルはそう言って、トンタタン、とステップを踏んだ。


 ハンバーグは「叩き斬ってやるぜ!」とブロードの剣を舐る。


「マルシェ! マルシェ! マルシェ!」斜に構えたモノクルは三歩分の距離を詰める。そして「ヴォンナヴァーン!」と叫んで、勢いよく前に飛んだ。ハンバーグの懐へ一気に飛び込んで「ファンデヴ! ファンデヴ!」と、刺剣で二回突いた。

 ハンバーグは軟体動物のように巨体を翻してモノクルの刺突を避ける。


 モノクルは自嘲気味に吹き出して「一〇〇〇スペンスの分際で私の剣を避けるか……」と、また例の格好で言う。


「合点がいったぜ。俺に懸賞金が掛かってるんだな。一〇〇〇スペンスなんて安く見られたもんだ。俺様は最凶の賞金稼ぎ! 気狂いのハンバーグ様だぞ!」


「ふっ……。虫けらが」モノクルは静かに笑う。


 僕らはなんとなく蚊帳の外だ。発端はアネモネだったのに、良くわからん気狂いや、金に目が眩んだ賞金稼ぎたちで勝手に盛り上がっている。

 今すぐにでもこの場を離れたかったのだけれど、アネモネは僕の肩を揺さぶって「一〇〇〇スペンスがあればお金が返せるわよ」と言う。

 僕は「やれやれ」と言って、言葉を続ける。「ハンバーグには勝てやしないよ。見てみろよ、あんな巨体で鋭い攻撃を避け続けているんだからね。僕らが束になっても勝てないよ」

 我々がそんな話をしている間も、気狂いのハンバーグとモノクルの戦いは続いている。


 モノクルは深い息を吐いて「そろそろ終わりにしようか」と言う。


「終わるのはてめえの命のことか?」


「ヴォンナリエール!」モノクルは華麗にバックステップを決める。そして切先で円を描きながら間合いを測る。

 ハンバーグは「斬り殺してやるぜッ!」とモノクルに斬りかかる。

 タイミングを計っていたモノクルは「マルシェ! マルシェ!」と二歩距離を詰めて「フレェッシュ!」と叫んだ。地を這うように跳躍して、刺剣を前に突き出した。モノクルの狙いはハンバーグの喉元だった。切先一点に力が集中した刺突は鋭く早かった。ヒトの反応速度も優に超えていそうだ。


 しかし、モノクルの攻撃はそこまでだった。どう言う具合でそうなったのかは知らないけれど、完全に捉えたと思われたモノクルの一撃はハンバーグに掠りもしなかったようだ。

 ハンバーグは「斬り殺す!」と怒号を上げると、左腕を振りかぶり、モノクルの顎に岩のような拳を叩きつけた。

 モノクルは「ぼふぇ」と声を漏らす。唾液と血液と欠けた歯が四散した。彼は抗う術も無く、勢いそのままに「ぼふぉ」と、落下防止の手摺に激突する。上半身が手摺を乗り越え、重みで足が上へ振れる。モノクルは真っ逆さまに物流ターミナルへ落ちる。地面に叩きつけられた音が妙に虚しかった。


 ハンバーグは拳に刺さった、モノクルのレンズを指で摘まんで地面に捨てる。そして彼は僕らに向き直る。


「股間のお返しをしてやるぜッ!」


 アネモネは「ヒィ」と悲鳴を上げて、黒い羽を羽撃かせた。

 僕が「やれやれ」と言う暇も無く彼女は高く飛んで、薄情にも空へと逃げていった。

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