アルファルファ
我々は幾つかの山を越えて凡そ三日三晩歩き詰め、ようやく交易が盛んな街オッカムの気配を感じ始めた。と言うのも、山越えの道中に二、三の町を過ったのだけれど、オッカムのある東に進むに連れて人も動物もモノも、道端に生えている雑草でさえも元気活力に満ちて見えるからだ。
アネモネはアントンファマァ事件の直後、しばらく機嫌が悪いようだったけれど、段々と活気づき始める町並みや山道、街道の楽し気な雰囲気に充てられたのか、今はもうすっかりと機嫌を直し、時々下手な鼻歌を謡いながらスキップか何かをしていた。
シャキリも同様に事件直後も機嫌が悪かった。アネモネと違うところと言えば、シャキリは彼女ほど単純には出来ていないと言うことだ。シャキリは、あの気狂いな中年男から別段何かの危害を加えられたと言うことは無いはずだけれど、何をそんなに怒る必要があるのか、いつまでも口を閉ざしたまま、僕の言葉に返事すらしやしなかった。
夜を迎えてキャンプを張るのに具合が良い場所を探している最中、小規模キャラバンなんかが泊まる、切り出した木を基調としたモーテル群が現れた。大きな馬や牛たちが干し草を食べていて、アネモネはそんな彼らを見て「あんなモノをむしゃむしゃとやって美味しいのかしら」と独り言のように言った。シャキリはそれに「アルファルファ」と言った。アネモネはそれに「へえ」と返事をして「美味しいのかしら」と言う。シャキリは「いや、知らん」と言った。
僕はシャキリに「キミもアルファルファを食べるといいよ」と言った。シャキリはもちろん返事をせずに、仮面を上下に揺らしながら歩いていた。アネモネは「なんでシャキリがアルファルファを食べるのよ」と、発音し辛そうに唇と舌をぎこちなく動かしながら言う。
僕は「奴さん、アントンファマァの時みたいに馬や牛を殺しかねないからなあ」と冗談を飛ばしてみたのだけれど、シャキリの反応は特に無く、アネモネも何か言いたそうに肩を上げるだけで、直ぐに僕から視線を外して下手な鼻歌を始める。そんな彼女らを見て、僕はもう肩を竦めるしかなかった。
モーテル群を抜けてしばらく歩いて行くと、切り株が並ぶ場所を見付けた。僕らはその脇へ申し訳程度にタープを張って、ティピーテントを立て、シャキリが用意した夕食を食べた。メニューは白身魚の塩漬けと根菜のピクルスとライ麦のパンだった。
シャキリは夕食を終えると、大きなカバンの中に上半身を突っ込んで数十個のレンガを取り出す。それを窯の形に積んで網を置き、さらにその上にレンガを規則的に積んだ。
再びカバンの中へ上半身を入れて、アントンファマァと思われる肉塊を取り出す。それを一口大に細かく切って網の上に並べて置いた。他にもキノコや、夕食に食べた白身魚の塩漬けなんかを網の上に乗せて、最後にレンガの燻製器の天端を木蓋で閉じる。続いて袋詰めにされたスモークチップと金属板を曲げて作った器を出した。
アネモネは夕食を摂って直ぐにタープテントの下に横になっていて、僕が気付かない間に寝息を立てながら例の格好で眠っていた。僕は欠伸も程々に、てきぱきと燻製の準備をするシャキリの様子を見ながら転に落ちる瞼を擦る。
シャキリは僕の様子を見て「寝ろ」と言った。僕は「うむ」と言って切り株に凭れた。
窯の中に薪を並べたシャキリは頷いて、ズボンのポケットから火打ち石と透明な液体が入った瓶を出し、並べた薪に液体を少しずつ散らしていく。その後火打ち石を鳴らすとボウッと燃え上がった。
「へえ、たいしたもんだ」僕が言った。
シャキリは首を捻った。
「僕はいつもランプを使っていたんだ。瓶の中に火を閉じ込めてあるアレだよ」
「ふむ」シャキリは言った。燃えた薪の上にスモークチップを入れた金属の曲げ物を乗せる。「この水は地下水だ。火がよく燃える不思議な水だ」
僕は「へえ」と言って「シャキリの国では有名なモノなのか?」と質問した。
「いや、これはたまたま手に入れたものだ。普段はランプを使っている」
「へえ」僕は再び言う。それからしばらく目を閉じて、もう一度質問した。「シャキリの国ではどんなモノが有名なんだ?」
「今は多肉の野菜とか黒い水」
「黒い水?」
「よく燃える不思議な水の元だ。最近発見された」
シャキリはポケットからナッツを取り出して、燻製器の蓋を開ける。密度の高い白い燻煙がモクモクと上がって、僕は我慢出来ずに手で払った。シャキリはナッツを中へ入れると、燻製器の天端を急いで塞ぐ。
「へえ、よく不思議な水が埋まっていることが分かったな」
「偶然。自分の国は干ばつが酷くて、国を挙げて地面を掘ってたんだ」
「地下水を探していたのか?」
「雨を呼ぶ動物だ」シャキリは首を横に振りながら言った。「雲を呼んで雨を呼んで嵐を呼ぶ動物だ。地面からそいつを探し出す、大地に潤いをもたらす為に」
「ヒヒのことか?」僕がそう言うと、シャキリは首を傾げて「ヒヒは違う。たぶん」と言う。
僕はヤヌザイの山で見たヒヒのことをシャキリに話して聞かせる。話が回りくどくなるので、彼らと戦ったことは言わないでおいた。出来るだけ簡潔に、彗星の尻尾のように率直に話した。シャキリは「ふむ、ふぅむ」と僕の話を聞いて、時々僕に質問し、僕はそれにもやはり例のように簡潔に答えていった。
「そのヒヒはどのくらい雨を降らせるんだ?」
僕は「まあまあ」と答えて、その雨の量を身振り手振りで説明した。シャキリは「全然足りないな」と言って、燻製器の蓋を開けて中を確認して、直ぐに蓋を閉める。
「自分の国はそんな程度では潤わないな、もっと沢山の雨が必要だ。そうしないと作物が育たない」
「作物が育た無いなら他所の国から買えばいいじゃあないか」
「お金が無い。売るモノが無い。だから国を挙げて雨を呼ぶ動物を探して、国を挙げて兵士を輸出して、その費用を捻出している」シャキリはそう言った後に付け加える「自分は個人的に雇われ兵士をやっている」
僕は難しいことがよくわからないので「へえ」と言う。「その雨降らしの動物はどんな感じでなんて名前なんだ?」
シャキリは「長い動物」と言う。僕は「ふぅん」と言い「名前は?」と聞いた。彼は「いや、知らん」と言った。僕は「なるほど」と言い、大きな欠伸をした。
「国にはもう地面を掘るお金が無い。自分はしょうがないから国を出たんだ」
「国に売られる前に?」僕は聞く。シャキリは少し考えて「うむ」と言った。
僕は再び大きな欠伸をして、切り株に預けていた体を起こす。シャキリは僕に「寝ろ」と言う。
彼は燻製器の木蓋をもう一度開けて中を確認したあと無言で頷いて、カバンから木の器と銀色のコップを取り出し、それらを切り株の上に置いた。仮面の位置を両手で整えて、燻製器の中から木の器へナッツを移した。
彼は仮面の顎を持ち上げて、ナッツを唇に挟む。いつ見ても真っ白な肌で、唇も薄いピンク色をしていて、なんだか健康的では無いな、と僕は思う。ナッツを噛み砕いて、奥歯で磨り潰したシャキリは満足そうに「うむ」と言った。
僕は木の器からナッツを一粒貰った。シャキリは銀のコップを持ってカバンの中へ入って行き、次に出てきた時にはコップがジュワジュワと音を立てていた。
僕はシャキリの顔を押し退けてコップの中を観察し、匂いを嗅いだ。
「この匂いは麦酒だ。僕が知っているモノよりジュワジュワしているな」
シャキリは「最近の麦酒は瓶に詰めるんだ。樽よりも品質を維持出来る」と言う。そして、麦酒を一口飲んで「お前もやるのか?」と銀のコップを目の前に掲げた。
僕が「いや、いらん」と言うと、シャキリは「うぅむ」と言った。
「熱い地域には麦酒だ、旅と言えば麦酒だ。麦酒は清潔な飲み物なんだ。下手な水を飲むよりも清潔で良い」
僕は酔っぱらう為の口実だろうと思ったのだけれど、もちろん口に出すことは無かった。そして三度目の大きな欠伸をする。
シャキリはやはり「寝ろ」と言う。僕は「うむ」と言う。それでもなかなか寝付かなかったので、シャキリは麦酒の入っている銀のコップを僕に渡して「一気に飲め」と言った。僕は一気に飲んだ。思っていたよりも苦く無く渋く無く、どちらかと言えば甘さがあり、まろやかで軽やかだった。それでも特別美味しい訳では無く、はっきり言ってしまうと不味い部類だ。僕が思わず口から吐き出すと、シャキリは「……うぅむ」と唸った。
僕の足元には白く粗い泡が立って、まるでションベンの後のようだ。僕はそれをシャキリに説明して同意を求めた。シャキリは「うぅむ」と唸った。
彼は僕に麦酒を飲み干すように言った。僕は迷わずに飲み干し、コップを空けた。シャキリは僕の肩を叩いて「うむ」と言い「寝ろ」と言った。
僕は「うむ」と返事をしてアネモネの隣に並んで眠った。




