オッカムへ
高原に立つ、翼果の実る樹木の傍らで夜を明かし、目が覚めた頃には夜の底が白んでいた。朝霧は空気を冷やし、足の長い株立ちの芝に露を降ろしている。
アネモネは微かな鼾を掻きながら仰向けに寝ている。毛布代わりにしている黒い羽を鼻の頭まで被って器用に寝ていた。ヘンテコな格好ではあるけれど、理には適っている、と僕は思った。
目の先には岩肌が瘤のように露出しており、その頂上にいるイワトビトカゲは朝日が出るのを、ジッと待っているようだった。
翼果の木の枝葉の隙間に黄色く光る玉が二つ並んでいる。霧で白んだ背景に溶け込んでいたのは、体が丸いフクロウだった。フクロウは羽を大きく広げる。おそらく僕の背丈ほどはある。しかし、アネモネの羽と比べれば、少しコンパクトな印象だった。
フクロウは姿勢を低くして、朝日から逃げるように木から飛び立った。
僕の腹が鳴った。しばらくまともに食べていないことを思い出した。一番近い食事と言えば、ヘイグが捕って来たケモノ臭いシシ肉だ。彼には悪いけれど、まともな食事だとは言えない。
食べ物を探そうと体を起こした時に、何かが旗めく音がした。僕は群青色の空を見上げる。縺れ合った歪な塊が、激しく宙を羽撃いていた。
フクロウの羽の付け根にイワトビトカゲが噛みついていた。イワトビトカゲの後ろ足は異様に発達していて、全長の倍は有りそうな後肢は、僕の前腕と同じくらい太かった。
空中で暴れるフクロウに逆らわず、全身を脱力させている。後肢は干した布のように力なく垂れていた。
フクロウはやがて力尽きて墜落する。地面をのたうちながら、両翼で風を起こした。イワトビトカゲは後肢を利用して何度も跳ね上がり、フクロウの体力を奪っていく。
大きな両翼を持つ猛禽類は無慈悲に地を引きずられながら、プォウプォウと鳴いている。突き出した岩の隙間に今にも引きずり込まれようとしていた。
僕は特に気を付けることも無く、静かな攻防を繰り広げる彼らの傍に寄った。フクロウはどうにも動くことが難しいだろうし、イワトビトカゲは獲物に夢中になっている。なによりも僕の腹の虫が注意力を奪っていた。
岩の隙間に体を半分引きずり込まれたフクロウは、折れ曲がった短い嘴を、カチカチ、と鳴らしている。僕はフクロウの首根っこを掴んで引っ張った。重い手ごたえは一瞬だけで、あとは芋を引っこ抜く時のように、ズルリと一息に持ち上がった。
直ぐにフクロウとイワトビトカゲを引き離す。羽の付け根を怪我しているフクロウを岩の上に乗せた。どうせ逃げられやしないだろうから、絞めるのは後でも良いと思った。それが間違いだったのか、僕が手を離した瞬間にフクロウは静かに羽撃き、音も無く飛んで行ってしまった。
けれど僕には茫然も自失もありやしない、なんたって大きい鳥がただ空を飛んで行っただけだ。そんなものは良く見る光景であって、なにも悔しがることでは無いのだ。
僕はイワトビトカゲの後ろ足を握る。ゴム質の鱗は分厚くて冷たかった。イワトビトカゲは後肢を波打たせて、僕の手から逃れようとしていた。僕は構わず岩に叩きつけた。
「むごたらしいことをするのね」アネモネは僕の肩越しにイワトビトカゲを覗き込んだ。
「でないと捌き難いからなあ、少し寝てもらうんだよ」
「寝てもらう?」アネモネは肩を回して、首をマッサージする。
「暴れられちゃあ困るからな」
イワトビトカゲは痙攣する。切り口のような目から、涙が零れた。涙は次第に粘性を帯びて、血の色が混じる。
アネモネは鼻を鳴らして、大きな欠伸をした。彼女は睡眠からの覚醒が異常に早く、欠伸を終えると直ぐに何時もの表情でストレッチを始める。
「火を起こした方がよくって?」アネモネが言う。
僕はかぶりを振る。「火花は起せても、燃やせるものが無い」
「木があるわ。 枝を貰いましょう」
「ダメだよ。 それに木はたくさん水分を含んでいるんだぞ、燃えやしないよ。 樹皮なんかを削ってもいいけど、裸にするみたいで忍びないしなあ」
僕は腰に提げた巾着に手を入れて、中身を掻きまわした。手に触れるのは、リーフコーラルだけだ。僕のナイフはヤヌザイの山に置き去りにした樽の中だった。
僕は捌くのを諦めて、もう一度イワトビトカゲを岩に叩きつける。右足の股関節が外れる。次に膝の関節を外す。左の後肢と前足の脇辺りを掴んで左右に引っ張ると、枝を踏んだ時のような音がなる。
僕は腰に巻いていた紐を外して、イワトビトカゲの足を結んだ。関節の外れたイワトビトカゲはヒトのようなシルエットでぶら下がっていた。足が真っすぐ伸びて、とても良い姿勢だ。
「ここから一番近い町はどこかしら?」
「ちいさい町だとワルチャカかなあ。 大きいとこだとオッカムだ」
「オッカムにはなにがあるの?」アネモネはイワトビトカゲの両足を指で摘まんで遊んでいる。
「知らないな、行ったことが無いからな。 とにかく大きい街だ、ヒトとモノが集まる、うんと大きい街だ」
「では、オッカムへ行きましょうよ、ハンス。 もう野宿は嫌よ、寒いったらありゃしない」
「君はお金を持っているのか? お金がないと、屋根のあるところで寝れやしないぞ」
アネモネはクレヴァリー大陸創世記が入った布のカバンをゆび指して、よこせ、と言うように顎をしゃくる。僕はアネモネにカバンを渡した。
彼女は不慣れな手つきで布を解いて、大陸創世記の頁を繰った。挟まれていた紙幣を僕の顔の前に突き出した。
「おい! それは泥棒だと肉の時にも言ったはずだぞ!」
「いやね、ハンス。 ヤヌザイが貸してくれたのよ」アネモネは口を尖らせた。
「ふん! それならいいんだ。 君は昨日肉を泥棒したからなあ、疑われても仕方がないんだぞ」
僕はアネモネに、握っている紙幣を寄越すように言って、手を出した。アネモネは僕の手を払い退けて、体を小さく丸めると、紙幣を数え始める。どこかから硬貨がぶつかる音がした。
紙幣は全部で一〇枚程あるようだった。五〇スペンス紙幣が一枚と、二〇スペンス紙幣と一〇スペンス紙幣が二枚ずつ。それに一スペンス紙幣が六枚。
アネモネは顔を出した朝日に紙幣を透かす。「全部で一一六スペンスあるわよ」
「レントをネコババするんじゃあないぞ! たしかにカチャリという音が聞こえたぞ」
「レントは問題ではないのよ、端したお金よ」
「ヒトから借りておいて、酷い言い方をするじゃあないか。 この泥棒め!」
「まあ、ヒドイ人よ。 野宿するといいわ」
アネモネは反省する様子も無く、大陸創世記に紙幣を挟んだ。布を同じように、不器用な手つきで結んで、僕に向かって放り投げる。僕はそれを一度傍らに置いた。イワトビトカゲを結んだ紐を腰に巻き直す。左の脹脛の辺りに、イワトビトカゲの頭が何度かぶつかった。布のカバンを肩から提げて、一度だけ大きな欠伸をした。
僕は昨日の今日で酷く疲れているようだ。腹の虫も忘れた頃にやって来た。彼女も同じなのか、時々腹を擦っている。
「一先ず向こうの山を越えよう」僕は言う。
彼女は「ええ」と返事をする。
「いや、最初に薪でも集めるか。 僕の腹の虫が騒いでいるんだ。 ナイフも無いし、この際皮ごと焼いてしまおう」
「あなた、畜生とおなじよ」
「違うよ、アネモネ。 これは好奇心だ」
アネモネは無表情で「そうね」と答えた。
僕たちは西の山に向かって歩き始めた。朽ちた廃城も、ヤヌザイの山も、どこにも見えやしなかった。当面はオッカムに向かって進み、その後のことは後で決めれば良い。それがアネモネの流儀なのだから、僕もそれに倣えば良いのだ。
朝日は僕の目の前に薄くて長い影を落とす。昨日までと違ったところと言えば、影が二つ並んでいることだ。




