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アネモネ

  バンネン樹の若木は、西に向かおうとする我々の行く手を阻むように山道に林立する。ぬかるんだ地面がヒビ割れて盛り上がり、地中の乾いた土が顔を出した。ヒビの隙間から雨水は流れ、乾いた土は直ぐに水気を帯びて重い色に変わった。

 こんなにもバンネン樹が密集したら大変なことになる、と僕は思った。そうなれば彼らは上手く共生するのか、もしかしたら限りある大地を取り合い、互いに反発し、押合いながら窮屈な一生を送るのかも知れない。

 僕がそんな風に考えを巡らせていると、フィッツはバンネン樹の若木の根元を掻き始める。「なにをしているんだ?」と僕が聞くと、彼は山鳥のような声を出した。


「フィッツはなんと言ったんだ?」僕は彼女に聞く。


 彼女は大袈裟に肩を竦め「鳥を捕ったら羽を剥いで血を抜いてから焼いて食べるでしょう?」と言う。彼女は不必要な要素から正解を導く癖がある。


「でないと畜生と同じだ」


「そうね」


「ちっともわからないぞ」


「欲張らないことと与えることは裏表よ。 知恵があれば事情はこじれてしまうのよ。 あたしは今、彼を見てそう思ったわ」


「わからないよ」


「とうぜんよ。 ハンス、あなたは自分で確かめたことしか信用しないのだから」


 フィッツはバンネン樹の若木を掘り返して、次々と倒していってしまった。なにか事情があるらしいのだけれど、僕にはわからない。山の秩序というものだってもちろん。ニンゲンの僕には到底理解できないほど鬱蒼と茂る山のようなものなのか、もしかしたもっと単純で石の裏のようなものなのかも知れない。

 どちらにしてもだ。彼がそうすることで何かが起きて、或いはそうしないことでも何かが起きるのなら、僕はやはりリスたちが正しいことを信じる。それが例え裏表なのだとしても。


 山道の脇には我々の様子を見ているヒヒたちがいる。彼らは僕らの傍らで突っ伏しているヒヒの親分を取り返そうとしているのかもしれない。

 僕は彼女とフィッツに了解を取り、立ち尽くすヒヒたちを手招いた。何故なら僕はもう疲れていたし、軽傷とは言え体の表面は赤い血に塗れている。風が吹いただけでヒリヒリと痛みだすのは、やはり気分がいいものでは無い。そういう血生臭い憂いから出来るだけ早く解放されたかった。それに勝気な彼らがこちらへ向かって来ないというのは、もう我々に降伏しているという証明なのでは無いか、と思ったからだ。


 彼らは何か相談し合い、やがて二頭のヒヒがゆっくりと歩き始める。その動きには、僕らを刺激しないための配慮が為されているように思われた。灰色の毛を持ったヒヒは親分を、褐色の毛のヒヒは力尽きて倒れた仲間をそれぞれ抱える。彼らは目的を果たすと直ぐに踵を返して仲間の元へ帰って行く。

 親分たちを回収した彼らは、一斉に、ホウホウホウ、と笑い始めた。いつも通り歯茎を剥きだして粘膜を露出させる。彼らのそれには、親しみこそ籠ってはいなかったが、そこには敵意も込められていない。愛想のある笑いではあったけれど、それでも彼らの笑いは不気味だった。


「気味が悪いわ」彼女は短い袖から伸びた腕を擦りながら言った。


「僕らも行くか」


 フィッツは僕の頭の上に乗り、彼女は「ええ」と返事をする。


 気が付かない間に日も傾いて、斜陽が作り出した木漏れ日も幾らか淡いオレンジ色をしていた。普段なら食事の支度をしている時間だったけれど、今の僕には焦りの気持ちは全くと言っていいほど無い。オリの実が入った樽のことも、オリの実からオイルを抽出することも、もちろん食事の支度をすることも、それらは今の僕から遠く離れた何処かの町で犬が吠えることと何ら変わりはしなかった。

 今日は親方が帰って来るとヘイグが言っていた。たしか四日ぶりかそこらだったが、たぶん数人の奴隷を伴って来るのだろう。みんな直ぐに売られていくけれど、あの城に居る間は家族みたいなモノだ、と親方は言っている。もしかしたら詭弁なのかも知れない、なんて思わないわけでは無い。なにせ親方はきな臭い奴隷商人で疎まれ者だ。奴隷を使役して売り飛ばす極悪人なのだから、デタラメばかりのインチキ人間であっても不思議は無い。

 しかし大事なのは、僕は僕で、親方は親方、と言うことだ。いくら中身が挿げ変わろうと、その事実は変わらない。永遠にだ。僕の根幹には親方があって、そこに不確定な要素が飛び込んで来たとしても揺るぎはしない。僕らは共に同じ枷に繋がれた共同体のようなモノなのだから。


 ヤヌザイは僕が持ってきた腐葉土を、黒く煤けた焼き畑に撒いていた。僕が彼に声を掛けると、一瞬驚いたように眉を顰める。彼は腐葉土が入っている袋をその場に置いてこちらに向かって歩いて来た。


「ひどい傷だ」彼は毛むくじゃらの手で僕の腕を取り、傷をまじまじと眺めた。


「平気さ。 全部皮膚の表面の傷だ」


「痛みがひどいならヤミガオの根があるぞ。 ついさっき煎じたものだ。 ジェラルドに飲ませたものの残りだが」そう言って、農工具が置いてある小屋をゆび指した。


 僕は「問題ない」と答える。フィッツは僕の頭の上から飛び下りて、小屋の方へ駆けて行き、傍らに積まれた丸太を登る。どうやら元ジェラルドがそこで寝ているようだ。


 僕は粗方の顛末をヤヌザイに聞かせ、彼は僕の話を聞いている間、彼女の方を見ようとしなかった。怒っているのかも知れないし、恥ずかしがっているようにも見える。


 大体の話が終わりそうな頃、彼は意図したように立ち上がって畑を移動する。彼はティシニオルと言う名前の野菜の前で座り、葉の裏を点検する。

 ティシニオルは茎から発泡したような実がなる緑の野菜だ。数回食べた事があるけれど、僕の口には合わなかったと記憶している。


 ヤヌザイが言う。「羽馬の堆肥は出来たか?」


「必要なのか?」


「直にコイツを追肥してやらないといけない。 味の決めてだ」


「もうすぐ出来るよ。 必ず届ける」


「約束はしなくていい」


 彼はまた立ち上がり、元リス・ジェラルドが寝ている丸太の方へ歩いて行く。僕もそれについて歩いた。


「あの子がね、空が落ちて来るって言うんだ。 聞いたことは?」


 ヤヌザイは彼らを手の上に乗せて僕に渡す。そのあと、丸太を肩に担いで、また畑の方に戻って行く。僕は彼らを丸太の上へ置いた。元ジェラルドはぐっすりと眠っている。


「クレヴァリー大陸創世記には書かれていたな。 俺はホラだと思うが」


「僕は本当だと思うんだ。 いつか見てみたいもんだ」


「なら奴隷を辞めるしかない。 つまり…… 旅をするならだ」


「辞め方がわからないんだ」


 ヤヌザイは丸太を畑の脇に下ろした。丸太はシロップの木で、そこかしこに穴が開けられている。


「使役ってのはな、必ずしも上下関係では無いんだ。 先に言っておくが、これは大陸創世記に書かれていたものだ。 信じる信じないはお前に任せるよ」


「デタラメの可能性がある」僕は言う。


 ヤヌザイは「ああ」と言って、手を叩いた。


「つまりだ、ハンス。 クレヴァリーの言葉を借りるなら、使役と言うのは一方的な関係では無く因果的な関係だと言える」


「ヤヌザイとこの山みたいに?」


「或いは、この山と俺とみたいに」ヤヌザイはそう言った後に言葉を続けた。「使役、つまり何かに働きかけるという事は原因を生み出すと言う事だ。 原因の先にあるものは必ず結果で、結果の前にあるのは必ず原因なんだ」


「言い方がヤヌザイらしく無いな」


「クレヴァリーはこんな物の書き方をするんだ」


 黒い羽の彼女は、石垣で区画された場所に腰を下ろして、何かを観察している。ヤヌザイは彼女の方へ歩いて行き、隣に座った。肉厚の薄黄緑色の葉を持つ野菜を指して「メイプルプランツだ」と言った。彼女は「初めて見たわ」と呟き、霜の降りたような肉厚の葉に触れた。


「原因と結果ってのはな、ハンス。 時間的前後の関係にあるんだ。 見る角度を変えれば真横であり、それは決して上下には成りえない。 人が地を歩いている限りだ」


「捏ね繰り回したような言葉だ」


「或いは」ヤヌザイは言う。「結果の先にあるものは何かわかるか?」


 彼女は割って入った。「ねえ、ヤヌザイ。 これは食べられるの?」


「まだ食べられない」


 ヤヌザイはそう言って言葉を続ける。彼女は残念とは思っていなさそうに「残念だわ」と言った。


「結果の先にあるのは結果なんだ」


「原因じゃないのか?」


「結果自体が原因である、クレヴァリーはそう書いている。 結果は原因であって同時に原因も結果、因果はそうやって作用し合うんだ」


「よくわからないよ」


「親方と話してみると良い。 因果は等しく平等だ」


「今日に帰って来るみたいだ、話してみるよ」


 ヤヌザイは指の関節を鳴らした後、メイプルプランツを数株引き抜いた。そして僕と彼女にも同じ事をやるように指示を出して、運んで来た丸太の方へ歩いて行く。僕はメイプルプランツを見たのは初めてだ。葉の表面には霜か雨粒のような結晶が付着している。鼻を近づけると、少し甘い匂いがする。結晶は砂糖の塊なのかも知れない。


「この前マーケットで見つけたんだ。 作るのは初めてだ」


 彼はシロップの木に開けてある穴にメイプルプランツを植えていく。僕と彼女もヤヌザイの真似をした。


「ヤヌザイはクレヴァリーに詳しいの?」彼女は質問する。


「いや、そんなことは無い。 だが、大陸創世記と動物創生記は読んだ、だから人並には知っているつもりだ」


「クレヴァリーがどこに居るのか知っていて?」


「知らないな。 年老いちゃいるが、奴は生粋の放浪人だ。 旅人とも言える。 今もどこかを旅しているかも知れない」


 ヤヌザイは太い指で、器用にメイプルプランツを植えていく。その事務的な働きは、とても初めて扱う植物とは思えなかった。すべて植え終えると、肺から勢いよく空気を吐き出し、僕と彼女の方を向き直った。


「俺もこう見えて暇じゃ無いんだ、お前もだろうハンス。 そろそろ本題を済ませて、それぞれのやるべきことに戻ろう」


 僕は相槌を打ち、彼女はなにも言わなかった。


「君は無断で山に入り、植物を傷つけ、動物を傷つけた。 だが、時として手違いは起こるものだ。 そして軍隊リスの件もある、君がここまで来た以上手荒な真似はしないし、させない事を約束しよう」


 彼女は「ありがとう」と言う。ヤヌザイは頷いて言葉を続ける。


「しかしだ。 俺としても山としても、もちろん君としても、少々収まりが悪い」


「なにかお詫びをすればいいのかしら?」


 ヤヌザイは中空に指を立てて彼女を指した後、畑を見渡して地面に指を向ける。とても彼らしい動作だった。


「今日一日だ。 畑仕事をして貰う」


「おやすいごようよ」


「ところで君の名前はなんて言うんだ?」


「あたし? あたしの名は……」


 不意を突かれて僕は大きな声で言った。「待ってくれ! それは僕が聞こうとしていたんだ!」


「誰が聞いてもおなじよ」


「誰が聞いても同じなら僕が聞くよ。 きみの名前は?」


「アネモネ」


「アネモネ」僕は復唱する。


「良い名前でしょ?」


「アネモネ、僕も旅をするよ。 少しここで待っていてくれ」


「一日だけよ?」


「十分だ」僕は簡潔に言った。


 彼女は腕を捲る仕草をしたあと、大きく伸びをして首を左右に捻る。一日ばかりでは無く、二日も三日もそこに居そうなほどやる気に満ちて見えた。

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