ハンスとおさなぎ
ヒヒたちは木陰に隠れて、飛翔する炎の飛礫から身を守った。灌木の根元から発射されていた炎の飛礫は、ヒヒたちの動きに合わせて止んだ。その攻撃には一切の無駄が省かれている。
四、五匹ほどのリスは、彼女を捕らえている髭ヅルを駆け上がり、石刃の尖頭器を何度も叩きつけてツルを断った。彼女は尻から落下して、苦しそうにのた打ち回る。僕は直ぐに駆け寄り、彼女の肩を抱いて、灌木の裏側に身を隠した。
ヒヒたちは攻撃の隙も与えて貰えないようだった。炎の飛礫が当たらないように高木の幹を背にすれば、樹上に陣取ったリスたちが、木々の間を縫って彼らを石の飛礫で攻撃する。リスたちは更に連携し、小枝の先に円錐、三角錘、四角錘と様々な形に削られた石刃を括り付けた石槍部隊が、着かず離れずの白兵攻撃を行っている。
ヒヒたちはそれぞれ釘付けにされたまま、一方的な攻撃を受けている。堪らず山道に飛び出したヒヒは、やはり炎の飛礫に身を焼かれる。樹上と同じように、山道の脇から五列の縦隊が、蛇行しながら波打つ大蛇のように現れ、石刃の槍で攻撃しては間合いを取った。縦隊は時に分散し、ヒヒたちに的を絞らせなかった。もはや、ヒヒたちの戦意は見えなかった。
「憎らしいほど強いわ!」彼女は胸の前で手を組んで、彼らの戦いを見守っていた。
憎らしいほど強い、これには僕も同意だ。しかし、それよりも、僕は彼らの知恵を甘く見ていた。
灌木の根元には、僕の膝くらいの高さの、木で組んだカラクリが五基置かれていた。木組みの枠のちょうど真ん中に、長い竿状の支持椀があり、その先端には動物の毛か植物の繊維で編まれた、帯状のポーチが取り付けてある。ポーチの上には僕の爪くらいの大きさをした、木片のようなものが乗せられていた。
「凄いぞ、軍隊リスの頭は! まるで、山の守護者だ!」
「ヒトの真似をしたのかしら?」
「ヒトの真似を出来る動物なんて他にはいないぞ。 彼らは深い叡智を備えているようだ」
彼女は僕の肩に手を突いて、おもむろに立ち上がる。
「どうしたのさ?」
「今のうちに新たな武器を探すわ」
「余計なことをするんじゃあ無いぞ? 僕の棒をくれてやるよ、それで我慢するんだ」
彼女は僕が指を離す前に、木の棒をひったくり、素振りを始めた。
僕たちがそうしている間も、軍隊リスとヒヒの攻防は続く。相変わらず木組みのカラクリからは、立て続けに炎の飛礫が発射されている。
カラクリの支持椀終端部には溝が掘られていて、木のフレームに取り付けられている先端が鉤状になった留め具によって、張力が殺されている。鉤状留め具の反対側には円形の皿があり、リスがそれに飛び乗ると鉤が外れる。その作用により張力が解放されたアームが縦に大きく振れるとポーチに入れられていた内容物が発射される。動物の腱で拵えたロープを歯車によって牽引して、それを丸太に巻き付けることで再び支持椀に張力を蓄える、と言う仕組みらしい。
発射された瞬間に火が着いて飛んで行く木片は、おそらくバンネン樹の笠の鱗片だろう。バンネン樹の性質を上手く活かした投石機だ。彼らの優れた知恵が伺える。
一方的に続くと思われた軍隊リスの攻撃も、決め手を欠いているようだった。ヒヒたちは隙をついて、白兵攻撃を行う部隊を削っていく。
山道に出たヒヒは炎の飛礫も省みず、灌木の根元に設置された投石機を三基破壊して力尽きる。彼は倒れる間際に、鐘の音のように透き通った鳴き声をあげた。ヒヒたちは次々と透き通った声で鳴き始める。命乞いでも、追悼の鳴き声でも無さそうだ。ヒヒたちはただ叫び続けた。
投石の指示を出していたリス・ジェラルドのフィッツは、オーブになにか指図をした。僕は素振りを続ける彼女を仰ぎ見て質問する。
「フィッツはなんと言ったんだ?」
彼女はつんのめって、僕の顔に自らの顔を寄せる。そして、小さい声で言う。
「やつが来るぞ」
「やつ?」僕も務めて小さい声で聞いた。
「そうよ。 だから遠くにいるリスたちに撤退の合図を出したの」
「やつというのは誰だ?」
彼女は顎に手を充てて目を細める。宙に翳した人差し指をヒヒたちの輪郭に這わせた。彼女の指は砂ナメクジのように、艶めかしく動いていた。
「つまり奴らの仲間か?」
「あたしサル共の声を聞いていたのよ。 親分よ、やつらの親分がくる…… 来たわ!」
彼女は大きく首を逸らしながら、上空を見上げた。天を仰ぐ彼女の脇を、艶消しされたような濃緑の落葉が通り過ぎる。それは些か場違いなほど、嫌にゆっくりと翻りながら舞った。時間を無理やり引き延ばしたように、間延びして吹くつむじ風と、地にポッカリと開いた大穴のように真黒な影は、彼女が親分と呼んだヒヒが現れたことを暗示する、固有の現象なのかも知れない。
彼女は空に視線を送るだけで、ヒヒの親分は落ちて来ない。あるいは、飛んでも来なければ、駆けて来る様子も無かった。
その代わり、中天には空気中に漂っている、数多ある物質を堆積した凍雲のように重たい積乱雲が浮遊していた。
ヒヒたちは曇天に両手を翳し、フィッツは方々に指示を出しながら、やはり鉛色の雲を見上げていた。
厚い雲は中心から渦を巻き、地上に向かって伸びてくる。ヒヒたちの上唇は捲れあがり眼窩を覆った。彼らが翳している両手に、伸びた雲が吸寄せられる。雲は寸前で蜘蛛の巣のように分散して、交差し、繋がりながら広がっていく。ヒヒは雲に飛び乗り、ホウホウホウ、と笑った。
フィッツが良く通る声を出した。雲を見上げていた彼女は、その声に耳を澄まして、小さく頷いた。
「直ぐに逃げるわよ」
「リスたちでも親分には勝てないってことか?」
「もともと戦う理由がないわ」
僕は「わかった」と返事をした。
リスたちは既に撤退を始めている。更に半数以上は既に撤退を終えているようだ。まだ残っているのは、僕と彼女とフィッツに投石兵の数匹だけだ。軍隊リスたちは四散する。その所在はもう掴めない。
「あたしたちも行くわよ!」
「おお!」
僕らがヤヌザイの元へ走り出した時だ。蜘蛛の巣状の雲は行く手を遮るように、高木の足元に落ちる。反対側を振り返っても同じだった。彼女の顔が初めて歪んだ。とても形容しがたい、例えれば砂利を噛んでいるような顔だった。しかし、それが正解なのかは例えた僕本人にもわからない。
「ああ……。 万事休すだ」
「あなたといたら碌なことが起きないわ……。 今日、死の足音を聞いたのは何回目かしら。 もう、思い出せないわ」
僕の足を登ってくる何かがいる。腰の辺りで強く跳ねて、彼女の黒い羽に掴まった。そのまま彼女の肩まで登り、勢いをつけて僕の頭の上に飛んだ。尻尾の宝石が暗雲の中で輝いた。フィッツは我々を見捨てはしなかった。
彼は僕の前髪を引っ張り、チッチッチッ、と言った。彼女は両手を素早く動かしながら通訳する。
「あの雲に火の玉を撃つのよ!」
「撃ってどうするってんだ!」
「そんなの知らないわ! ねちゃごちゃと言わないでちょうだいよ!」
フィッツは投石機の使い方を説明し、彼女がそれを通訳した。僕は言われた手順通りに、投石機をセットした。フィッツは牽引機を一杯まで巻けと言った。正確には、彼女が通訳した。僕は牽引する腱性ロープを千切れそうなほど巻き取り、鉤状留め具でアームを固定する。
「照準を雲のちょうど真ん中に合わせたぞ!」
「思いっきり叩くの!」
僕は思い切り拳を振り下ろした。解放された張力がアームに伝わり、遠心力に変化する。バンネン樹の鱗片は力強く発射される。イカヅチのような閃光は、白い煙を吹きながら鉛色の雲を撃ち抜いた。
「これで良かったのか……?」
フィッツは、チッ、と言った。
「申し上げにくいのだけれど、失敗よ」
「なんだって?」
「もっと同時に放たれなくてはならないのよ」
「ああ、そうかい! おまけで誰かが犠牲になる必要があるぞ! そうだな、きみだ。 奴さんたち今にも僕らを攻撃してきそうだ。 ほんの少しだ、手の爪を全部毟る程度の時間を稼いでくれ。 今の僕はみんなのお願いを叶えてあげられるぞ」
彼女は愉快そうに笑った。「楽しみだわ」と言うと、僕のように捻曲がった木の棒を携えて、凍曇りの空を舞った。ヒヒたちは彼女に狙いを定め、雲の上を駆け回った。
僕は腰に提げた巾着からリーフコーラルを出して唇に挟んだ。息を吹いて、少し小さめの風船を拵える。フィッツは風船の中にバンネン樹の鱗片を詰めていった。彼は良い段取りをしている。流石リス・ジェラルドだと僕は思う。
フィッツからだされた指示を思い出し、二、三回頭の中で反芻する。僕は言われた通りの手順をそのまま実行する。フィッツは頷き、尻尾を、ビッと伸ばす。僕は帯に風船を乗せた。
「よし! 幕引きだ!」
僕は拳を叩きつけた。張力に弾かれたアームは、鋭く風を切る。腱性ロープは限界点を超えて引き裂かれた。風船は瞬秒で天の原を高く登り、膨張し、一息に弾ける。鱗片は宙を拡散し、白煙を上げながら、濁った雲を次々撃ち抜いた。まるで白昼に見える流星群だ。
「さあ、リス・ジェラルド。 次はなにが起こるんだ?」
彼は僕の前髪を引っ張って、キッ、と言った。厚い雲の中から滑空するように尾の無いヒヒが駆けて来ている。親分だ。親分は雲の上を自由に飛び回り、僕らを見つけると、上唇を剥いて威嚇した。
「聞いておくが、リス・ジェラルド。 僕は弄り殺しにされるのか?」
ヒヒの親分は僕の眼前に立ち、唇の裏側を露出させながら、ホウホウホウ、と嗤う。他のヒヒより体が大きかった。僕は間違いなく八つ裂きにされてしまう。
けれど、僕はいつか幸運は意識の外からやって来ると言った。もちろん例外もある、そしてその例外は殊の外嬉しいもんだ。
「えい!」
彼女は、僕のように捻曲がった木の棒を、親分の脳天に叩きつけた。親分は白目を剥いて膝から崩れ落ちる。顔の筋肉が一気に緩み、面の皮は在るべき場所に戻っていった。
彼女は木の棒を観察して「なかなかだったわ」と呟いた。
僕は天を仰ぐ。ハチの巣になった雲から絞られたような雨粒が滴り、やがて豪雨となった。足元の土が隆起する。僕は視線を下に送る。バンネン樹の若木が辺りを埋め尽くしていた。




