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手に馴染むまで何度も

 ヤヌザイが居るであろう畑までは、バンネン樹から直線距離で半里ほど南西に行った辺りにある。僕たちとリスたちはそれぞれ二手に分かれて山の主の元へ向かう手筈になっていた。

 リスたちは身軽さを活かして出来るだけ真っすぐ、フィッツの言葉をそのまま借りるなら、彗星の尻尾のように無駄なく率直に進む。逆に僕たちは自然的に、山道をより受動的且つ合理的に進む。


 もちろん僕の言う、自然的や合理的なんて言葉は極めて人為的なものだ。リスたちにしてみれば、動物のしだり尾のように大きく迂回するのは非合理的な行いだと思うだろう。彗星と山道では天と地ほどの差がある。それでも僕たちはどこかで辻褄を合わさなければいけない。自分という存在から、与えられた状況を引き算して残った事柄を無駄なくこなす。これはやはり転たに人為的な合理なのであって、別の誰かから見ればこの上なく非合理で、甚だ無駄が多い事もある。


 彼女が言った、自然に耳を貸す、とは介在するそれぞれの合理も非合理も同時に補完されなければ成立しない事だと僕は思う。それは非常に難しいことで、世界が広がれば広がるほど困難になる。与えられた環境の中で役割を演じて来た僕は、いつも誰かの合理の中で生きてきた。僕が世話をしてきた羽馬や鶏は僕の合理の中にあった。僕にとってはそれがより自然的な事であったのに、山へ入った途端にそれが自然で無くなってしまった。

 僕は自然の一部分であり、自然の一部分では無い。多視点でそれを認めると、様々なことに当てはまった。僕はハンスであって、誰かから見ればハンスでは無い。いつも首から名札をぶら提げていない限り、僕はハンス足り得る資格がないのだ。


 自然と超自然、合理と非合理、他者と自分、内的世界と外的世界。自然の中の超自然とその反対、合理の中の非合理とその反対、他者の中の自分とその反対、内的世界の中の外的世界とその反対。それら全てが補完されれば、世界は矛盾だらけになる。だから僕は、僕という存在から引き算して残った事柄、それも別て自分にとって大事なことや、覆しようの無い理にだけ耳を貸そうと思う。

 僕ひとりが辻褄を合わせようとしたってしょうがない。なぜなら世界は矛盾だらけだから。それにその矛盾すらも僕や世界の一部なのだから。


 先ず初めに僕たちがバンネン樹の元から出発する。その後リスたちが頃合いを見計らって出発する。双方で取り決められたことは、その程度のもので、後はそれぞれが独立してヤヌザイの畑を目指して進むことになる。万事に備えて、簡易的な交信手段としてオーブが同行することになったが、ヒヒたちの狙いが彼女に集中するのであれば、リスたちの憂いは早々に消失したことになる。


 あとは我々がヒヒたちをどう退けるかという問題だけれど、実を言うと退けるという選択肢は最初から存在していない。戦うとなると僕は弱すぎるし、顔や言葉には出さないが彼女も酷く疲れている。もしかすると僕が聞いていないだけで、彼女は口から火を吹いたり、物理法則を無視しながら移動したり、ゴーレムのように力持ちなのかも知れないけれど、そんな力を使役していたのなら最初から僕に助けられることも無かったろうから、考えるだけ頭が疲れること以外に導き出される結論は無いだろう。


 その彼女は臨戦態勢で、拾った木の棒を、ぶんぶん、鳴らしながら振り回している。彼女が木の棒を振り下ろす度に傍らのオーブは赤く発光した。オーブはヒヒを探知する役割も担っているのに、彼女はそれをちっとも分かっていやしない。

 僕はきつく「やめないか!」と言ってみたけれど、何がそんなに面白いのか、彼女は無言と無表情を決め込んだまま、ついぞ素振りを止めることはしなかった。


「ねえ、ハンス。 あなたも木の棒をひらうといいわ」


 やはり木の棒を、ぶんぶか、と振りながら言った。段々と手に馴染んで来ているのか、太刀筋が洗練され、無駄な動きが削ぎ落とされてきている。


「戦いを回避する方法を考えるんだ」


「どうして?」


「どうしてだと? きみは奴らと戦って勝てると言うのか?」


「勝てる勝てないは大したお話ではないのよ。 サルを引き付けながら逃げ回るよりも、ねちゃごちゃと考えずに戦った方が簡単よ」


「つまり…… きみは強いということか?」


「誰がそう言ったの? ハンス、あなたは言葉の裏をねちゃごちゃと読もうとし過ぎているのよ。 サルたちに有利な地形で逃げ回るよりも、迎え撃つ方が難しくないってお話よ。 何もサルを倒すってゆっているのでは無いの。 つまり、リスたちから到着の合図が届くまで、チョウチョみたいにヒラヒラやっていればいいのよ」


 そう言ったあと、山道の脇に生えている灌木を軽やかに飛び越えて、僕の視界から消えてしまった。次に現れた時には、手にもう一振りの棒が握られていた。彼女は何か堪えるみたいに口の端を曲げて「あなたの武器よ」と僕に木の棒を差し出した。僕は彼女から歪に捻曲がった木の棒を受け取った。


「あなたにそっくりよ、ハンス。 そっくりものだわ」彼女は言う。


 僕は「ありがとう」と言って、そいつを振った。五回ばかし振って、持ちやすい部分を探しあて、その後も十五回ほど続けて、振りやすい角度を確認する。彼女は「ええ」とつまらなそうに木の棒を振り回した。


「ふん! 僕を怒らせるつもりだったんだろ、そうはいかないぞ!」


「つまらない人よ。 ユーモアとゆうものが欠けているのかしら」彼女は本当につまらなそうに言った。


 状況は段々と変わって来ている。僕の心持ちのように劇的な速度では無いけれど、彼女も状態をその通りに現す、操り人形へ近付いている。


「ねえ、きみ。 きみは、そうだな、きみは僕について何を知っているんだ?」


「あたしがあなたについて知っていること。 木こりでは無い、山賊では無い、蜘蛛では無い。 そうでしょ?」


「いかにも」と僕が言うと、彼女は満足したように「えい、えい」と声を出しながら木の棒で素振りをする。


「では、僕がきみについて知っていることを言うよ」


 彼女は「どうぞ」と右の眉を上げた。


 山道を温い風が吹き抜け、久しぶりに感じる自然の音や気配は僕をとても穏やかな気分にさせる。それは何かの前触れだと啓示するようにいつまでも長くゆっくりと続いた。

 もしもそれが、奴隷である理由に取って代わるのなら、或いは僕だって日の当たらない城郭から飛び出したいと、本気で思えるかも知れない。


「あなたが知っているあたしのことを教えてよ」


「空を飛ぶと、うんと疲れる。 そうだろ?」


「ええ」


「でも、それしか知らないんだ。 きみは一体誰なんだ」


「ああ、奴隷のハンス。 いいえ、ただのハンス。 望むことが小さいわ」


 彼女は特別大袈裟に、歌うように言いながら、クルクルと自転し始める。はぐらかすようにそうしたのでは無く、そうすることが当然だといった風情だ。僕も概ね彼女に同意だった。

 軸が折れたように大きく揺れた彼女は、衣擦れが鳴るほどの張りのある動きで、ビッ、と止まる。僕は彼女がそうしていたように言葉の続きを待った。


「あたしはそうね、旅人かしら」


 僕は歪な木の棒で素振りをする。


 彼女は言った。「それ以外は特に言えることは無いの」


「なにか目的が?」


「クレヴァリー大陸創世記」


「偉いおじいさんが書いた本だ」


「読んだことはあって?」


 ヤヌザイから話を聞いた事はあったけれど、彼女の質問には無いと答えた。別に嘘はついていない。


「クレヴァリーが言っているの。 空に浮かぶ金色の玉はね、ゴールデン・パレスだって」


「ゴールデン・パレス」僕は彼女の言葉を復唱する。そして、言葉を置き換えてもう一度言い直した。「月は黄金の宮殿」


 彼女は頷くだけで、続く言葉を紡ごうとはしなかった。意図してそうしたのか、今度は僕の言葉を待つように目の奥をじっと覗き込む。彼女の頭の中は開かれている。あとは僕が適格な質問を投げかければ、筋に沿った返答がされるはずだ。


「つまり、そこに行けば何かがあるのか?」


「黄金と美しい動物」


「それらは何をしてくれる?」


「なにもしやしないわ、一方的に奪っていくのよ」


「それは穏やかではないな」


「そんなことないわ。 今この山のように穏やか」


「嵐の前の静けさ」


「そうね」


「きみは、ゴールデン・パレスへ行くために旅をしている」


「そうよ」


 一陣の風が吹いた。今度は旋風のように荒々しく猛々しかった。肌に貼りついた砂粒は雹のように冷たく、それは溶けずにいつまでも肌の上に乗っていた。


「あとできみの名前を教えてもらうよ。 きっと変な名前なんだろう」


 彼女は地面に片膝を着いて、複数の気配を確認するように、ゆび指した。浮遊していたオーブが警告する。燃えて無くなってしまいそうなほど真っ赤に発光し、今にも逃げ出しそうに旋回している。

 僕は木の棒を振って、強く振りぬける角度をもう一度確認した。僕みたいに捻曲がった棒だ、なかなか良い角度を教えてくれはしなかった。


「あたしの名前、あなたも気に入る名前だと思うわ」


 僕は「楽しみだ」と言った。

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