リス・ジェラルドに会いにいく - 3
僕は細く筒状になった穴の中で、体を左右に振られながらどんどん落下していく。時に直滑降とも表現出来る急激な勾配に肝を冷やし、時に体が反り返るほどの壁をよじ登った。ほとんど真っ暗で何も見えない。頼りになるのは手足の感覚だけだった。その手には既に棘や木片が刺さっていて、いたる所から血が出ているのか壁に突いた手をずるりと滑らせた。
僕には有能なリス・ジェラルドがこんなことで借りを返したつもりになるとは思えなかった。もしかすると僕を下に見ているのかも知れない。しかし、それならそれで好都合だと思った。一軍の長が見合った借りを返せ無いと知ると、多少なりとも彼らの士気は下がるはずだ。向こう見ずな肉食獣とは違って彼らは縦の繋がりよりも横の繋がりを重視する。彼らにとって借りとは守られるべき礼節で、その礼節を蔑ろにするのはリス・ジェラルドの沽券に関わる。軍隊リスの長として他のリスの上に立っているとは言っても、リス・ジェラルドがリスである以上、彼とて横の繋がりから逸脱することは許されないはずだ。
うねうねとした狭いトンネルの中を進みながら、肺にこびり付く灰汁っぽさが溶けた空気に鳥肌を立たせ、頭をぶつけて首の神経が浮いたような痛みを我慢した。自分がどれだけ進んだのかすらもわからず、時間の経過も知りようが無かった。
彼女は上手く逃げられたのだろうか、それだけが僕の頭の中でこの出口が見えないトンネルのようにいつまでもだらしなく続いている。
何十回折り返して上下動しながら進んだのか体感ですら掴めなくなって来た頃、ようやく前方に淡い灯りが見えてきた。それも何回かトンネルの壁に反射して届いたみたいな心許ないものだったけれど、幾らか僕の安心を誘うような柔らかい灯りだった。
次第に彼らの気配を感じ始める。僕は、まだ安心してはいられないんだぞ、と頭の中で呟いた。気配はやがて確かな存在感に変わり、時々聞こえる彼らの声にも肉薄する物質のような響きが籠っている。
クルルクルル、キュッキュッキュッ、と言う声が聞こえる。僕には意味を理解することが出来ないけれど、なにか会話のようなものをしているらしかった。そこに親しみは含まれておらず、とりわけ切迫した軍議のような怒気さえ感じた。
僕は自分の存在を少しずつ彼らの意識下に滑り込ませることに努めた。彼らにとっても何らかの準備は必要であるだろうし、僕にとっても彼らの不意を突いてしまうのが怖かったからだ。足音は出来るだけ静かに、しかし足の裏に貼り付いた木切れや砂粒を鳴らしながら、ひそめた呼吸も空気を振動させるようにゆっくりと強く吹いた。これだけやれば後は彼らの動物的な感が働いて僕の気配に気付くことだろう。
彼らは僕の思惑通りこちらの存在に気付いたようだ。一瞬話し声は止み、あとに続いたのは微かな声だった。彼らも自らの存在を僕に知らせるような愛想を持ち合わせているようだ。それでも僕は彼らを刺激しないようにゆっくりとした動作で動く。彼らもまた僕を刺激しないように騒ぎ立てたり、彼ら特有の素早い動作で威嚇したりなどはしなかった。
あと一つ緩やかなカーブを曲がりきると、ようよう彼らと鼻を突き合わせるという寸前で、柔らかなオレンジ色だった灯りが真っ青に発光して黄色く点滅し、最後にはトンネルの壁を真っ赤に染めた。
警告のように姦しく発光していのはオーブのようだ。軍隊リスとオーブが共生しているのは知らなかったし、ヤヌザイからもそのようなことを聞いた覚えは無い。僕の中にある山や動植物についての知識はすべてヤヌザイが持っていた知識で、それはつまるところ彼に与えられるものは何も無いということだ。もしこの事象が彼も知りえないことであったならば、教えてあげようと僕は思う。
オーブが落ち着くまで彼らから死角になった場所に身を隠した。それは僕なりに害心の無いことを示す行為だ。彼らも僕に敵対心を持っていなかったらオーブを宥めることに尽力するだろう。そしてこの行為を済ませば、僕たちは互いに敵対意識や忌避感の一切を取り払えるはずだ。
些か慎重が過ぎると思ったけれど、無益な争いをするよりもましだと感じる。時間の猶予から言ってもどうせこれで最後だ、許される限りは慎重に越したことはないのだから。
やがてオーブは落ち着きを取り戻したのか、元のオレンジ色の光に戻った。僕は緩やかなカーブをそそくさと曲がり、彼らを視界に捉えてその場に止まった。
「やあ、調子はどうだい?」
彼らが居た空間は僕が思っていたよりも大きかった。天井高で言えばそうでもない、僕が背筋を伸ばせば頭をぶつけてしまう程度の高さだったけれど、床の広さで言うと人が三人ばかし生活しても不自由が無さそうだ。
部屋の中央にはツルツルに磨かれた平な石が置いてある。その石を囲むように座っているリスが五匹、左手に見える通路の前に二匹、僕が入って来た通路のちょうど正面の道から小さいリスが一匹出てきた。オーブは天井のすぐ下をぐるぐる回っていた。
オーブは一瞬青紫色に発光したが、直ぐにまたオレンジ色の柔らかい光に戻る。リスたちには既に警戒の色は無かったが、それでも当然のことながら僕を友人として招いたという態度ではない。よそよそしくさえ見える彼らに僕は好感触を得た。
「リス・ジェラルドに頼みたいことがあるんだ」
彼らは互いに顔を見合わせた。相談事か何かなのか、しかし声を発したり手を動かしたりなどはしなかった。やがて一匹のリスが壁を駆け上がり天井に開いた小さな穴の中に入って行く。小さいリスは僕の周りを回ったあと肩に飛び乗って、その後頭の上に登った。彼は僕を誘導するように髪の毛を引っ張った。僕は操られるように部屋を横切る。左の通路から今までに無かったほどの強烈な甘い匂いがする。食糧庫かなにかだろうか、甘い匂いの中に粉っぽさも交じっていた。
「きみは案内係かなにかなのかい?」
頭の上に乗った小さいリスは、キュルキュル、と声を出した。僕の言葉を理解しているようだ。しかし彼がヒトの言葉を話せない以上、詳しい会話は難しい。
僕は彼に誘導されるまま奥の通路を歩き続けた。来た道よりも幾分か広く比較的楽な姿勢で進むことが出来る。少し開けた空間に出ると、彼は、キィ、と声を上げる。壁に開いた小さな穴からオーブが勢いよく飛び出しオレンジ色に発光した。
枯れた落ち葉のベットに横たわっている痩せたリス、そのリスの傍に如何にも屈強そうなリスが四匹集まっている。
リス・ジェラルドはかなり痩せていた。僕は動けなくなった彼の部下をバンネン樹の近くまで送った時に彼と一度顔を合わせたことがあるけれど、当時の引き締まった体や艶やかな毛並みは今や見る影も無く、どこか死に近づいている雰囲気すらあった。
僕を一瞥したリス・ジェラルドは枯葉のベットから体を起こした。大きな尻尾に着けた緑色の鉱石が力無く光った。この鉱石はジェラルドの証で代々ジェラルドから新しいジェラルドに受け継がれるものらしい。
しかし、それよりも僕の目を引いたのはリス・ジェラルドの腹が深く抉れていることだった。傷口からはじくじくと血が滲んでいる。瘡蓋のうえに瘡蓋を重ねていったような痛々しさがある。
もしかすると、リス・ジェラルドは自分の命が尽きる前に僕へ借りを返そうとしていたのかも知れない。
「その傷はなにがあったんだよ、リス・ジェラルド」
彼がそれに答える術を持っていないことはわかっていた。けれど僕は彼の言葉を待った。言葉でなくても身振り手振りや何かしかの動作から読み取ろうとリス・ジェラルドの痩せた体を注視する。
僕の次に言葉を発したのはジェラルドの傍らに立っていた大きなリスだった。彼は僕の頭の上に乗っていた小さいリスに指図するような手振りで、ギッギッ、と言った。小さいリスは勢いよくジャンプして天井に張り付き、そのまま穴の中に消えていく。
「リス・ジェラルド。 こんな時に申し訳ないけど、きみの軍隊が僕の知り合いを襲っているんだ、どうにか止めさせてもらえないだろうか?」
大きなリスはかぶりを振った。その後、地面をくるくる回り、何度も飛び跳ねた。
「どういう意味だい?」
他のリスもくるくる回って飛び始めた。
「彼女が勝手に山へ入ったからか?」
大きなリスは頷いて、満足そうに元の位置に戻る。
「仕方が無かったんだ、どうにかならないの?」
大きなリスは綺麗な尻尾を横に振る。
「山の意思だからか?」
それには何も答えない。
「彼は…… ヤヌザイはそんなの望んで無いだろ」
それにも何も答えなかった。
「じゃあ、きみたちは彼女を捕まえて殺すってのか?」
大きなリスは黙っていた。その後を継ぐようにリス・ジェラルドが、キッキッキッ、と言い、何度も尻尾を横に振った。
「見逃してくれるのか? リス・ジェラルド」
リス・ジェラルドはかぶりを振る。
「捕まえて殺さないけど見逃さない? わからないよ、ジェラルド」
大きなリスは、リス・ジェラルドの傍で鼻をひくひくと動かした。
僕はどうにか彼らとより実際的に意思の疎通が出来ないものかと考える。
どこかからくぐもったリスの声が聞こえた。僕は視線を彷徨わせながら声の出どころを探した。その時、僕の目の前になにかが降って来た。直ぐに視線を下ろして正体を確認する。僕の頭の上に乗っていた小さいリスが白くて長い縄のようなものを抱いていた。白い縄のようなモノの正体は僕にも見覚えがある。千切られた白い蛇、滝のそばで僕と彼女を襲ったヒヒの尾だ。
「こいつがリス・ジェラルドをそんなにしたって言うのか?」
大きなリスは首肯する。
「なんとなく見えてきたぞ、つまりあのヒヒたちを倒すから僕にも手伝えってことか」
リス・ジェラルドは尻尾を横に振る。
「でも、彼らをどうにかしたい?」
リス・ジェラルドは、キッ、と言い、他のリスたちはくるくる回りながら飛び跳ねた。
「そうか、ヤヌザイにこの事を伝えればいいのか?」
安心したように枯葉のベットの上へ横になったリス・ジェラルドは、そのまま目を瞑った。
「なるほどなあ。 あのヒヒたちをなんとかする代わりに彼女を見逃すって言う交換条件だったのか。 言葉が通じ無いのは不便だなあ」
僕の言葉を聞いた大きなリスは、なにか言いたそうにしていたけれど、面倒臭そうに首肯をした。
僕がそろそろ暇を告げようと思っていた時だった。天井の近くを浮遊していたオーブが青く発光し直ぐに黄色に点滅し始めた。僕が入って来た時と同じ反応だ。僕が最初に思ったのはヒヒたちの襲撃だった。リスたちは慌てる様子も無く、毅然とした態度でリス・ジェラルドを囲んだ。僕は咄嗟の出来事にどうすることもできず、ただ部屋の隅の方に移動して成り行きを見守った。
「ああ、ハンス。 あなたはなんにもわかっていないのよ」
リスを肩に乗せた黒い羽の彼女が僕を見つめていた。




