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第61話 取材釣行

作者: 山中幸盛

 さて困った、何を書こう、と、今月もまた「北斗」の掌編小説の原稿で思い悩む時期がやってきた。

 九月の三連休の最後、敬老の日の朝八時過ぎのことだ。朝刊に目を通していると、なぜか突然、これから名古屋港までハゼ釣りに行って、そのことを書いてやろう、との名案がひらめいた。幸盛は「北斗」に参加した当初から『エッセー風小説になるだろうな』と予測していたので、『釣行紀』も幸盛のなかでは掌編小説としてアリなのだ。

 それにしても、何年ぶりの魚釣りになるだろう、五、六年は行っていない気がする。幸いにも天気予報は曇り空だから暑さにやられる心配はないだろうし、釣りができて小説も書ける、まさに一石二鳥ではないか。

 善は急げ、逸る気持ちを抑えながら朝食を摂り、いざ物置にあるはずの釣り道具を探し始めて閉口した。子ども達のガラクタで足の踏み場がないほどなのだ。それでも根気よく道具を揃えていった。魚を入れるクーラーボックス、渓流ザオ一本でていねいに探り釣りすれば数が釣れることは分かっているのだがのんびりした釣りをやりたい気分なのでリールザオを三セット、ジェット天秤オモリ、釣り針、ハサミと、ここまでは順調だったが、エサ箱と海水を汲み上げるための長いヒモがついた布バケツが見当たらない。ガラクタをどかすのも面倒なので、エサ屋で調達することにする。

 家を出たのは十時頃で、かつて全盛の頃頻繁に利用した国道23号線沿いのエサ屋に行き、布バケツ、エサ箱、石ゴカイを小枡一杯、新品の釣り針セット、大きな氷、クリームパン等を買って目的地に到着したのは十一時頃だった。拙著『妻は宇宙人』の第一章に出てくるハゼがよく釣れるポイントはあえて避け、その西方に位置する海に面した堤防道路に行くと休日とあって車がずらっと並んでいる。 

 それでも僅かのスペースに車を割り込ませ、となりでサオを五本も並べている若者に声を掛けて情報を収集する。

「釣れますか?」

「今日は全然ですわ。先週は入れ食いだったのに」

「ハゼ狙いですか?」

「朝六時頃からやっているのにハゼはたったの五匹。あとは小さなゼンメとフグばっかり」

 幸盛は聞き上手なので若者はいろんな情報を教えてくれ、ついには碧南中電釣り広場で釣りをしていたらヤクザの親分御一行様が釣りにやって来て親分がドスを抜いて子分に「殺すぞわれ」などという物騒な話に発展したのでさりげなくその場から離れて仕掛けを作り始めた。

 今日はのんびりと釣りを楽しみ、釣れても釣れなくてもそのことを原稿にすればいいのだから肩の力は抜けているはずなのに、最初のサオを準備してエサをつける段になると、万が一ハゼが釣れすぎてエサがなくなるのも悔しいので念のため石ゴカイをハサミで二つに切って二本針にそれぞれ刺す。そして投げる時には期待で胸をふくらませ、三本のサオを投げ終えると、わくわくしながらサオ先を眺めてアタリを待つ。ああ、やっぱり釣りはイイなあ。

 しかし、浅い海底にうじゃうじゃいるはずのハゼは一向にエサを食べる気配がない。となりの若者の「今日は全然ですわ」という言葉が真実であることを思い知る。

 だが、百戦錬磨の幸盛は、こういう日があることは百も承知だ。釣れない日はどこに移動してもダメ、どんなにエサを変えてもダメ、駄目な日は何をやっても駄目なのだ。それでも、釣り始めて三十分後くらいに、エサを確かめるためにリールを巻き上げてみるとハゼが釣れていた。貴重なハゼをビニール袋に入れ、クーラーボックスを開けて大きな氷の横にそっと置く。

 だがそれからが釣れなかった。夕食の支度をしなければならないので夕方四時頃までの釣りと決めていたのだが、その五時間ほどの間にハゼはいったい何匹釣れるのだろう。この間に小さなゼンメ(ヒイラギ)が全部で三匹釣れた。ゼンメは甘辛く煮付ければおいしい魚だが、あまりに小さすぎるのでポイ、ポイ、ポイと海に返した。

 結局、二匹目のハゼが釣れたのはたぶん二時頃で、三時過ぎに三匹目が釣れ、四匹目が釣れたのは三時半を回っていた。エサ箱の石ゴカイはなかなか減らないので、三投目からはケチらずに針一本につき一匹を丸ごと使い、サオ三本で合計六本の針なのにエサ箱にはまだ結構残っていたが、時刻が四時を過ぎたので断腸の思いで海に捨てた。ゆっくり沈んで行く石ゴカイ君達は海底の土砂の中に潜る前に、ゼンメやハゼやセイゴやカニに悉く食べ尽くされてしまうことだろう。

 帰宅して釣り道具を物置に戻して時計を見るとちょうど五時だった。この日の夕食の献立はカツ丼で、出来合の豚ロースカツが買ってきてあったのでさっさと仕上げ、味噌汁を作り終えると、さていよいよハゼの調理だ。

 体長が十二センチ前後のたった四匹の小さなハゼだが、「北斗」の原稿のもとになる重要な使命を帯びたハゼなので、丁重に調理して食べてあげねばならない。原稿はブログにも発表するので写真を撮るためにビニール袋から取り出してまな板の上に並べようとしたその時、なんと一匹が元気よく跳びはねた。のみならずあと二匹のハゼもまだ生きていて、最後の力を振り絞り、くねくねっと動いたのだった。


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