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8.矢も楯も

 もしかしてこのせっかちなベルの鳴らし方は……と予想していた人が、受付場所にいた。片手を腰にあてて、急いで駆けつけたわたしを「遅い!」と言わんばかりの傲慢な態度で睨みつけてくる。

 ――ああ、やっぱり。

 甘ったるくてきつい香水の香りが、エントランス中に漂っている。

 亜矢子さんだ。

 待ちぼうけを食わされてイライラしている様子だった。

 というよりも、わたしを見るたび、亜矢子さんは目を釣りあがらせているような気がする。

 亜矢子さんは、昨日とは変わって、カジュアルなスタイルだ。丈の短いTシャツに黒のカプリパンツ、ビーズのはめ込まれたミュールからのぞく足先は、水色のペディキュアに彩られている。洋服やバッグ、靴、それにメイク用品だって、きっとどれも値の張る、高価なブランド物なのだろう。廉価品じゃないことくらいは、わたしにも分かる。

「まったく、対応が遅いんじゃなくて? 客をこんなにも待たせるだなんて?」

「……すみません」

 こんなにもって、ほんの一、二分も経っていないと思うけれど。なんて口答えは、もちろんしない。

 店を開いたその翌日にやって来てから今日まで、亜矢子さんはユエル様に会いに毎日やってくる。昨日みたいに閉店していても懲りずにやってくるのだから、そのマメさには感服ものだ。亜矢子さん程の常連客は他にはいない。

「さっさとユエル様のところへ通してくださらない?」

「はい。それでは、こちらに記帳を……」

「毎回毎回、手間を取らせるのね? あなたが書けばいいんだわ」

「いえ、でも」

「愚図なうえ、物覚えまで悪いだなんて、処置なしね。まったくユエル様はどうしてこんな使えない子を雇っているのかしら?」

「…………」

 反論の余地もなければ、その勇気もない。

 わたしは目線を逸らして黙するしかない。

 嫌みたっぷりで高慢な亜矢子さんだけど、嫌いかと言えば、実はそれほどでもない。苦手ではあるけれど、わたしのことを「鬱陶しく目障り」だと思っているのがあまりにあからさま過ぎて、なんだか悪感情を抱けない。分かりやすい人だなと思うだけ。

 それに亜矢子さんは、蔑んだ目ではあるけれど、わたしを“人”として見てくれる。わたしという個人を見ていてくれている。

 だからわたしも亜矢子さんと対峙できるのだ。むろん、対等の相手だなんて思っていない。そのあたりはわきまえているつもりだ。

 とはいえ、わたしが何を言っても亜矢子さんを苛立たせてしまうとわかっているから、対応には困ってしまう。

 困惑顔をするわたしに、横からさり気なく助け舟が漕ぎ出された。

「お手数ですがこれも規則ですので、ご記帳願えませんか」

 漕ぎ手は、イレクくん。

 イレクくんの丁寧な口調は、聞きようによってはひどく冷やかで威圧的にすら感じられる。いささかも臆さず、亜矢子さんを見据えている。

 亜矢子さんは口を挟んできたイレクくんを怪訝そうに見やり、眉をしかめた。

「なんですの、あなた」

 イレクくんは愛想笑いを浮かべて答える。

「ユエル様の、遠縁にあたる者です」

「あ、あら、そうなの?」

 亜矢子さんは、本当に分かりやすい。

 直前まで「何、この小生意気な子供は?」とイレクくんを睨みつけていた亜矢子さんは、「遠縁」という言葉を聞くやいなや、みごとな早さで手のひらを返した。

 イレクくんの適応能力の早さも見事なものだと思う。

 ユエル様の遠縁なんてたぶんその場しのぎの嘘だろう。だけどユエル様の「身内」だと言えば、ユエル様の信望者は容易く平伏する。そのことをイレクくんはわずか半日足らずで悟った。

 亜矢子さんのような高慢な女性にも、「美青年効果」はいかんなく発揮される。「ユエル様効果」と言いかえてもいいかもしれない。

「僕は、イレクと申します」

 イレクくんはさり気ない所作で、握手を求めるために手を差し出した。亜矢子さんは少し腰を屈め、何のためらいもなくイレクくんの手をとった。

「初めまして。わたしは桜町亜矢子と申しますの」

「そうですか。よろしく、アヤコさん」

 ――勘のいい人なら、あるいは気づいたかもしれない。

 イレクくんから発せられる、異様な“気”に。

 イレクくんの薄茶色の双眸が、一瞬、きらりと光り、亜矢子さんの目を捕らえた。

「……」

 亜矢子さんは言葉を失い、イレクくんを瞠目する。

 握られた亜矢子さんの手から、イレクくんの手を伝って、生気が奪われていくのが分かる。

 イレクくんは声のトーンを落とし、亜矢子さんを見据えて言った。

「今日は、お疲れではありませんか? 帰って、少し眠った方がいいでしょう」

「……眠り……」

「そう。今日はもう帰られた方がいいですね」

「帰……る……」

 イレクくんは微笑んだ。一見、優しげなその笑顔。けれど、生気が奪われていくのと同時にあたりの空気からも温みが奪われていくようだった。背筋がぞくりと冷える。

 それも、ほんの僅かの間だった。

「さあ。このまま振り返らずに、どうぞお帰りください、亜矢子さん」

「…………」

 亜矢子さんは木偶人形のようにぎこちなく頷いた。イレクくんが手を放すと、亜矢子さんはぼんやりとした面持ちで身を翻し、そのままわたしを一瞥することもなく、覚束ない足取りで屋敷を出て行った。

 イレクくんが何をしたのかはなんとなく分かったけれど、あまりに唐突だし驚いてしまって、わたしは言葉もなく、茫然と立ち尽くすばかりだった。

 そんなわたしの背後から、パチパチと手を叩く音が聞こえた。振り返るとそこに、感心した様子のユエル様がいた。

「お見事、イレク」



 ユエル様は愉しそうに笑いながら、厄介払いができたと、人の悪いことを言う。

「幻術を使うのが得意だとは聞いていたが、なかなか強引だね、イレク。生気は、ちょっと飲みすぎの気もするが?」

「あれくらい大丈夫でしょう、あの方は」

「そうだろうね。まぁ、味の方はいまひとつだが、少々飲みすぎてもすぐに回復できるほどの生気の持ち主ではあるからね」

「ミズカさんに酷いことを言うものだから、つい腹に据えかねて」

 そう言ってから、イレクくんは改めてわたしの方に向き直り、申し訳なさそうな顔をした。

「もしかして余計なことをしてしまったでしょうか?」

「う、ううん。ありがとうって言うのもなんだけど……」

 わたしは首を横に振り、苦笑して応えた。

 亜矢子さんを幻術にかけて撃退してくれたこと、やっぱり……ちょっと……感謝してる。

 わたしがどのような対応をしても亜矢子さんは不愉快だったろうから、イレクくんが割って入ってくれて助かった。

「あの方はミズカさんに対して、いつもあんな態度なんですか?」

「うん、だいたいあんな感じかな」

「失礼な方ですね。いったい自分を何様だと思っているんでしょうか」

 イレクくんはまるで自分のことみたいに腹をたて、語気を荒立てている。

「二度と来ないよう、強い暗示をかけておけばよかった。とっさのことでそこまで気が回らなかったのは失敗でした」

 そこまでしてしまうのは、さすがにちょっとかわいそうなんじゃないかなと思ったけれどそれは口にせず、とりあえずはイレクくんにお詫びとお礼を述べた。

「嫌な思いをさせちゃってごめんね、イレクくん。それから、ありがとう。イレクくんがいてくれて良かった」

「いいえ、不快にさせられたのはあの方の言動のせいで、ミズカさんには何の落ち度もないんですから、謝らないでください。ともあれ、ミズカさんの手助けができたのなら、よかったです」

 イレクくんが笑い、わたしも微笑み返した。

 なんだかちょっとくすぐったいような心持ちで、それにとても嬉しかった。

 自然と口元がほころんでしまう。

「ミズカ」

 突如、頭上からユエル様の声が降ってきた。

 ユエル様は、いつの間にかわたしの真後ろに立っていた。少し動いたら体が触れてしまう程に近い。ユエル様は少し腰を屈めて、囁くようにわたしの名を呼んだ。

 いつもより少し低い声に、ぞくりと鳥肌がたつ。優しさよりも、押さえつけるかのような重い声。だけど怒声からは程遠い、甘さの含まれた声音だった。

 ユエル様を肩越しに振り返り見た途端、深い緑色の瞳とぶつかった。

「ミズカ。出掛けるから、ついてきて」

「え……」

「息抜きに、外の空気を吸いにね。午後の散策も、たまにはいい」

「は、はぁ……」

 気のせいだろうか?

 ユエル様、怒っている風ではないけれど、気難しげな顔をしている。

 さっきまで愉しげに微笑んでいたのに、急にどうしたのだろう?

「イレク、留守を頼むよ。来客は適当にあしらっておいてくれればいい」

「……はい、わかりました」

 イレクくんは叱られた子供みたいに肩を竦め、ユエル様の言に素直に従った。だけど、笑いを堪えているみたいな訳知り顔をしていて、恐縮している様子はちっとも見られない。

 ユエル様はといえば柳眉をしかめ、不機嫌顔だ。「面白くない」と拗ねているような、そんな顔をしてイレクくんを睨んでいる。

「あの、ユエル様……?」

 わたしの心配げな目線に気づいて、ユエル様はふっと小さく息をつき、優しい笑みを見せてくれた。

「ミズカも息抜きをした方がいいだろうからね。少し、外に出よう」

「はい。……それじゃぁ、お供します」

「イレクも適当に休んでいるといい」

「はい、そうさせていただきますから、どうぞごゆっくりお出かけになってください」

 にこりと微笑むイレクくんに、ユエル様は小さな苦虫を噛みつぶしたような顔をして、「そうしよう」と短く応えた。

 踵を返し歩き出したユエル様の後を、わたしは急いで追いかける。

 ユエル様の気紛れはいつものことだけど、わたしの器は狭量で、なかなかそれに慣れないでいる。

 ユエル様の突飛な行動に一喜一憂するわたしの身にもなってほしいものだなんて、とても言えないけれど。

「まっ、待ってください、ユエル様!」

 せめて、置いてきぼりにはしないでください。

 わたしの心の声が聞こえたとは思えないけれど、ユエル様は玄関先で足を止め、振り返ってくれた。

 そしてわたしを見やり、艶然と微笑んだ。「慌てると転ぶよ、ミズカ。君は、存外ドジなところがあるからね」

 余計な一言を口にして。


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