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54.焦燥、そして狂騒

 亜矢子さんの突飛な行動に緊張したのは、わたしと当の本人の亜矢子さんだけだった。拳銃を真正面からつきつけられているユエル様は狼狽した様子などかけらもなく、むしろ煽りかけるように口元に冷笑を浮かべていた。

「おもちゃではなくてよ!」

 脅しをかける亜矢子さんが滑稽に見えるほど、ユエル様は平然と構えている。

 亜矢子さんが両手でしっかりと握っている黒いそれは、大きさは手のひらより少し大きい。それでも重量感のありそうな見た目で、いかにも「本物」らしい。けれど奇妙なほど軽々しく、安っぽく見えた。拳銃を間近で見たことのないわたしだからそう感じるだけなのかもしれない。

 亜矢子さんは銃口をユエル様に向けたまま、硬直したように動かない。

 ユエル様も、その場から動かなかった。

「なるほど、本物のようだ。しかし、日本では銃の所持は法律で禁じられているはずだが?」

「だからなんだと言うのです? それを言うのならばあなた達も不法入国ですわ」

「たしかにね」

 ユエル様は喉を鳴らし可笑しげに笑う。

「しかし、ならば私も、だからなんだと言うのだと返そうか」

 ユエル様の綽然とした微笑は、剣のように尖った氷のようで美しいけれどおそろしい。皮膚を掠める夜風が冷たいせいじゃない。肌が粟立つほど、ユエル様の微笑がおそろしい。そんな風に感じてしまうことも、わたしには怖かった。

 亜矢子さんはといえば、ユエル様に気圧されまいと必死に堪えている。悔し紛れなのか、居丈高な声音はそのまま、ユエル様に食ってかかる。

「これでも銃の腕前はなかなかですのよ? ましてやこんな近距離。……はずしませんわ」

「それで? 銃をつきつけて恐喝し、私から何を得ようというのかな?」

 じり、とユエル様は詰め寄った。ほんの僅かにしか距離。ユエル様の緑の瞳が異様な光を帯び、亜矢子さんを見据えている。

 亜矢子さんは後ろに引きかけて、なんとか踏みとどまった。亜矢子さんはユエル様に呑まれ、立ち竦んでいる。銃をつきつけているのは亜矢子さんなのに、追い込まれてるのは亜矢子さんの方だ。それでも亜矢子さんは怯まない。怯むまいと全身を強張らせて踏みとどまっている。

「…………」

「…………」

 重苦しい沈黙が落ちる。亜矢子さんは何か言いかけ、口を噤んだ。

 ユエル様と亜矢子さんは睨みあって対峙している。亜矢子さんはもはやわたしのことなど眼中にないようだった。亜矢子さんの手中にあるも同然だからなのかもしれない。わたしを取り押さえている男性は終始無言のまま、亜矢子さんが何をし、何を言っても、驚く気配を見せなかった。微動だにせず、わたしを拘束している。

 それは、ユエル様も同じだった。

 わたしを一瞥もしない。

 たった一度きりわたしの名を戸惑ったように呟き、その後はわたしの方に視線を向けなかった。視線の端に入ってはいるかもしれない。でもわたしに意識を向けない。

 ユエル様……わたしのこと、きっと呆れて、怒ってる……。

 当然だ。盗み聞きをしたあげく、こんな風に捕まってユエル様に迷惑をかけてばかりなんだもの……。

 ユエル様のために何かしたいって思うのに、その「何か」すら具体的に浮かばなくて、あげくに困らせるようなことばかりして……! ユエル様に見捨てられたってしかたがない。

 わたしがいけないんだ。自業自得だって思うのに、辛くて悲しくて、胸が張り裂けそう……――

 ごめんなさい、ユエル様……!

 ごめんなさい。その言葉しか浮かばない。

 涙がせせりあがって視界を滲ませる。頬に流れる涙を拭うこともできない。

 どうしたらいいの。

 ――どうしたら、償えるの……?

 そのために、何をしたらいい? わたしは、何を……どうしたいの?

「何をしたいのか」――それは今、もしかしたら亜矢子さんも考えているのかもしれない。

 わたしとはまったく別の思考方向ではあっても。亜矢子さんの心の揺らぎが、強張った横顔から窺える……気がした。瞬きが多い。視線をユエル様に固定しているようで、虚を睨み据えているような。迷いが、亜矢子さんの目元に翳を作っている。

 沈黙を破ったのは亜矢子さんだった。

「眷族にではなく、……吸血鬼になることを望みますわ」

 逡巡し、そのあげくに言い放った言葉がそれだった。

 亜矢子さんは不老である「吸血鬼」になりたいと言う。「眷族」になれないのなら、不老である「吸血鬼」になりたい、と。それを望むと。

 正気で言っているのかは、分かりかねた。あまりに突飛な「要求」だから。

 亜矢子さんの要求に対して、ユエル様は冷ややかな笑い声をあげた。「ばかばかしい」と、侮蔑しきった声ではねつけ、また一歩亜矢子さんに近づく。それでもまだ、腕を伸ばしても触れられる距離ではない。拳銃の的としては近すぎるけれど、ユエル様の目に亜矢子さんの握る拳銃など映っていないかのごとくだ。

「窮するあまりの要求がそれとは、笑わせる。どこまで都合のいいように私たちを見ていたのか」

「できない、わけですわね?」

 亜矢子さんの頬に皮肉な笑いが浮かんだ。失望の色もそこには混じっていたけど、落胆の様子を面に出さなかった。亜矢子さんは引かない。

「できないね。よしんばできたとして、私に銃をつきつけるような愚か者の願いを叶えてやるほどお人好しではないのでね」

 ユエル様は自嘲的な笑みで口元を歪ませる。

「……さて、どうしたものか」

 ユエル様は斜に構え、わざとらしくため息をついてみせた。

 それにしてもなぜだろう。ユエル様の態度がひどく気にかかる。

 ユエル様の挙動ひとつひとつが、ひどく緩慢だ。思わせぶりな言動で亜矢子さんを挑発しているのに、決定的な行動には移らない。扇動しつつ抑制してるかのような。……時間を稼いでいる、みたいな。

 亜矢子さんはそんなユエル様に翻弄されるばかりで、やっぱり極端な行動には出ない……出ようにも出せないといった戸惑いがあって、そんな自分に苛立っているようにも見えた。

「さして害はなかろうと放っておいた私も、たいがい愚かだったな」

 不意に、風がやんだ。その途端、場の空気が変わった。

 噴水の流れる音が沈黙をさらに深める。水音だけがあたりに響く。

 ユエル様は佇立している。

 亜矢子さんは拳銃を下げない。指が動く気配はない。けれど力を緩めもしない。張り詰めた空気が亜矢子さんにまとわりついて、それがわたしにも伝わってくる。空気が圧縮されてるみたいだ。喉がひりひりと痛む。

 銃口は下がらない。ユエル様を狙ったままだ。撃てば、きっと当たってしまうだろう距離だ。

 亜矢子さんに、ユエル様を撃つ度胸があるの……?

 分からない。分からないけれど、もしも撃ってしまったら……? 弾がユエル様の心臓を貫いたら……そんな不安と恐怖に駆られて、わたしの心臓こそが止まりそう……!

 亜矢子さん、やめて!

 叫びたい。喚いて、いま目の前で繰り広げられてる状況を変えるべく、抗したかった。だけどわたしが声をあげれば、かえって亜矢子さんを刺激してしまうだろう。それに、抗おうにも屈強な男に拘束されて身動きが取れない。首を伸ばし、肩を僅かに動かしただけでも、すぐさまそれを抑えつけられてしまう。

 ――何もできない。わたしはいつも無力で、ただ見てるだけしか……!

「……つまり」

 呻くような声で、亜矢子さんが言った。亜矢子さんの声は笑いと怒りが綯い交ぜになり、それでも感情を剥き出しにはしていない。ギリギリのところで辛うじて抑えているといった感じがする。

「つまり、あなた達はただの……なんの役にも立たないモンスターというわけですわね」

 言いながら、亜矢子さんは自分の行動を押し出そうとしている。

 ユエル様は静観し続けていた。視線を亜矢子さんから逸らさない。

「ならば、私がすべきことはひとつ……!」

 亜矢子さんの指が動き、微かに擦れる金属音がした。

 まさか亜矢子さん……!

「……ゃ……っ!」

 だめっ、やめてっ!!

 わたしが声を振り絞って叫ぼうとしたその瞬間、――突然風が吹きつけた。

 つむじ風がわたしの髪を、ドレスを、なびかせる。反射的に目を閉じ、すぐにまた目を開けた。

「……っ?」

 ドサリと鈍い音が背後でし、同時にわたしの体が束縛から解放された。きつく拘束されていたからか体が痺れ、わたしもその場に崩れ折れそうになり……――

 けれど、わたしの背中をふんわりと抱きとめてくれた手があった。


「詰めが甘いのよ、お嬢ちゃん」


 わたしの後ろで、アリアさんが嫣然とした笑みを浮かべていた。

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